親と話して、
少し心が重くなった。
だから、なんだか関わるのが面倒くさくなってきた。
というのはクリスチャンの生き方ではない。
クリスチャンの生き方って感情は関係ない。
感情を指針にして、ふらふら動くんじゃなくって、聖書にどう書いてあるかが指針となって生きていく。
聖書は、両親を敬うように言っている。
だから両親を敬う。
理由はクリスチャンだから。
え、でも感情がついてこないんです。
という人がいる。
そうするとまた最初の話に戻って、
だから感情は関係ないんです。
感情はそうであっても、指針は聖書に戻っていく。
いや、でも感情がついてこないんです。
という。
そうなるとわかりました。
あなたは自分の感情が全てを支配しているということですね。
という話になる。
つまり、あなたの主人は感情であって、気分が悪いと人に対してぞんざいに扱い、感情の気分が良いと大切にするということなんですね。
という話になる。
聖書の教えはまるで違う。
人を愛しなさいということ。
感情が気分がいい時には人を愛し、
気分が悪い時には人を蔑ろにしてもいいです。などということは一切書かれていない。
クリスチャンの舵取りはシンプル。
聖書がなんと言ってるのか。
神様はなんと言っているのか。
ちなみに人を愛していると、
気分がどんどん良くなっていく。
気分が悪くなったのは、
そもそも人を愛することを躊躇したから。
神様は愛。