先月偶然見たTwitterのアカウントで絶望的な気持ちにさせられた。

そのアカウントの男性は、全国をバイクで旅していたがADHDであることを苦にして最後の地の北海道で自死を選ばれた。

彼を知っているという人もいると思う。

最初は彼が可哀想でいたたまれなく涙が出た。

しかしふつふつと疑問と言葉で表現出来ない憤りが湧いてくるようになった。

何故なら私だってADHDだし何ならADHDの友達も多かった。

私は彼は死んではいけない人だったと思う。

ADHDの人達は皆人生絶望的だし死ななければいけない対象なのか?

中には苦労しながらも前向きに人生を生きている人もいると思うのだ。

そんな人までの人生も否定された気がして私は怒っていた。

もう一度言う、彼は死ぬべきではなかった。

それだけ影響を及ぼすことだったと思う。


私が今回このブログを書いているのは、これ以上自死によって死者を出したくないからだ。

ほとんどの人達は死んだらどうなるか考えていないのかもしれない...

もしくは楽になれるとでも思っているのか?


大違いだ。


私の話を信じるか信じないかはあなた次第だが、その内容を書いていこう。

ちなみに私も死にたかった一人ではある。

自殺未遂というか、本当に死のうと思って行動に移したこともある。

そんな私がなぜ死ぬのをやめたのか。

私もそんなに明るい性格ではないので、

「毎日頑張って生きなきゃ!」

とか毎日明るく健気に生きている訳ではない。

こういう言い方はどうかと自分でも思うのだが、でも本当にそういう感じではないのだ。

でも生きている。死ぬのをやめた以上生きるしかない、そんな感じだ。


まず人は自殺したら自分の死んだ場所から動けなくなるらしい。

そして暗闇の中、自死を選んだ時の感情のままもがき苦しむというのが自殺した後のシナリオだ。

しかもそれが何千年と続くという。楽になれるなんて、そんなことは全くない。

私はこのことを知ったその時、死ぬのをやめた。

死ぬ前より辛くなるのを知れば誰だって自死というのは考えなくなるだろう。

勿論信じない人もいるだろうということは分かる。でももしこの仮説が当たっていたら?

自分の大切な人生にこのようなリスクを冒すことはできないと思うだろう。

もしくはもう死んでもいいほど自分の人生がどうでも良くなっているにしても、ちゃんと冷静になって考えてほしい。

ADHDの人々は衝動という危険と常に隣合わせだ。

衝動というのはもはや危険だと私は思う。そして夜に悩み、衝動的にというのが多いのではないかと思う。

実際私も夜に悩み、家の二階から飛び降りようとしたことがある。

その時は偶然妹が私に気づき、飛び降りずに済んだ訳だが。

全国を旅していた22歳の彼も、ADHDだったということで衝動的になってしまったのかもしれない...。


分かるよ。死にたい時はもう本当にそれしか考えられないしすぐにでも死にたいよね。 

もう一瞬でも自分の人生を生きているのが嫌、そんな感じだよね。


でも一瞬、たった一瞬だけで良いから立ち止まってみてほしいと思うのだ。

その一瞬は絶対にあなたを悪い方向に向かせないから。約束します。


私はまだ22歳の彼の自死に憤りを感じていると言った。

彼なら絶対に幸せに生きることができたと確信していたからだ。

バイクで全国を旅することができる人が、不幸になるだろうか?彼は自分の人生を自分だけの力で切り開いていったと思う。

そんな人が自死で亡くならなきゃいけないなんて悔しくて仕方ないのだ。

もうこれ以上、誰一人死なせたくない。本気で思った。


「私にはできないかもしれない」

そう思うことがある。私には夢がある。

私もADHD。能力にバラつきがある。

福祉の力に頼りながら生活している、それが私の現実だ。

しかし私が目指している場所は全く違う世界。

実力勝負の世界だ。

そんな世界に私が飛び込むことができるのか?


数年前の東京大学の祝辞で上野千鶴子さんが読まれたスピーチの一節が忘れられない。

「頑張ることができない人もいる」

確かにその通りだ。しかし私は納得できなかった。

誤解しないでほしいのだが、そのスピーチは弱い立場の人達のことを思いやる素晴らしいスピーチだった。

しかし私には疑問が残った。

私たちは本当に頑張ることができないのか?

私たちはのし上がることができないのか?

成功はできないのか...?

できる人に譲るしかないのか?そんなのあまりに悔しい。

私はやるつもりだ。

確かに定型発達の人達に比べたら気が散りやすいし、モチベーションはすぐなくなるし、彼等よりは厳しい道だろう。

そして私は十代の頃見ていた夢を今も諦めていない。

人からは現実的じゃないと思われていることだろう。

しかし私は証明したいのだ。

障害を持っていてもやれると。

どうか絶望しないでほしい。

いつどこでどうなるかなんて分からないのだから。

きっと大丈夫。

苦労してきた分報われる日が来る。

きっと大丈夫だから。


私たちの輝かしい未来に乾杯!