みずほは絵里の家に向かう途中だった。トコトコ歩いていると、電信柱にも誘拐事件のポスターが貼っていた。
みずほは立ち止まってそのポスターを眺めていると、ポスターの蔵田悠人はリュックサックを背負って指でマルを作っていた。
(嬉しいことがあると、指でマルを作るくせがあると、いっていたがこの写真を撮ったときは何か嬉しいことでもあったんだろうか?)そんなことを考えながら歩いていた時、みずほの脳裏に突如、となりの家の少年の顔が浮かんで来た。
(窓越しに小さなマルを作っていた・・たしか、小さなマルだったような・・)みずほの足はぴたっと止まった。金縛りにあったように身体が動かなくなった。
(まさか、まさか、隣にいるあの子が・・・)みずほは凍りついた。真夏の太陽が照りつけているので足がガクガク、ブルブル震えていた。みずほを不審そうにみていた男の顔を思い出していた。
ー嬉しいことがあると手でマルをつくるくせがあるんですー
みずほに向けられた下から必死に見えるようにマルを作っていたこないだの何気ない光景を思い出していた。
ー僕は君にほんの少しでも視界に止まってくれたことが嬉しかった。話もしたことのない、会ったこともなく、ほんの少しだけ目があっただけなのに、無性に嬉しかった。その理由はわからなかった。すごく苦しかったのに、君の顔をみていると、その苦しみが不思議なほど消えていく。だからただ、嬉しかった・・・ー
みずほは時間が止まったように、街のの流れが止まったように、何より心臓が止まったように、フリーズした。本当に凍りつくというのは真夏の太陽さえもどうすることも出来ない。
みずほはもっていた手作りクッキーが入った包装紙を落とした。落としたことも気がつかぬまま、一心不乱に走りだした。
「最後にここの住宅を後にしたとき、私の立ち会ったんですが、綺麗に掃除してありましたので、あれはなかったはずだ」阿部は断言するようにいった。
「そう・・・ですか?」
「誰か侵入したんだ!!」阿部ははっきりと断言した。
「他にどこ部屋がありますか?」
「あっ、物置き小屋はまだみていない。ベランダに続く物置き小屋があるんですよー」阿部と飯塚は思わず顔を見合わせて物置き小屋に少し緊張した面持ちでそっと歩いていく。
「タバコの吸殻があるということは誰かいたな」阿部の呟きに飯塚とみずほは緊張を強いられた。二階の奥にはベランダがあった。そこに物置きのような横開きの扉があった。3人はそこで立ち止まった。みずほも阿部も飯塚も何故か神妙な気持ちに囚われ3人とも緊張している様子だった。
いつにもまして3人は黙りこんだ。飯塚は固唾を飲みながら、部屋の壁をノックした。返事は返ってこなかった。飯塚はいつにもまして緊張した面持ちで引き戸をゆっくりとソロソロと開けた。両手両足を紐でしばられ、口をハンカチで巻かれた蔵田悠人がぐったりと目を瞑ったまま横たわっていた。阿部と飯塚はお互いに目配せをして、悠人の紐を2人で解いた。
飯塚は悠人と抱き上げると、意識を失っている悠人の頬を軽く叩いた。
「おい、大丈夫か?大丈夫か?」
「顔色がすこぶる悪いよ」
「あっ、口から泡だ!誰か、早く救急車を呼べ!!」飯塚の言葉にみずほは携帯を取り出して救急車に電話をした。
「早く来て下さいっ!」
早急にやってきた救急車に悠人は乗せられて運ばれていく姿を呆然と見つめていた。世の中を騒がせていた誘拐事件の男子児童がまさかこんな所にいたなんて、考えるほどに驚きと同時になんでもっと早く気がつかなかったのかという気持ちも込み上げてきた。
(もし、死んじゃったら私のせいなのか?きっとSOSのサインを出していたのに、気がつかなかった。もっと早くに気がついていたら、確実に助かったのかもしれない)そう考えるとみずほは泣きそうに思わず泣きそうになった。
(なんでもっと早く気がつかなかったの?なんで?)
