23日の予定日から1週間、30日の午前4時頃から妻の本陣痛が始まり、私の母親とともに、病院に行きました。病院につき、入院は決定したものの、子宮口がまだ開いていないようなので、ずっと拒んでいた陣痛促進剤を相談した結果、打つことになりました。
それから、妻の痛がる顔は大変なものでした。食事も取れないし、寝ることさえもできない。代れるものなら代ってあげたいと1人病院のトイレで泣いてしまいました。
僕ができることは出来るだけそばにいるということで、一度自宅に戻り、また夜中の3時に病院にいきました。そして午前9時から再度陣痛促進剤をうち、午後の検診では子宮口がかなり開いていることがわかり、助産婦さんも「あと少しだね」優しく声を掛けてくれたのが印象的でした。
そして12月1日の午後3時45分に分娩室に移動し、本格的な分娩が始まりました。そもそも私自身、出産に立ち会うかギリギリまで悩んでいました。というのは痛がっている妻を見たくなかったから。但し、やはり陣痛を目の当たりにして、できればそばにいたいと思いが強くなり、出産に立ち会うことになりました。
そして午後4時39分、元気な女の子が産まれました。そして父親として始めて自覚した瞬間でもありました。妻にがんばってくれてありがとうという気持ちのほかに、自分の両親にありがとうとこころで呟きました。きっと父も母も私が生まれたとき、今の自分の心境だったと思います。
名前は前々から妻と相談していました。 名前は「遥花」。
意味は遥かな夢を持ち、花のように周りの人に優しい気持ちを与えられるような女性になってもらいという意味と、遥か長い年月をかけて、世界でたった一つの自分らしい花を咲かせてほしいという意味です。
ただ、出産する際、羊水の中で排尿してしまったため、感染してしまい、大事をとって、別室で安静しています。しかしママの母乳のおかげで大分元気になってきているみたいです。
退院するのが待ち遠しくそわそわしているダディーです。
それから、妻の痛がる顔は大変なものでした。食事も取れないし、寝ることさえもできない。代れるものなら代ってあげたいと1人病院のトイレで泣いてしまいました。
僕ができることは出来るだけそばにいるということで、一度自宅に戻り、また夜中の3時に病院にいきました。そして午前9時から再度陣痛促進剤をうち、午後の検診では子宮口がかなり開いていることがわかり、助産婦さんも「あと少しだね」優しく声を掛けてくれたのが印象的でした。
そして12月1日の午後3時45分に分娩室に移動し、本格的な分娩が始まりました。そもそも私自身、出産に立ち会うかギリギリまで悩んでいました。というのは痛がっている妻を見たくなかったから。但し、やはり陣痛を目の当たりにして、できればそばにいたいと思いが強くなり、出産に立ち会うことになりました。
そして午後4時39分、元気な女の子が産まれました。そして父親として始めて自覚した瞬間でもありました。妻にがんばってくれてありがとうという気持ちのほかに、自分の両親にありがとうとこころで呟きました。きっと父も母も私が生まれたとき、今の自分の心境だったと思います。
名前は前々から妻と相談していました。 名前は「遥花」。
意味は遥かな夢を持ち、花のように周りの人に優しい気持ちを与えられるような女性になってもらいという意味と、遥か長い年月をかけて、世界でたった一つの自分らしい花を咲かせてほしいという意味です。
ただ、出産する際、羊水の中で排尿してしまったため、感染してしまい、大事をとって、別室で安静しています。しかしママの母乳のおかげで大分元気になってきているみたいです。
退院するのが待ち遠しくそわそわしているダディーです。



