これからはツイッターのロングバージョンみたいな、あんまりニイガタとは関係ないことも書いていこうかな(というか、ツイッターの文字数制限がほぼなくなって1万字書けるようになるとかいう完全改悪の話ってどうなったんだろ)。
それでですね。
先日、友人と話していたときに「言葉知ってねえとやっぱりダメだな」と、彼がぽつりと言ったんですよ。
要するに、「感情とか思いとか、そういう抽象的なものを表すには、たくさん言葉を知っていてそれを使いこなせないと自己が表現できない」ということでして。
確かに。
昔、高校時代に「国語表現法」という授業がありまして。
その中で誰だったかな……確か小林秀雄だったと思うんですが、「道端に何かの花が咲いていたとする、それを自分は○○の花だと名前を思い浮かべ、認識する。しかしそれで、その花のことが本当に理解していると言えるだろうか? 花の名前をもし知らなかったら、より深い考察や観察ができるのではないか?」というような随筆でした。
ただ、今になって思うのは、「事象は言語によって範疇となり、認識の礎となる」ということです。
えーと、小難しいことを言っているように聞こえてしまうと思うので、例を挙げます。
何がいいかなー。すぐに思い浮かばなかったので、多少重い話になるけどご了承ください。
「新型うつ病」ってありますよね。これは一般的にそれまで知られていた「うつ病」とはちょっといろいろ違うらしいんですね。
・10代~20代の若年層に多い
・自責より他責の意識が強い
・勤務日にはかなり気分が低調だが、休日には比較的アクティブに動ける
あといろいろあった気がしますけど、ググるのも面倒なんでこの辺で。
疾患名としては症状から考えて適応障害の方がいいんじゃないかと個人的に思ったりもしますが……とにかく「新型うつ病」という言語が生まれました。これは厳然たる事実なんです。
こういう「言葉」が生まれたことで、「新型うつ病」が世間に生まれたわけです。
この言葉が生まれるまでは、おそらくこの症状の人は「怠け者」とか「ゆとり」とか「無責任で勝手な奴」くらいしか思われていなかったはずです。でも、この言葉が生まれたことで、こういう人たちは「病人」にカテゴライズされちゃうわけですよ。
別に悪いとかいいとかそういうことを言っているわけではなくて、類似例っていうのはものすごくいっぱいあるはずです。例が思いつかないから書かないけど。まあ、「疾病利得」っていうのを思い出しちゃいますけどね……うん……(知りたい人はググってください)
言語というのは結局、重要なコミュニケーションツールであるばかりでなく、その人の思考や感情をも支配するある意味恐ろしい道具でもあるわけです。優秀なものは劇毒にも妙薬にもなるいい例ですね。
言葉を操る人間として、その点は評価しつつ、畏敬してもいきたいなあと思うこの頃です。
ちなみに、言葉をたくさん知っていると、それだけ世界が豊かにフレキシブルに見ることができると、個人的な経験から考えています。
wikipediaの英語版で見られる記事は5万、日本語版でのそれは1万。
英語を知ってると世界が単純に5倍広がるって厚切りも言ってました(賛否両論あるらしいですが、私は厚切りジェイソンさんの考え方はわりと好きです。ドライだし)。
言語能力って大事。外国語はできるわけではないけど、母語である日本語の他にある程度読めて理解できる外国語がいくつかあって、「これは日本語に当てはめると○○だけど、英語で考えるとどういう表現になるのか?」とか「英語でこの日本語を表すとこうなるけど、フランス語やイタリア語だと?」みたいな遊びをヒマなときに延々とやったりしてます。ちなみに気合いで話せることは話せる、文法のちがいは一切気にしないぜ! 程度です。言葉の下手の横好き。
眠い。ちょっと寝る。
それにしても今日のニイガタはいい天気だ、春だな PPY25
「アイシテルニイガタ」をモットーに日々生きるPPY25が、
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