再掲!!
だいぶ前に書いてたことで、
今の自分に戒めになってしまった。、
一度きりの人生。
とどまることのない時間との戦いの中で、
自分は人に何ができるだろうか?
「何ができる」と言えば
傲慢な言い方ではあるけれど。
人付き合いを通し、仕事を通し想うことは、
支えてくれる人達がいればこその「この今」は、
独りだけではつくれない「空間」であり、
「時間」であり、「わたし」であるということ。
生きてる限り、独りだけでは何も起こらない。
感情も、現象も。
日本人は感情を表現するとき、
自分を主体として言葉に表すが、
そういった繰り返しが、
大切な何かを見落としてしまっている気がする。
怒りも憎しみも悲しみも
喜びも嬉しさも楽しさも
原因がなければ、感情は発動しない。
感情が沸き起こるとき、
ああ、自分は独りではないのだなと、
「ありがたく」思う。
独りではないということを感じる。
それは幸せなこと。
「ありがとう」は
「有り難う」と書くではないか。
古典を学べば、一度は目にしたことがあるだろう、
「有り難し」の
「めったにない/すばらしい/生きていくのが難しい」
に由来する。
だから、何かで負の感情が起きたとしても、
その原因となること、人、ものに、
負の感情を抱いたことはない。
もし、そこに負を抱けば、
「ありがとう」がウソになる。
「幸せ」もウソになる。
今ここにあるものを否定することになる。
それは自分独りしかいない
寂しい世界ではないか。
自分がこうだと思ったことも、
伝えたいことも100%の疎通はあり得ない。
自分の表現力、相手の理解力を考えれば、
伝えたいことの3割が通じれば良いのだろう。
でもなるべくなら。
独りではない「この今」を、
存在してくれている「あなた」に
「ありがとう」を感じるならば、
これでいい、これがいい、という選択は、
果たして是であるのか?
そう思うと、今ここに踏みとどまれない。
内省すること、内観すること。
3割を4割に、4割を半分までに引き上げるために、
自分は何ができるのか?
自分のいたらないことは何なのか?
頭も心もめぐらさずにはいられない。
自分をごまかすということは、
今の自分から逃げること。
自分をごまかし続ければ、
いつか自分が傷つき、
大切な誰かをも傷つけることになるだろう。
「ありがとう」
を大切にできれば、
自分をごまかすこともないだろう。
だから。
自分を大切にできる人は
他人も大切にできる。
目の前の出来事を、
その現象のありのままを受け入れられる。
この道に無駄なものがないということが
観えてくる。
一度きりの人生だからこそ。
何かしらの形に変えて
「ありがとう」
を伝えることなんだろう。