幸せな二人を見るとこっちまで
happyになるね
誓いの瞬間って一体どんな感じなんだろう
素敵な言葉
「 やりなおしのきかない、誰にもかわってもらうことのできない
今日一日 」
こんな風に思って、今日一日を過ごせたらよいな
何かが足りないと思い続けてきたここ数年・・・
心の隙間を埋めるのは刺激なのか、目標なのか、糧なのか
よく解らず流されることだって必要なんだ
なんて自分に言い聞かせながら歩いてきた・・・
やっと少しなにかに気付いたきがする
大切なのは、どんな環境や状況においても
私の中のある部分だけは変わらないこと
幸せにしてもらいたいとかばかりを
よく耳にするけど
『 幸福は決して他人から与えられるものではない 』
と思う
この言葉は私の大切な大切な人生の先輩から教えてもらった言葉
幸せを与えてもらえると思っていること自体を私も疑問に思う
幸せは一生をかけて共に奮闘しながら掴み取るものなのではないのか
整理していたら計画書とやらを見つけた
今後の人生を簡単に書き記したメモ書き
2008年の夏に作ったみたいだけど
書いたことさえ忘れていた
そのメモ書きによると、2010年で大きな改革を行い
2011年でその結果が出ている予定・・・
現在2011年、継続しているだけで結果なんて出ていない
というかこの計画を書いた時から、もう3年も経っていたことの方が驚いた
考えて考えて計画練ってる時間なんてない
時だけが過ぎていく、だらだらなんてしていられない
らしくないけど30才になって色々考える・・・
もう30才だから・・・とか、そんなたぐいのことを
答えの出ないテーマについてひたすら考えている
大人になれば、それこそ回りの言う普通という方向へ進んで行かねば
いけないんだろうけど、どうしてもその変が自分の中でしっくりこない
その「普通」に従うことは、パズルのピースを無理やり別の場所に埋め込んで
納得しているみたいな感じで・・・
って、これだけ書いて結果答えは出てるのだ
私はその普通という流れに流されて進んでいくのは無理ということ
そうすることは、私の中で全てを偽るということになり、とても難しいこと
おかしいと思われても選択できない
9月も半ば・・・
時間がたつのはほんとにはやくてびっくりしている今日この頃
さてさて、このブログもしばし放置したぁ
今年は、なんだか色々なことがありすぎて受け入れるだけで
いっぱいいっぱいな年です
『 2011年 』
この年は忘れられない1年になりそう
しかし、人間の記憶というものは実にあいまいなもので、
あれだけ鮮明だったはずの思い出や、
忘れたくない記憶も、
時が経つにつれ薄れていくのが恐ろしい
こうやって、どんどん忘れていくんだろう・・・
残るのは、本当に一部分だけで
なんか自分でもとても悲しく思える
自分のことを忘れられてほしくない人の記憶からも、
同じように時と共に抹消されていくんだろう
そしてまた新しい思い出となる記憶と出会い頭にインプットされていく
重なって重なって古いものから消えていく
なんか、さみしいけど、これが日々進んでいることの証
いつまでも、同じ場所にとどまってはいられない、私もあなたも
嘘を平気な顔してつく人って心の中でどう思っているんだろう・・・
この嘘は嘘ではなく真実なのだとでも思い込ませているのだろうか
平気な顔して嘘ついてるけど全て解っているし、証拠もある
突きつけたらなんていうつもりなのか
どうせ又そこでも苦しい言い訳をして最後まで嘘をつき続けるんだろうけど
そんな風でしか生きられない事が悲しいし、可哀想
「嘘吐きは泥棒の始まり」って言葉は本当にその通りだと思った・・・