ロカビリー青春白書 -123ページ目

★タイトルが薔薇のうた - 邦楽70's編

おばんです。グラサンチョキ お待たせいたしました。 

 

やっと編集終えて、紹介出来るようになりました。。。あせる

 

では、最初はこの方々から どうぞ~~音譜カラオケ

 

 

1972 - 野バラ - シモンズ ※フォークソング

「野バラ」は、1972年5月25日発売。シモンズ4枚目シングル「ひとつぶの涙」のB面曲。同時発売された、2ndアルバム「若草のころ」にも収録。冒頭にセリフが入っている。作詞・作曲、田中由美子。

 

ひとつぶの涙~野バラ - シモンズ

 

シモンズ、1970年結成。大阪府出身の女性フォーク・デュオ。

メンバーは、田中ユミ=北川ユミ(本名・田中由美子、1953年生)、玉井タエ(本名・玉井妙子、1952年生)。名前の由来は二人がファンであった「サイモン&ガーファンクル」のサイモン(Simon)をローマ字読みしたもの。

 

シモンズ (左 田中ユミ/右 玉井タエ)

 

71年ラジオ番組のオーディションを経て「恋人もいないのに」でメジャーデビュー。この曲はオリコンヒットチャート21位、60万枚を超える大ヒットとなり、71年「第13回日本レコード大賞・新人賞」を受賞。
 

 

 

72年には「ひとつぶの涙」で東京国際音楽祭で3位入賞。そして、手掛けたCM曲は100曲を超えている。なかでも明治製菓(現・明治)の71年、チェルシーのCMソング(作詞:安井かずみ、作曲:小林亜星)は有名、初代シンガーである。


 

 

しかし人気絶頂の1974年、玉井タエの後藤次利との結婚を期に休止する。

 

1978年にテレビドラマ「幸福の断章」の主題歌 (作詞・作曲 - 松任谷由実) 「水の影」を歌うことによりに一時的に活動を再開するも、翌年の玉井タエの離婚により本格的に解散した。

 

 

 

 

 

その後、玉井タエは、教員免許を取得し英語教師として活動。一方田中ユミは、マネージャーだった北川啓治と結婚し、北川ユミとして芸能活動を続け、ラジオDJやソロ歌手を続けてソロ活動を精力的に行っていく。
 

 

1996年、田中ユミは元ジャネッツの青木まり子(現・五つの赤い風船)と新シモンズを結成。1999年に解散するが、2006年などに度々再結成を行う。
 

新シモンズ (左 田中ユミ/右 青木まり子)

 

 

2009年7月25日、大阪府の守口文化センターにて、玉井タエを迎えて田中ユミのコンサートが開催された。シモンズ結成40周年記念として、解散以来初のデュエットが蘇ることとなった。

 


 

2013年、シモンズ全曲集「シモンズ オールソングス・コレクション」を発売。
2014年10月2日、田中ユミがテレビ東京『名曲ベストヒット歌謡』にゲスト出演し、現在もソロ活動を中心にテレビやライブ、ラジオへの出演をしている。そして、現在活動休止中の玉井タエとは年に1度は食事しているという。

 

 

1974 - 薔薇の鎖 - 西城秀樹 ※アイドル歌謡ロック

 

「薔薇の鎖」は、1974年発売。西城秀樹の8枚目のシングル。雑誌『平凡』で募集された歌詞を原案にして、作詞・たかたかし、作曲・鈴木邦彦。和製ロックンロールのような曲である。

 

 

西城秀樹 - 薔薇の鎖



 

当時としては斬新なマイクスタンド・アクションを披露した。マイクスタンド・アクションは、西城秀樹が日本で初めて披露したと言われている。このアクションのヒントになったのは、「ロッド・スチュワート」を日本武道館で観たライブ・パフォーマンスだと公言している。その後、矢沢永吉、世良公則、ハウンドドッグなどのアーティストに影響を与えた。
 

 

