聖書を読むときに、
歴史書として読むことと、
個人的なメッセージとして受け取ることを
区別するようにしています。
聖書は、歴史書ですが、預言書です。
聖書は過去の記述や、
各教会に当てた手紙、また未来の預言など、
さまざまな時系列の文章が連なっています。
聖書は、さまざまな作者がいて、
さまざまな時代背景から、
さまざまなことを書いています。
なので、普通の書籍と違って、
ごちゃまぜにすると、簡単に混乱するんです。
普通、本と言ったら、
一人の作者によって、一時期に書かれた、
一つの趣旨の本。
2016年発行の本だったら、
書かれた時代も大体その時代。
けれども、聖書って、まるで、
私の本棚にある古い本、新刊、
引き出しに入っている手紙などなど、
様々なタイプの活字を、
一つテープでまとめて、
本にしたようなもの。
背景も仕組みもよくわからないと、
混乱しないほうが、不思議なものです。
聖書は、
一言で「良い教え」の本ではないです。
福音が含まれているので、
もちろん、「良い教え」の本ではあるけれど、
それはまた全体の一部です。
聖書は、「歴史書」の本ではないです。
大部分が歴史書だけれど、
未来のことも書かれているので、
いわゆる歴史という、
過去のことだけかと言ったら、
それもまた全体の一部です。
聖書って、本当に奥が深いです。
そして、この奥深さの中に、
生きた神様からのメッセージが
沢山あふれています。
個人的に語られる時もあれば、
個人などという枠を一気に超えて、
ただ主の偉大さだけを語られる時もあります。
モーセや、エジプトが、2025年に生きる私に、
何の関係があるのかと言ったら、
自分に今語っている生きた主が、
この聖書の中にある同じ主である、
という関係性。
モーセの神様ではなくて、私の神様。
モーセの神様が私の神様。
ものすごく、すさまじい、
大きな大きな偉大な神様が、
この小さな私を気遣い、関心を寄せ、
愛してくれているんです。
ダビデの神様が私の神様。
パウロの神様が私の神様。
時代を超えて、時間軸を超えて、
聖書がまるで生き物のように、
今日も2025年の私に語ってくれます。
感謝☆