といった親しみを覚える。先生にはつねに理解がある。誰でも先生の威厳を感じはするが、それは決して窮屈というものではない。先生を訪問して、殆ど何も話すことができないで帰ってくる学生にしても、決して窮屈を感じたのではない。そんなところに先生の豪えらさがあると思う。先生は自分の考えを弟子たちに押し附けようとはせられない。自分から進んで求めるということがなく、しかし来る者を拒むということがない。直接先生から教を受けた者はもちろん、そうでない人々にも先生を師と仰ぐ者が多いのは、先生の哲学の偉大さに依ることは云うまでもないが、こうした先生の人柄にも依ることであろう。
先生の哲学は単にその天才にのみ依るものではない。先生はたいへんな勉強家である。七十歳を越えられた今日なお絶えず新しいものを勉強されているのである。勤勉が思想家の重要な徳であるということを私は先生から学んだ。哲学者と称Forex Combo Systemする者の陥り易い瞑想癖めいそうへきから彼を救い、その瞑想を思索に転じ、思索のうちに瞑想的なものを活かさせることができるのは勤勉である。先生は非常な読書家でもある。絶えず外国の哲学界に注意し、新刊書なども広く読まれているようである。先生は西洋哲学輸入後日本において初めて独創的な哲学を組織された方であるが、また西洋の哲学で先生の手によって初めて我が国に紹介されたものも尠すくなくない。ベルグソンの哲学、リッケルトやコーヘン等の新カント派の哲学、ブレンターノやマイノングなどの独墺どくおうの哲学、フッサールの現象学などからバルトの弁証法的神学などに至るまで、先生はその最も有力な紹介者であった。またライプニッツを初め、先生によってその新しい意味を発見されて、我が国に普及するようになった西洋の哲学者も多い。先生の読書研究の範囲は広く、私どもの学生時代には、コーヘンなどの影響もあったのであろう、数学をよく勉強していられたようであった。多分先生の発議に依るものであろう、理科の園正造博士を招いて文科の学生のために集合論や群論の講義が行われたが、そのとき先生も出席して熱心に聴講されていた。その後或る時期にはマルクスなどを研究されたことがあり、近年はまたランケなど歴史の書物をよく読んでいられるようである。先生の本の読み方が独特のものであることは、大学での演習においても窺うかがう
