18歳まで、私の夢はサッカー選手になることでした。
確か本気でプロを目指し始めたのが13歳の時。
毎朝6時に起きて近所の公園でサッカー、学校へ行って部活でサッカー、帰宅後近所の公園で夜20時までサッカー。
もう当時の記憶は薄れてきてしまったけど、とにかくサッカーが人生の全てで、毎日本気でプロを目指して努力していたと思う。
その努力が実り、中学時代には運良く県選抜にも選ばれます。
最高の仲間に恵まれ、チームとしても県大会で上位の成績を残すことができました。
ところどころ上手くいかずに落ち込むこともあったけど、ここまではそれなりに順調だったと思います。
そして高校進学と同時に、某Jリーグのユースチームへ入団。
ここからは過酷な日々が待っていました。
高校の授業が終わると急いで片道1時間半かかる練習場へ通う日々。
全国から集まったエリート達との競争に敗れ、中々試合に出られない。
帰宅はいつも23時過ぎ。過酷な練習で肉体は限界状態。
それでも厳しい母の躾で寝坊は許されない。毎朝たたき起こされ、自転車を飛ばして高校まで向かった。
1年生の頃はそれでも先輩のケガなどもあって、少しだけ試合に出場することができた。
運良く全国大会も経験することができました。
でも2年生になると、後にプロ入りする選手の多数出る世代が入ってきました。
そして私はベンチにすら入ることができなくなりました。
悔しくて周りの何倍も努力しました。
高校の同級生は放課後カラオケ行ったり、バイトしたり、彼女とデートしたり楽しそうにしていて、自分もそんな生活がうらやましく思ったし、何度も流されそうになりました。
でも何とかくらいついた。サッカーしかやってこなかったし、これしかなかったから。
けど3年生に上がる前。ある日の練習で大きなミスをしました。
ミスなんてたくさんしてきたし、それによって怒られることなんて日常茶飯事だったから慣れていました。
けどよく分からないけどその時だけは、気持ちが切れてしまった。本当に何でかわからないけど。
「こんなに頑張っても、まだこんなミスをしてしまうのか。もうどれだけ頑張っても俺は無理かもしれない。」
あまり思い出したくないことだけど、次の日両親の前で泣きながら言いました。
「俺もうサッカーやめたい・・・。」
当然両親には猛反対されたし、当日の自分にとっては受け入れられないことも言われました。
でももう悔しさとかもわかなかった。抜け殻のようになってしまった。
そして自分で監督に電話して、伝えました。
「僕はもうプロを目指して頑張ることはできません。だからこのチームにはいられません。」
そこから1ヶ月。空白の高校生活を過ごしました。この時は人生のどん底だった。
何となく学校へ行って、何となく悪さをして先生たちに迷惑かけ、家に帰りたくないから遅くまで友達と遊んで・・・。
目標も何もない。今まで人生をかけてきたサッカーがなくなり、自分の今までの人生は何だったのか・・・なんていつも考えてました。
そんなある日。高校のサッカー部の部長が声をかけてくれました。
「サッカー部入らない?一緒に全国目指そうぜ!」
正直かなり迷いました。私はGKでしたが、サッカー部にはすでに3人のGKがいて、彼らが2年間切磋琢磨して努力して、チームを支えてきたことを知っていたから。
自分が入ったら彼らは試合に出られなくなる。それでいいのか?
試合に出られない悔しさを誰よりも知っていたから、そんなことを強く考えていました。
でも、自分の気持ちに嘘はつけなかった。やっぱりサッカーが好きだったから。
両親を説得して、サッカー部に入部しました。
やるからには本気でやろうと思い、ピッチに入れば誰よりも声を出し、時には厳しい言葉をかけ、チームに情熱を送り続けました。
恐い人だと思われないように、ピッチから離れた時には冗談を飛ばし、チームの空気を明るくするように心がけました。
そんな自分をサッカー部のチームメイト達は優しく受け入れてくれました。
私が入部することで試合に出られなくなってしまったGK3人のうち、2人はやめてしまいました。1人はベンチで私を支えてくれました。
今でもこの3人には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
最高の仲間達に恵まれ、それまで初戦敗退続きだったチームは、県大会ベスト32まで勝ち続けることができました。
この時のチームメイトには本当に感謝の気持ちしかありません。きっとあの時部長がサッカー部に誘ってくれなかったら、みんなが自分を受け入れてくれなかったら、今頃私はどうしようもない人間になっていたと思います。
そして最後の夏。全国行きをかけた選手権予選は2回戦で負けてしまいました。
最後の最後までやりきったから、後悔はありませんでした。負けたけどすがすがしい気持ちでした。
この時、本気のサッカーはもう終わりにして、受験勉強を頑張ろうと決意していました。
ユースでサッカーをしていた頃から将来プロになれなかったら、教師になってサッカー部の顧問として子ども達にサッカーを教えたいと考えていました。
だから必然的に志望する大学は教員免許を取得できる大学、学部となりました。
はじめは体育大学に行って体育の先生になろうと思っていた。
けど3年夏休みの進路面談で、考えが変わりました。
「あなたならきっと偏差値の高い大学にも行けるよ?頑張ってみたら?」
実は体育大に進むことには多少抵抗がありました。
きっとユースの奴らはサッカー推薦で体育大やサッカーの強い大学に行くだろう。
だったら自分は勉強で行くのだから、偏差値の高い、社会的に名の通っている大学に行きたい。
正直不安はありました。高校も推薦で入ったし、サッカーばかりやっていたから中学時代からまともに勉強なんてやってこなかったから。
でも当時通い始めた個別指導塾の先生に影響や、周りに同じ大学を目指す同級生がいたこともあり、某MARCHの大学を目指すことになりました。
ここで私の人生は変わりました。この進路変更がなかったら、私は今頃教師になっていなかったかもしれません。
私は一度火がつくと止められない性格で、目標が決まってからは猛勉強の日々が始まりました。
サッカーに費やした人生が無駄ではなかったと知ったのはこの時です。
ユース時代の過酷な日々に比べたら、受験勉強の辛さなんて全く大したことありませんでした。
夜中2時まで勉強して、朝5時に起きる3時間睡眠生活が始まりました。
朝起きるのは辛かったが、サッカーのような肉体的疲労がないことと、サッカーと違って問題をミスしても誰にも迷惑かけることもなく、誰にも怒られることがなかったことによって、前向きに受験勉強に打ち込むことができました。
きっとユースでの過酷な日々がなかったらこの時の受験勉強は乗り越えられなかったと思います。
そして3月。目標だった某MARCHの大学に合格することができました。
この受験勉強を通して、努力が裏切らないことを知りました。
たとえ夢を叶えられなくても、その過程が自分を成長させ、宝物になる。
そのことを教師になって子ども達に伝えていきたい。そう強く感じるようになりました。
サッカーしかなかった自分。そしてそれを失い何もなくなった自分。
でも、大嫌いな勉強を頑張ることができた。自分はサッカーだけでなく、色々な可能性を持った人間なんだと知ることができました。
どんなに辛いことがあっても、負けずに頑張っていればいつか良いことがあると強く信じることができるようになりました。
この経験が教師となった今も私を支えています。
昨年、学級崩壊した時も辞めずに乗り越えられたのはこの時の経験があったからだと断言できます。
日々の激務の中で私たちは何で教師になりたかったのかを忘れてしまいがちです。
もう一度あの時の気持ちを思いだして、頑張っていきたいと思います。
大学入学後から採用試験合格までの話はまた時間のある時に。
できれば記憶の薄れないうちに記録しておきたいと思います。