西城秀樹<本名:木本龍雄>(1955年生4月13日~2018年5月16日没)は、広島県広島市出身の歌手。“ワイルドな17歳”のキャッチフレーズで、72年にシングル「恋する季節」でデビュー。郷ひろみ、野口五郎とともに“新御三家”と呼ばれ、「ちぎれた愛」「激しい恋」「傷だらけのローラ」などヒットを連発。

 

特に79年の「YOUNG MAN」は、“YMCA”の振付とともに大流行した。また、ドラマ『寺内貫太郎一家』や“ヒデキ、感激!”のセリフで話題となった「バーモントカレー」のCMに出演し、幅広い世代で人気を博す。

 



48歳の脳梗塞発症以来、病と向き合いながら精力的に歌手活動を継続してきたが、2018年5月16日に急性心不全のため横浜市内の病院で死去。63歳没。



1975 - 薔薇色の人生 - 甲斐バンド ※ロック


 

「薔薇色の人生」は、1975年発売。甲斐バンド、2ndシングル「裏切りの街角」のB面に収録。作詞・作曲:甲斐よしひろ。のちに発売される同年発売の2ndアルバム「英雄と悪漢」の最後に少なめの編集が施されている。

 

2007年発売のリマスター紙ジャケ盤「英雄と悪漢」には、ボーナストラックとしてシングル・バージョンを収録。また、甲斐よしひろのソロアルバム1978年発売「翼あるもの」にセルフカバーとして収録されている。

 

 

甲斐バンド - 薔薇色の人生

 

甲斐バンドというバンド名は、元々仮名であり、いくつか候補があったが、しっくりくるものが無く仮名のままデビューとなった。
 

1974年、甲斐よしひろ(1953年生)を中心に同年5月、大森信和、長岡和弘、松藤英男と共に福岡で、甲斐バンドを結成。同年11月、1stシングル「バス通り」でデビュー(キャッチフレーズは“九州最後のスーパー・スター”)。

 

翌年75年、2ndシングル「裏切りの街角」のヒットで「第8回日本有線大賞優秀新人賞を受賞」、オリコン最高位7位を記録、75万枚を売るロングセラー・セールスとなり、人気グループの仲間入りをする。

 

 


 

以後、順調に作品を発表し、78年には、11thシングル「HERO(ヒーローになる時、それは今)」がSEIKOの腕時計のCMのタイアップもあり、爆発的に知名度を広げ、初のオリコン・ヒットチャート1位を獲得、100万枚を超えるヒットとなる。

 

 

その後79年、13thシングル「安奈」もチャート最高位4位を記録。

 

 

 

 

80年代にはレゲエのリズムを取り入れるなどサウンド面で一層の充実を図るが、1987年に解散。甲斐はソロ活動を経て「KAI FIVE」を結成した。その後、メンバーチェンジをし、甲斐バンドはたびたび再結成され、アルバム制作も行なっている。

 

 

 

 


1976 - 恋は紅いバラ - 殿さまキングス ※歌謡曲


 

「恋は紅いバラ」は、1976年発売。殿さまキングス11枚目のシングル。マンボリズムを使った曲が特徴。マンボとは、ラテン音楽のダンス曲の一つ。四分の二拍子で、ルンバをさらにリズミカルにした形式をもつ。作詞・千家和也、作曲・佐瀬寿一。
 

殿さまキングスは、日本の音楽グループ。愛称は「殿キン」(とのきん)。ちなみに「殿さま」という名前は「キング」を日本風に言い換えようとして思いついたという。

 

恋は紅いバラ - 殿さまキングス

 

長田あつし(1940年~2014年没)を中心に1967年に結成で、元々はコミック・バンドをしていた。他メンバーは宮路オサム(1946年生)、尾田まさる(1946年生)、多田そうべい(1941年生)。ぴんからトリオにはじまる演歌ブームに乗り、歌謡コーラス・グループに転向して、73年「北の恋唄」でメジャーデビュー。


 