「お嬢ちゃん、早く!」飯塚の言葉に
みずほは手で微かに出てきた涙を拭きながら大人たちの後をついていった。
みずほと飯塚は交番にいた。救急車には阿部がついていった。飯塚はすぐにクラタ工業に電話をいれてくれた。
「お宅のご子息さまが見つかった模様です。隣まちの大橋記念病院に搬送されています。意識を失っている状態です。どうかご子息さまかどうか確認していただければと思います。どうか無事であることをこちらでも願っています。気は確かに。ではまた詳しい詳細が分かり次第ご連絡を差し上げますので、病院の方にご連絡をお願いいたします。はい、よろしくお願いいたします」飯塚は手短にそれだけをいうと電話を切った。
「みずほちゃん、ありがとうね。君のおかげで被害者は今、病院で治療を受けている。いま、本部に連絡したから、すぐにあの子の親御さんに連絡がいって、病院にかけつけるだろう。君のおかげだ」飯塚は優しい微笑みを少し憔悴しているみずほに声をかけた。
「・・・はい」みずほはうつむきながら泣きそうになりながらうなづいた。
「どうしたんだ?」
「・・・いや、もっと早くに通報していれば絶対に助かっていたと思うんですよ。だから申し訳なくて。お化けだってふざけていた。誰も住んでいないはずの所に人がいたから!!」
「仕方がないでしょう。君だってわざだった訳じゃないんだから。それにまだ助からないって決まった訳じゃないんだよ!!それより、詳しい経過を教えてくれないか?なんかおじさんとすれ違ったって言ってなかった?」飯塚の問いかけにみずほはこくりとうなづいた。
「詳しく教えてくれないか?」
みずほと飯塚は話し始めてから一時間が過ぎたころ、夕陽が落ちていた。
みずほは終始うつむき加減だった。
「みずほ!!」芙美の問いかけにみずほは思わず顔を上げた。
「お母さん!!」
「どうしたの?今、スーパーから戻ろうとしたらあんたがいるからとにかくびっくりしたのよ」芙美は不安そうな顔をみずほと飯塚に向けた。
「あぁ、これはお母さん。どーも」飯塚は極力明るい顔で芙美に挨拶を向けた。芙美も飯塚に小さくお辞儀をした。
「ウチの子が何か?」芙美は少し不安げなまなざしをむけた。
「いや、お母さん。別にみずほちゃんが何かしたという訳ではないんです。ご安心ください。むしろ助けてくれた方ですから」
「助けた?」
みずほと芙美は交番からの帰り道を、ゆっくり歩いていた。
「お隣さんにいたなんて、なんで」芙美は思わず本音を呟いていた。
「あそこはたしか中古で買い取った新婚が一カ月もいられず出ていってさ、時々窓が開いているって有名だよね。誰も住んでいなくて、誰も住んでいないはずなのに、窓が少し開いていたりするのは有名よね。いくら窓を閉めても閉めても微かに窓が開いていたりするって。昔、幽閉されていたものでもいたのかしら?」芙美は推理するようにいった。
「もっと早くに気づいてはずなのに。もっと早くに交番の人にいっていたらこんな風にならず、助けてあげられたのに。これで死んじゃったら見殺しにしたようなものだよ」みずほは泣きそうになった。
「まさか、誘拐された子だったなんてわかるわけないわよ。どこか他の子が忍び込んだ悪戯かと思うわよ」芙美はみずほを庇うようにいった。
「何度か見た時、気持ちが悪いと思ったりして、見ないふりをしていた」
「そんなものよ。でも気がついて交番までいって、病院に運んで貰えて、みずほが気がつかなかったらそれこそ、亡くなっていたかもしれないから、あなたは間違えてなんかいなし、エライわよ。よく頑張っておまわりさんの所に勇気をもっていったわね。お友達にあとから事情を話すのよ!!」
「あっ!!」みずほ思わず素っ頓狂な声をだした。
「どうしたの?」
「忘れてた」
「何が?」
「絵里ちゃんとの約束!!」みずほは絵里との約束を反故してしまったことに気がつき、別の意味で気持ちが凹んだ。
「折角、クッキーも作ったのに・・」
「今日は仕方ないわよ。絵里ちゃんのお母さんには私から謝っておくわよ。だから今日のことは早く忘れなさい。あまりグズグズしないの。あなたには関係がないことなんだから」芙美の言葉にみずほはうなづいた。
「あなた!!」尚代は暢三をみると駆け寄った。
「悠人は?」
「今、治療室にいて、点滴を打っている」
「意識不明で心肺停止だって」芙美は目に涙をボロボロ流していた。
「あいつはどこにいたんだ?」
「隣町の民家みたい」
「どこの民家だ?まさか犯人の家か?」暢三の問いかけに芙美はかぶりを振った。
「違う。誰も住んでいない家の一室にいて、隣に住んでいた家の人が通報してくれたみたい。誰も住んでいない家なのに、不審な男が出てくるのを目撃したんだって!!」
「そっか?わかった。あとは警察に任せよう。犯人がいることだけはわかった訳だ。事故ではなく、事件だってことがわかった。なんで、こんなことに・・・」暢三はソファーに腰をかけた。