-----この世界に映る偽りという名のボク。 -2ページ目

-----この世界に映る偽りという名のボク。

基本書いているのは短編という名の自分がふと思ったことです。
誰かの心に留めていただけるような文章が書けるように日々頑張っています。

-------人は自分自身よりも、自分の背景を褒められたほうが嬉しい。

それは、それが自分を作ってきたものだから。

同時に、それを否定されたら人は自分を馬鹿にされたことよりも怒る。

それは、それが自分自身の人生自体を否定されたように感じるから。

大事なものなんてないなんていう人もいるけど、必ず心のどこかに自分を作り出してくれた人、環境といった大事なものがある。

それが何かは人それぞれだけれど、もし自分の大切な人の大事なものに気がついたとしたら。

絶対に否定してはだめ。
どんなに悪いものだったとしても、それは自分の価値観でしかない。

君が大事ではないと感じたとしても、その人にとっては何よりも大事なものだから。

人は自分の価値観でしかものを見れないから、そのことを見失いがちになる。

もしかしたら、その人のために発した発言なのかもしれない。
でも、それは実はその人を傷つけるナイフにしかなっていない。

そして、それに気がつけずに人はどんどんナイフを突き立てていく。

なんて残酷なことだろう。

考えたらゾッとしないかい?
もし、ゾッとしたり、ハッとしたのなら。

今後はそのようなことはやめていただきたい。
大切な人を失いたくないのなら。

大切な人にずっと笑ってほしいのなら。

どんな人生だとしてもその人を作ってきた出来事なのである。
それに他人の主観なんて関係ない。

他人にどうこう言われるようなものではないのだから、人生という名の道は。

最近 自分と向き合うことが多くなって

 いやな自分に気が付くようになった。

 

なんであれが出来ないんだろう。

 あの人だったらああ出来るはずなのに。

 

劣等感ばかりが胸に渦巻く。

 

分かってるのに。

 他人なんて気にせずに自分らしくいればいいってことくらい。

 

でも

 できないんだよ。

 

自分にないものを持っている人が多くて

 その人が持っているものがうらやましくて。

 

妬んでいるわけじゃなくて

 素直に尊敬しているからこそ

   なんで僕に出来ないんだろうって思ってしまって。

 

そう考えているうちに

 今まで軽く踏み出せた一歩が進めなくなってしまった。

 

人と関わるのも怖くなってしまった。

 笑っている自分も本当には笑えていなくて。

 

いつもどこか胸につっかえてる。

 

逃げ出したくなって

 何も手につかなくなりそうになって。

 

でも、

 やらなくちゃいけないことは山積みで。

 

助けてくれって言ったくても

 みんな同じか、それよりも頑張っているのが分かっているから

   もっと何も言えなくなる。

 

「え、それって逃げてるだけでしょ。」

 

そう思われるのが怖くて。

 

だから何もないように笑うのが精一杯だ。

 

ちゃんとやることはやれているから

  誰も気が付かない。

 

それでいい。

 

助けて。

 

それでいいんだ。

 

気が付いて

 

今誰かに気が付かれてしまったら

 何かが壊れそうで。

 

こういうときも 

 あの人みたいに容量が大きかったらって考えてしまって。

 

…なんで僕は「僕」なんだろうか。

 

どんどん考えは悪い方にしか向かわなくて

 もっともっと僕の首を絞めていく。

 

でも

 最終的にいつも思うのは

 

そう思っている限り自分は立ち止ったままなんだろうなぁ

 

ってこと。

 

沢山考えてぼんやりした頭で思っても

 結局行動に移すほどの気力がないため何も変わらないけれど

   

考えるだけで止まっている限り僕の劣等感はしばらく続くだろう。

 

簡単に変われない。

 それがもしかしたら本当の僕なのかもしれないし

   

ただ単に一時的に気が滅入っていて

  自分と違って気力に満ちている人が

    羨ましく感じているだけなのかもしれない。

 

この劣等感から抜け出すためにはきっと

  僕が逃げている人達に向き合うしかないのかもしれない。

 