3rdシングル「なみだの操」が250万枚を超える大ヒットとなり、NHK紅白に3年連続出場、お笑いの枠を超えた存在となる。74年「夫婦鏡」75年「浮草の宿」などをヒットさせるが、演歌系の楽曲に限らず、76年「恋は紅いバラ」80年「けい子のマンボ」などのリズムもの、80年「ハワイ音頭」83年「ブラジル音頭」などのワールドものにも意欲的に取り組んだ。


 

 

その後もバンド活動などしていたが、昭和天皇の病状悪化を受けた“自粛ムード”によって、いわゆる「営業」の数が激減したこともあり、1990年に解散。メンバーはその後ソロで活躍、懐メロ番組などで不定期に再結成をした。1970年代は演歌系が中心だったが、1980年代にはポップスの要素も織り交ぜている。
 

長田は、解散前年に杏しのぶと「オヨネーズ」を結成。東北弁で歌い上げたコミックソング「麦畑」が大ヒット。解散後は「オヨネーズ」の活動を続けたが、2014年心不全で死去。73歳没。尾田は、解散後ソロ歌手として活躍。多田は、解散後、司会、執筆、作詞、作家など多彩に活躍中。骨髄バンクを支援している。

 

 

宮路は、こぶしをコロコロ回してビー・ジーズの「マサチューセッツ」などを歌う、“演歌マサチューセッツ”が持ちネタだった。解散後も、継続的にステージで「なみだの操」などを歌い、歌手として活躍。また作詞、作曲家、俳優としても活躍している。ソロで活躍している。

 

 

 

 

1977 - 五月のバラ - 尾崎紀世彦 ※歌謡曲≪津川晃カバー≫

「五月のバラ」は、1960年代、日本で活躍したカヴァーポップス歌手フランツ・フリーデルが、1969年に津川晃と改名し再デビューし、歌謡曲のジャンルでレコードリリースするようになり、そのシングル第2弾として1970年4月にリリースされた。

 

尾崎紀世彦バージョンは、1973年アルバム「しのび逢い」に収録されたことで楽曲が知られるようになり、数々のアーティストにカバーされている。作詞・なかにし礼、作曲・編曲:川口真によるもので、1977年「メリー・ジェーン」と、両A面でシングルカット。

 

五月のバラ - 尾崎紀世彦


尾崎紀世彦(1943年1月1日~2012年5月30日没)は、神奈川県出身。通称、キーヨ。ソロ・デビュー前に67年、コーラスグループ「ザ・ワンダーズ」でデビュー。

 

また別名義「ジ・エコーズ」で『ウルトラセブン』の主題歌・挿入歌も担当。主題歌冒頭で連呼される、3番目の「セブン~♪」が尾崎の声である。


 

 

71年、ソロ・デビュー後のシングル「また逢う日まで」が大ヒットし、日本レコード大賞を受賞。

 

 

レコーディングの際には、既に解散していた元メンバーが再結集しバックコーラスを務めた。圧倒的な歌唱力と筒美京平のリズミックな曲はまさに一世を風靡した。

 

 

この1曲のイメージがあまりにも強いが、その後もミュージカルや俳優などで地道な研鑽を積み、大人の歌手としての地位を築き上げた。趣味はアウトドア全般。2012年5月30日、肝臓癌のため東京都内の病院で死去。69歳没。

 

 

1977 - バラのお嬢さん - イルカ ※フォークソング

 

「バラのお嬢さん」は、フォークシンガー、イルカの1977年発売の3rdアルバム「植物誌」に収録。作詞、イルカ。作曲は、合唱曲などで有名な「遠い世界に」を手掛けたフォークグループ、「五つの赤い風船」のリーダー西岡たかし。西岡たかし自身も76年にシングル盤を発売している。

 

この「植物誌」は、オリコンでは初めての1位を獲得するなど、イルカのアルバムでは最高のセールスを記録している。

 

バラのお嬢さん - イルカ

 

 

イルカ<本名:神部としえ>(1950年、東京生まれ)。女子美術大学卒業。大学時代からフォーク界隈に出入りし、70年に「シュリークス」のメンバーとしてデビュー。

 

