これまた古い…。

 

この頃には離婚考えてたから

万が一ブログがバレた時に

親権争いにならないように

こういう記事はあげなかったのよね…。

 

 

ビーグルしっぽビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルあたま

 

自分のことも子供のことも

どうでもよくなってた。

 

やらなきゃいけないこと

なにもやってない。

 

保険の見直しすらしてない。

 

時間がないからだけじゃない。

 

もうそんな難しいこと考えられないから。

 

 

子供の教育でやりたいこと

たくさんあった。

 

私自身のやりたいことも

たくさんあった。

 

なにもできてない。

 

どれも

友達と会うのとはわけが違う情報量を

さばかなきゃいけないから。

 

 

最初は、今は仕方ないって思ってた。

 

でも辛い時期が続いて、

もうどうでもよくなった。

 

お金なくなったら死ねばいい

としか考えられなかった。

 

 

それは本心だけど、

でも「どうでもいい」と思わないと

やってられない部分もあった。

 

どうでもよくないなら

保険の見直しすべきだし、

どうでもよくないなら

子供の教育のためのアレコレも

すべきだから。

 

 

「べき」って言うと

キツイ印象だろうけど、

 

実際、学資保険の利率?なんて

知ってるだけで二回も下がってる。

 

子供だって、もう二歳。

 

脳の発達がさかんな時期は

3歳までと言われてるのに、

その貴重な時間を無駄にした。

 

 

眼のために外にたくさん出たかった。

綺麗なものも色々見せたかった。

童謡の英語の歌詞を覚えて、

CD流して歌いながら家事したかった。

英語教室も行きたかった。

正しい英語の発音に0歳、

遅くとも1歳から触れさせたかった。

1歳になったら

リトミックもいいなって思ってた。

特性に合った習い事があれば

始めてもいいかもって思ってた。

 

私は、産前取った資格を活かして

ネットでハンクラ売ったり

教室開いたりしようかなって思ってた。

 

 

まぁ私のことはいい。

タイムリミットのない話だから。

 

でも、保険だの資産運用だの

乳幼児教育だのは、

「その時」を逃しちゃいけない。

 

なのに、

私は「その時」にできなかった。

 

「今だな」って感じてたのに

できなかった。

 

面倒とか大変とか辛いとか

そういう気持ちが勝った。

 

無駄にした時間は

逃した「その時」は

大きい。

 

そしてもう戻らない。

 

 

それを直視するのは辛すぎて、

だから「どうでもいい」ってことに

したんだと思う。

 

 

毎日毎日死にたいと考えて、

いや死ぬのは貯金使い切ってから

って思いなおして、

お金なくなったら死ねばいい

って思うようになって…。

 

 

そもそも

最初にどうでもいいとしたのは

赤ちゃんの生命。

 

本当に絶対死なせたくないなら、

産院のコットについてたような

呼吸しなくなったら

アラーム鳴るやつ買うか、

寝てる子供の呼吸確認を

5分おきにすべきだと思ったけど、

しんどくてどっちもやらなかった。

 

後者は現実的でない

とする人もいるだろうけど、

1晩2万で人を雇っても、

×6ヶ月=360万の経費だ。

 

働いてた時の私の年収より安い。

 

寝て起きたら

赤ちゃん死んでて

後悔することを

360万で防げるなら、

そのくらい出そうよと私は思う。

 

でもやらなかった。

 

私の中では、

『死なれたくないなら

まだまだできることあるのに

しないで寝る=

死なれても構わない』ということだ。

 

死なれたくないならあれこれしなきゃ

→しんどくてできない

→ん~じゃあもう死ぬなら死ね!!

と思って寝る。

 

 

寝返りするようになってからは

さらに顕著だった。

 

うつぶせ寝について、

「一晩中起きて見張ってなくてもいいけど

気がついたら仰向けに戻してあげましょう」

って書いてあったけど、

あおむけに戻した直後に

うつぶせになる。

 

寝返り防止に物を置いても全然ダメ。

 

しばらく仰向けでも、

私が寝つく前にうつぶせになる。

 

…寝られない。

 

それでも寝るなら

それはもう未必の故意だと思うけど、

私は赤ちゃんの安全より

自分のしんどいを取った。

 

そういうのも、

どうでもいいと思わなきゃ

私にはできないことだった。

 

 

猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま

 

改めて読んでみると

この追い詰められ方は

病んでるっていうより

私の性格とカサンドラだなぁって思う。

 

 

私は自分の責任がどこまでかを

しっかり図って対応する。

 

だから仕事においては、

抱え込みすぎないから

自分の仕事をきちんと回せるし、

周囲を甘やかしてダメにすることなく

育てることができていたし、

「ここまでやってダメならやむなし」

って線引きもできた。

 

でも、子供の健康と安全では

「ほぼすべてが私の責任」だった。

 

 

これ、当たり前なようで

間違ってるからアセアセ

 

「夫はどうしたぁぁあ!!」

って話だからアセアセ

 

 

妻が産後

精神的身体的にしんどくて

あれもこれもできないなら、

そこを支えフォローするのが

夫の責任だよね。

 

でも、思い至らなかったのよね、

今までタラー

 

 

「俺は仕事してるし

そういうの得意じゃないから

それはあなたの分野ね。

だからその分野においてのミスは

ほぼ全部あなたの責任だから。

俺には連帯責任的なものしかないから。」

っていう夫の無言の圧力というか

言動から垣間見える圧に

知らない間におされてた。

 

(例えばこのへんが圧力↓

https://ameblo.jp/ikuji-iyanakoto/entry-12379965135.html

https://ameblo.jp/ikuji-iyanakoto/entry-12393011185.html

https://ameblo.jp/ikuji-iyanakoto/entry-12375604883.html

https://ameblo.jp/ikuji-iyanakoto/entry-12352217256.html

 

 

ほんとね、私がこんなに

一人で抱え込まなくて

よかったんだよ。

 

夫に相談して

二人で考えればよかったんだよ。

 

それができない夫だったから、

そして私も「これ全部私の責任」って

思わされちゃってたから、

こんなに追い詰められたんだよ。

 

カサンドラおそるべしおばけくん