ソーシャルネットワークというFacebookを題材にした映画を観た。
ああ言ったものに影響を受けやすい私は、
「何かまだ新たなネットビジネスはないのか」
「何か俺に挑戦できることはないのか」
って真剣に考えてしまう。
今の自分はこのブログやTwitterをうまく活用して、吃音、吃音者の心境をあまねく人々に知ってもらえるよう情報を発信して行くことだろう。
「吃音」では無く、一種の方言、新種の言語なんて位置付けも面白い、なんて思った。
かつて私の吃音を「あなたの個性」という人がいた。
何人かいた。
母親がそう言うこともあった。
私自身は自身の吃音を嫌っていたため、吃音を肯定される、もういた仕方ないものと言われることがもの凄く嫌だった。
しかしこの「個性」という理解の仕方、され方には、不思議とたいした怒りも無く、「そ、そうか…」と半ば認めた感じだった。
今もそう。
「運命」とか「そういう星の下に生まれた」なんて言われると、もう腑が煮えくりかえる。
多分、「運命」とか「そういう星の下に生まれた」って言う考え方は、「他から押し付けられた」という受け身的理解なんだろう。
反面、「個性」という考え方って、どこと無く「能動的」で、悪い印象を持たない。
そう考えると、吃音であること「だけ」で落ち込むなんて馬鹿らしくなる…。
と言いつつ、吃る自分に直面すると、そうは思えない。
事は考えようとは確かにそうだが、実際難しい。