女子美術大学のフォークソング同好会に在籍していた当時、皆がギターケースを持って帰る姿を見て「イルカの群れみたい」と言ったのがきっかけで、周囲からイルカと呼ばれるようになり、ニック・ネームで活動することに。

 


 

ソロとしてのデビューは74年のシングル「あの頃の僕は」。75年発表の3枚目のシングル「なごり雪」が、大ヒット。翌76年に掛けて、オリコンの集計で55万枚近いセールスを記録した。累計売上は80万枚、自身のシングルとしては最大の売上を記録し、以降、日本の早春を代表する歌の一つとして世代を超えて歌い継がれている。作詞・作曲、伊勢正三。編曲、松任谷正隆。

 

オリジナル盤のかぐや姫「なごり雪」は、1974年3月、アルバム『三階建の詩』の収録曲として発表。オリコンアルバムチャート1位、年間5位。

 

 

 

 

 

1977 - 薔薇とピストル - ギャル (GAL) ≪目黒ひとみ 黒木真由美 石江理世(前期メンバー) 中世古明代(後期メンバー)≫ ※B級アイドル歌謡

≪ギャル(GAL)≫
1977年に『スター誕生!』(日本テレビ系列)で優勝デビューしたものの売れなかった目黒ひとみ(ヒー 1960年生)、黒木真由美(マミ 1959年生)、石江理世(ミチヨ 1959年生)を「スリー・ディグリーズ」の日本版かというディスコ路線で再生しようと結成された女性アイドル3人組。

 

活動期間は、約1年間。末期は石江が抜けて中世古明代(アキ 1963年生)が、参加した。4枚のシングル、アルバム1枚「ギャルのスペース・オペラ」をリリースしている。79年解散。

 

 

薔薇とピストル - ギャル (GAL)

 

77年10月、デビュー曲「薔薇とピストル」は、オリコン53位のスマッシュ・ヒットを記録したキャンディーズ・タイプの名曲。作詞・阿久悠、作曲・川口真、編曲・馬飼野康二。


 

 

 

続いての78年2月、2ndシングル「マグネット・ジョーに気をつけろ」は、ディスコ歌謡でNTV『金曜10時!うわさのチャンネル!!』末期エンディングテーマに使用された。

 

ギャル(GAL) - マグネット・ジョーに気をつけろ

 

アルバム - ギャルのスペース・オペラ (1978年4月発売)

 

その後78年10月、3rd シングル「誘惑されて」発売後、石江理世が抜けて中世古明代が加入。この曲の作曲は桑名正博。

 

ラストシングル78年10月、「黄金仮面」は、NHKラジオドラマ『黄金仮面』の主題歌。

 

 

なお、「マグネット・ジョーに気をつけろ」は、2012年ミッツ・マングローブ率いるユニット「星屑スキャット」がカバーしている。

 

星屑スキャット - マグネット・ジョーに気をつけろ (2012)

 

≪解散後その後≫
 

 

黒木は、84年の結婚を機に引退し、88年に女児に恵まれたが、96年に離婚。紗原亜未の芸名で芸能界に復帰した。現在は、高級アパレルブランド「ルアンジュ」(レディース)、「ラルクドサンベルナール」(メンズ)のブランドマネジャーとして素材選びからデザイン、縫製管理を担当している。



 

目黒は、解散後は芸能活動からリタイアし、結婚を機に静岡県御殿場市に在住。家庭に入っていたが数年前に歌手活動を再開。その後、同じく『スター誕生!』出身の金井夕子と「GAL Re-Born」結成、現在活動中。

 


 

薔薇とピストル - GAL Re-Born

 


石江は、78年脱退。現在は芸能界を引退し、結婚して主婦をしている。



 

中世古は、石江に変わり78年加入。後に80年コロンビアレコードより、「ベティ(津田京子)&ペティ(中世古明代)」という女性デュオで再デビュー。しかし全く売れず「キャンティ」と改名。。。


2010年、「薔薇とピストル~コンプリート・コレクション」が、根強いファンからのリクエストに答え待望のCD化!全23曲中17曲が初CD化されました。


 

 


