「自己肯定感」という呪縛を
感じることは ありませんか?
自己肯定感の高い
子どもを育てましょう
自己肯定感が高いと
幸せに生きることができますよ
そういった話を聞くと
自己肯定感が高くないと
幸せになれないの?
自己肯定感が低い私は
人間として
ダメということなの?
あまのじゃくに
とらえてしまうことが
私にはあります
私は
なかなか 自分を肯定することは
できませんでした
中学生以降
大学生、社会人になっても
自分はどこか欠けた人間なんだ
何もできなくたって
自分は素晴らしい存在なんだと
とてもじゃないけど 思えない
こんな私なんて
いてもいなくても 同じなんじゃないか
くらいには 思っていました
深刻に考えていたわけでもないのですが
自分を好きになれない。
自分を信じられない。
は 常にあったように思います
いろんなことが
なかなかうまくいかないのは
自己肯定感が高くなるような
育て方をしなかった
両親の育て方が悪かったんだ。という
今思えば
とんだ 見当違いなことを
考えていたときもありました
自己肯定感さえ高ければ
もっと人生 うまくいったのに。
こんなふうに
「自己肯定感は 高くなきゃ」 に
とらわれていたのかもしれません
子育てをするようになっても
自己肯定感が高いことは
すばらしい
自己肯定感が高くなるように
子どもを育てなければならない
ある意味
強迫観念のように
感じるときがあります
自己肯定感が 高ければ
物事に
意欲的にチャレンジできるし
困難な状況にあっても
心折れることなく
前を向いて 立ち上がる力はあるだろうし
悪いことは何もありません
でも
自己肯定感を高くする《ため》に
自分を褒めなきゃいけない
自分を素晴らしいと
思えなければいけない
あるいは
子どもは
褒めて育てなければならない
叱ってはいけない
となってしまっては
トンチンカンなことになってしまうように
私は思うのです
日々の関わりを通して
結果的に
自己肯定感が高くなればよいけれど
自己肯定感を高めることを
目的とすることによって
自分否定・自己嫌悪におちいったいるのは
なんだか 違和感だらけです
それは
そもそも 目的の設定を間違っている
目的と結果を
入れ替えてしまってはいけないのです
常にずっと自分大好き
自分って 素晴らしい。と思えること
≠ 自己肯定感が高い
自分のことを
嫌いに思うことがあってもいい
こんな自分は恥ずかしいと思う
自分がいたっていい
こんなに醜くて
人サマに言えないようなことを考えている
自分がいたっていい
人に優しくなくて
むしろ
人を見下してるようなところもあったって
そんな自分も
全部 自分なんだ
あーあ しょうがないなぁ。
と思えることが
自己肯定なのではないでしょうか
<自分が素になれる 居場所を確立する>
は 蟹座の学びです
私自身も勘違いしていて
なかなか腑に落ちなかった
自己受容についても 学びます
すばらしい自分だけでなく
こんな自分なんて。と思っているような自分も
受け容れ 認めるために
ライフレボリューションプログラムAwakeningで
学んでみませんか?
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最後までお読みくださり
ありがとうございました





