僕が今

 「なんであの人みたいに…」

   って思っている人も

     もしかしたら同じ気持ちを抱えているのかもしれない。

 

僕と違う世界にいるんだろうなっている人も

 もしかしたらそう見せているだけで 

    僕と同じなのかもしれない。

 

今は推測に過ぎないけど

 確かめるために向き合わないといけない。

 

それは怖いことだし

  無駄足になるかもしれないけど

 

何もしないで劣等感に包まれていたままだったら  

  何にも楽しくないから。

 

どうせ同じ時間過ごすなら

 僕だって笑っていたいから。

 

僕は…まずは

  昔の友達にでも久しぶりに会ってみることから

     始めてみようと思う。

 

…久しぶりに話してみたら、

   今まで見えなかったものも見えるような気がして。

 

・・・なんとなく、だけどね。

---「早く大きくなりたい!!」

そう小さい頃は思ってた。

小学生の時は中学生に。

 中学生になったら、高校生に。

   高校生になったら、大学生に。

 

早く大きくなって 自由になりたかった。

 自由になれるって信じていた。

 

「ハタチを超えたら、たくさん自由がなくなるんだよ。」

 

そう大人たちは言っていたけれど、

  車にも乗れるようにもなるし、お酒も飲めるようになるし 

    親に許可を取らずに自由な場所に行けるって思ったら

      〝自由が広がる"の間違いじゃないの?

         って思ってたんだ。

 

だけど 大学生になった今。

 確かに自由は広がった。

  一人暮らしになって遅く帰っても 

   友達の家に誰の許可も取れずに泊っても

    だーれも何も言わなかった。

 

最初は、「ほら、自由じゃん!!楽しいこといっぱい!!」

 

そう思ってたのに。

 月日が流れて、『ハタチ』になった時。

 

「もう、○○もハタチになったから、話すんだけどな…」

「まだ、お前が高校生だったら言わないよ。」

 

そう

…知らない方が幸せなのに。

って思うことがたくさん増えた。

 

耳をふさぎたいのに

 向き合わなくちゃいけないことだからふさげなくて。

 

無情に入ってくる 現実。

 

気づいてしまった。

 

『自由』なんてずっと前から…

  私にはなかったんだってことに。

 

「あなたの好きなようにしなさいよ。」

 

その言葉は、別にこれからの長い人生の中の少しの気休めだった。

 

「就職は、地元じゃないと許さないから!!!

                  それが嫌なら出てけ!!!」

「いつからそんな子になったの?!

   あの素直な○○はどこに行ったの?!」

 

大きくなって吐かれた言葉は

  すべて自由を縛られる言葉だった。

 

---世の中には我慢しなくてはいけないこともある。

    どうしようもできないことがある。

 

そんなこと分かってたよ。

  知ってたけどさ。

 

私の未来は、自分で少しも選択できないような

  

     『どうしようもできないこと』

 

                     だったの?

 

それに対して少しでも反論や

  自分の思いをぶつけたら、

 

「なんでそんなに自分に自信があるの?

  どこからその自信が出てくるのかお母さんには分からないわ。」

 

「そんな事あなたにできるわけないじゃない。」

 

…否定しか返ってこなかった。

 

別に、自分に自信があるわけじゃない。

 自信がないからこそ、今自分ができることを精一杯頑張ってるのに。

 

そんなこと、どうでもよかったみたいだ。

 

その瞬間、自分がなんのために頑張ってきたのか分からなくなった。

 あと。

「あ、この人にとって私の人生の幸せなんてどうでもいいんだ。」

 

って感じてしまった。

 

…そう感じた時、子供のころに見た、

    『自由』なんてどこにもないことに気が付いた。

あの頃たくさん夢を語ってもよかったのは

  親が「叶わない」って思ってたから許されてたのだろうか。

 

そうだとしたら。

 …私の今までって、何だったのだろうか。

 

それを考えれば考えるほど

 

(…大きくならなければよかった。)

 

あの時大人たちが言っていた意味が少しわかった気がする。