1978 - バラの渚 - あおい輝彦 ※歌謡ロック

 

「バラの渚」は、1978年発売 あおい輝彦の16枚目のシングル。作詞・中里綴、作曲・長戸大幸。長戸大幸(音楽会社ビーインググループ(織田哲郎、大黒摩季などがいる)の創業者)は、77年、舘ひろしの「朝まで踊ろう」 80年、三原じゅん子の「セクシーナイト」などをプロデュースしている。

 

全対的に70年代歌謡ロック作品。77年発売14枚目のシングル「センチメンタル・カーニバル」にも曲調がよく似ている。

 

バラの渚 - あおい輝彦

 

 

あおい輝彦 <本名:青井輝彦(旧芸名)>、(1948年東京生まれ)。現芸名は、すべて漢字では「硬い」というジャニー喜多川の提案により名字をひらがな表記にする。

 

1962年、ジャニーズ事務所の創立グループ「ジャニーズ」を結成。熱狂的人気を博す。解散後、俳優としてテレビドラマ「冬の旅」 「赤ひげ」、大作映画「二百三高地」 「犬神家の一族(犬神佐清役)」など、多数出演。

 

また、アニメ史上に残る1970年「あしたのジョー」矢吹丈のアテレコ。少年時代からのボクシング好きで『ジョー』のファンでもあったが、オファーの当初は「声優と俳優の違い」を理由に断ったという。しかしプロデューサーの熱意を受けて承諾する。



 

歌手としても、「二人の世界」「あなただけを」「Hi-Hi-Hi」「センチメンタルカーニバル」等ヒット曲多数。1976年6月発売の11枚目のシングル「あなただけを」が、オリコン週間チャートで6週連続第1位を獲得。

 

同年の年間シングルチャートでも第7位に入り、自身最大のヒット曲となる。また同曲で『第27回NHK紅白歌合戦』にソロとして初出場した。

 

さらに同年、第9回日本有線大賞において有線ヒット賞と特別敢闘賞を受賞している。


 

 

 

翌1977年には前年に続いて『Hi-Hi-Hi』がオリコン週間最高7位(1977年度年間46位)、『センチメンタルカーニバル』がオリコン週間最高8位(1977年度年間53位)を記録する。

 

1988年からは国民的人気番組「水戸黄門」で12年間、助さん役を好演、支持を受ける。趣味として、数年前から新潟県吉川町にて日本酒造りに、チャレンジしている。

 

 

 



1978 - 飾りのバラ - 柳ジョージ&レイニーウッド ※R&B

 

「飾りのバラ」は、1978年発売。柳ジョージ&レイニーウッドの2ndアルバム「WEEPING IN THE RAIN」に収録。作詞・東海林良、作曲・上綱克彦。

 

柳ジョージ&レイニーウッド - 飾りのバラ

 

柳ジョージ&レイニーウッドは、下積みが長かった柳ジョージが1975年、広島のバンド「メイフラワー」をバックに付け結成。
 

バンド名の「レイニーウッド」は、柳がロンドンのハイドパークで見た霧に煙る森から名付けた。R&Bをベースにしたブルースロックのような音楽性は当時としては画期的であった。




 

柳ジョージ <本名:柳 譲治>(1948年1月30日~2011年10月10日没)。神奈川県横浜市出身。69年にブルース・ロック・バンド、パワー・ハウスを結成。その後、ゴールデン・カップスに参加。72年の解散後に渡英し、帰国後の75年にレイニー・ウッドを結成。
ブルースを基調とした男くさい大人向けのロックで人気を獲得し、77年1st-Single「祭りばやしが聞こえる」 78年4th-Single「雨に泣いてる」などをヒットさせる。

 

 

 

資生堂のCMソングに使われた79年6th- Single「微笑の法則 SMILE ON ME」を含む1979年の4thアルバム『RAINY WOOD AVENUE」は、オリコンアルバムチャートで初登場1位を獲得した。


 

