学力②(見える学力)学力とはの続編です。今日は受験について。日本の受験は正直、暗記とテクニックでクリアーできてしまうというのが事実です。自分もそうでした。なかなか考える力とか学ぶ意欲って物は計りにくいらしい。よく・・・「見える学力」と「見えない学力」といいますが、見えない学力は数値化できないんですよね。そんなの見る人のさじ加減ですし。だったら公平に選考するとなったら見える学力の部分を測るしかないということ。そのなかで差をつけないといけないわけだから、教科書の範囲でより高度で難しい問題を作らなければならない。・・・となると、どうしても受験が現在のようになってしまい、批判されてしまうわけです。ようするに、公平性を追求した結果、お金があって塾にいけて受験のテクニックをマスターしたもの、あるいは私立中学、高校に進学したものだけが優秀といわれる大学にいける可能性が高いという不公平さを生み出してしまったわけですね。そして公立の学校も経営をしなければならない時代なので、最短距離、いわゆる進学率に目をつけるわけです。この状態をいかんとし、何とか脱しようと試みました。安部元首相の教育改革「愛国心」とか「生きる力」とかね。でも、まっあんなもんですよ。何がいけなかったんですかね・・・。ここまで偏差値教育の構造を書きましたが・・・なにか矛盾を感じませんか?加熱する受験勉強。テクニックを叩き込まれエッセンスは確実に物にしているはずなのに、目に見えて学力が落ちていると感じてしまうというこの違和感。学力テストの成績とか無視しても感じてしまいますよね。見える学力(受験勉強)ってそんなに無駄でしょうか?見える学力は私は無駄じゃないと思います。受験でやってる勉強はものすごい勢いで脳への刺激を促しているはずなのですが・・・受験問題だって研究に研究を重ね必要だと思われる問題が出でいるはず。その問題が解けるようになるまでのプロセスもしやに入れて・・・。何かが抜けちゃってるんですよね。・・・・続く。
CLファイナル昨日は充実したいい練習ができたのでハッピーでした。そして家に帰ってきて代表戦を見て、今日のチャンピオンズリーグの決勝を見るためにそそくさと寝ました。・・・そして今その試合が終わりました・・・サイコーのゲームを見せてくれた両チームに感謝感激大好きなバルサがすばらしいサッカーで勝ったのでサイコーにいい時間だった早起きしてよかった