親からしたら
欠点に見える 子どもの性質
そういったものがあったとしたら
それは
矯正すべきものなのでしょうか?
たまに読み返したくなる絵本といえば
『 あくたれラルフ 』
読むたびに
子どもって
親の思う通りにならないよな
親の所有物でもないよな
そういったことを再認識できて
子育ての原点を 思い出すことができます

あくたれラルフ
凶悪な目つきで 赤くて
あくたれ猫のラルフ
飼い主の女の子セイラは
あくたれでも ラルフのことが好きでした
セイラにとって
どんなに困ったことをされたって・・・
でも
どんな時も
かわいいと思っているわけではありません
・・・ 当然です
どんなに可愛がっている 我が子だって
ラルフほどではないにしろ
してほしくないことをしていたら カチンときます
何十回も読んだ絵本であることに
最近 とんでもないことに気がつきました
ラルフ、まともになれ。
と言っているのは、お父さんだけ・・・
セイラも、お母さんも
「その性格を直しなさい」
とは ラルフに全く 言っていない ことに。
ラルフの所業に
困ったり、悲しい気持ちになったりしたとしても。です
心を入れ替えたラルフでも
絵本の最後まで
どうしても あくたれてしまっていました
「あくたれ」 であることは
ラルフらしさであり、
本人も変えようのないところなのだ。
ということだと思います

自分に対しても、子どもに対しても
「ここがダメだ」
「ここを直さなきゃ」
欠点だと思うところを
なんとかして
直そうとしがちなのではないでしょうか
そこを変えようとして、でも変えられなくて
苦しくなったりしていませんか?
友だちと仲良く遊ばないで
ひとりでいることが多いから、心配
友だちをたくさん作るために
同年代の子と たくさん遊ばせなきゃ
友だちと遊ぶ約束をさせてこなきゃ
親がそんなふうに思っていたら
子どもは そんな親の圧力を感じて
苦しくなってしまうかもしれない
友だちと一緒にいない私は
変なんだ
ひとりでいたいと思うことは
ダメなことなんだ
そう思うようになっていったとしたら?
親の思うように
友だちと遊ぶようになったとしても
その子は 幸せではないかもしれません

誰かが思う 幸せの形 は
自分に当てはまるとは限りません
欠点のように感じる部分だって
大事な自分の一部で
無理矢理抑え込んだり
変えようとするところでは
ないのかもしれません
自分の性質を
矯正しようとするのではなく
どうやったら最大限
自分の生きたい生き方に発揮できるか
そこを考えていくことこそが
「自分そのまま」 で生きていくこと
自分で自分を尊重できる 生き方
なのではないでしょうか
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