81年の解散後はソロ・シンガーとして活躍。渋いヴォーカルとツボを押さえたギター・プレイには定評がある。2005年4月、「24年目の祭り」と題して、「柳ジョージ&レイニーウッド」を再結成。2008年7月、「柳ジョージ&レイニーウッド」としてフジロックフェスティバルに出演。

 

2011年10月10日、腎不全のため横浜市内の病院で死去。63歳没

 

 

 

 

1979 - 君は薔薇より美しい - 布施明 ※歌謡ポップス

 

「君は薔薇より美しい」は、1979年発売。布施明の44枚目のシングル。作詞・門谷憲二、作曲・編曲 ミッキー吉野による。
 

久しぶりに会った女性が美しく変わった様子と、それに対する自分の気持ちを歌った内容の曲である。

 

 

カネボウ化粧品のコマーシャルソングに採用された。(オリビア・ハッセー出演。このCMが縁となってオリビアは布施と結婚するが、後に離婚)

 

 

 

オリコンの10位以内(最高8位)にランクされる。又オリコン上シングル売上枚数では、31万枚を記録する。更にTBSテレビの「ザ・ベストテン」でも、同番組で自身初のランクイン(10位以内には6週間ランク)となった。

 

君は薔薇より美しい - 布施明

 

各アーティストにカバーされているが、近年では山崎育三郎がカバー。

2016年発売カバーアルバム『1936 ~your songs~』で収録。





 

布施明、(1947年、東京生まれ)。65年に「君とほほえみを」でデビュー。TVドラマの主題歌に「これが青春だ」が使われて注目を集め、その後も「霧の摩周湖」「そっとおやすみ」「愛は不死鳥」などのヒットを次々に飛ばす。

 

 

 

75年には「シクラメンのかほり」が大ヒットし、数々の賞を受賞。豊かな声量から生まれる圧倒的な歌唱力には定評があり、実力派歌手として知られる一方、俳優としても活躍。ミュージカルやTVドラマにも出演している。

 

 

 

 

 


1979 - 薔薇は美しく散る - 鈴木宏子 (日本テレビ「ベルサイユのばら」主題歌) ※アニソン

「薔薇は美しく散る」は、1979年11月1日に発売された鈴木宏子のデビューシングル。作詞:山上路夫、作曲・編曲:馬飼野康二。
 

表題曲は、テレビアニメ『ベルサイユのばら』のオープニング主題歌。後奏にアンドレ(志垣太郎)の台詞「ジュテーム! オスカル!!」が入っている。2011年10月開始のTBSの深夜番組『私の何がイケないの?』のオープニング・テーマに流用された。
 

シングルのカップリング曲「愛の光と影」は、『ベルサイユのばら』のエンディング主題歌である。放送初期は最後にアンドレのセリフが流れたが、22話以降は削除されている。

 

薔薇は美しく散る - 鈴木宏子 (日本テレビ「ベルサイユのばら」主題歌)

 



鈴木宏子 - twitter
https://twitter.com/suzukihirokoba

★『ベルサイユのばら』
池田理代子による漫画作品。通称「ベルばら」。フランス革命前から革命前期のベルサイユを舞台に、男装の麗人オスカルとフランス王妃マリー・アントワネットらの人生を描く、史実を基にしたフィクション作品。
1972年から1973年まで『週刊マーガレット』で連載されていた。



★テレビアニメ「ベルサイユのばら」
1979年10月10日から1980年9月3日まで日本テレビおよびその系列局で放送されたテレビアニメ。
全40話+総集編1話。放送時間は毎週水曜19:00-19:30(日本標準時)。




[キャスト]
≪主要人物≫
オスカル - 田島令子(幼少期 - 鈴木れい子)
アンドレ - 志垣太郎(幼少期 - 野崎貴美子)
マリー・アントワネット - 上田みゆき
フェルゼン - 野沢那智、堀勝之祐(第6話 - 第8話)
ロザリー - 吉田理保子

 

 

 

いかがでしたでしょうか?あせる

 

今回はこの辺りで。。。

 

でわ、また次回「タイトルが薔薇&ROSEのうた - 邦楽80's編」をお楽しみに。。。グラサンパー