先日、実の兄が亡くなった。
兄は双子だった。
私は子どもの頃、双子というのがどんなものか、よくわからなかった。
ーーーだって2人とも兄ちゃんだし。
近所のおばちゃんから『お兄ちゃん2人は本当によく似てる』と言われたが、どこが似ているのか全くもってわからなかった。
ーーーだって、全然顔違うし。
他人から見たら同じ顔、そっくりってことなんだろうけど、私には全く違う顔つきで、どこ見てそう思うのかなって不思議で仕方なかった。
けれど、亡くなった兄の顔は、双子の兄の顔に本当によく似ていた。
兄は、地元に残っている他の兄弟と違い、卒業と同時に上京して以来、休暇と法事以外で帰ってくることは殆どなかった。
兄弟と私とは、私1人だけ年齢が離れており、年の差があり過ぎて高校に入るまでろくに話したことも覚えてない始末。
とはいえ、年齢が上がるにつれ兄弟と話す事が増え、今では一番の相談相手は姉だ。
我が家は割と仲が良い家族のようで、長期連休の時や地元の祭りなど、何かにつけて実家に集まる事が多い。
なんだかんだ、『今年は連休帰るのムリかも』なんて言いつつも、『2、3日休み取れたから、今から行く~。』とか、『いま駅にいるから迎えに来て~。』なんてこともしばしば。
帰って来たことを知らなければ、誰かから『〇〇帰ってきたよ』と連絡があり、実家に兄弟が集まる。
ふざけたことばかり言って周りを失笑させ、双子の2人はゲームに勤しむ。
ーー当たり前の日常。
そんな兄が、急に亡くなった。
『あの時こうしていれば…』『もっとああしてやれば…』
色んな後悔、思いが家族それぞれにあり、それぞれが哀しみに暮れる。
突然の死というものは、深い関わりのあった者にとって余りにも残酷だ。
残された者には悲しみしかない。
父が亡くなった兄に
『親より先に逝くとは残念でならない』
双子の兄は『悔しい』
と泣いた。
今まで子供に先立たれた親が語ったであろう言葉だけど、まさか自分の親の口からこの言葉を聞く日が来るなんて思わなかった。
母は気丈に振る舞っていた。
けれど、いざ棺に移された兄を見て泣き崩れる姿なんて見たくなかった。
誰もが生まれたからには、いずれ必ず訪れる『死』というものが、急に現実になった気がした。
今までだって、祖母や大切な人が亡くなって、永遠のさよならを言わなければならない事はあったのに…
一体なぜ生まれて来たのか。なぜ突然逝ってしまったのか。
子どもの頃には思いもしない悩みや苦しみ、苦労がそれぞれの人生にはある。
誰しも、人には言えない思いや悲しみを抱えて。
ただ、言わないだけ。
言わなくてもいいことと自分で決めているのかもしれない。
言わなくちゃいけないのに言えないことも。
言いたくないことも。
ーーー些細なことだから、と。
言ってくれなきゃ伝わらないよと思うけど、いざ言おうと思っても自分からは簡単に言えない事がある。
大人になったからこそ、言えないんだろう。
強くなった気になって。
ちっちゃなプライドが邪魔をして。
私だってそうだ…
いつか自分に何かが起こって、大切な人を残して逝かなければならなくなった時、その人にに自分の思いを伝えられている人はどれ程いるんだろう。
私は伝えられていないな。
パパにも、娘にも。
ましてや、実家の家族になんて、感謝の言葉や謝りたいこと、沢山伝えたいことはあるけど、改めて言う機会なんて無かったな。
自分が死ぬまでには言えるのかな。
父や母には、それより早く伝えなきゃいけない。
改めて伝えるというのは、簡単な様でとても難しい。
『ありがとう』『ごめんなさい』が言えれば大丈夫だよ。
と母がよく言っていたけれど、流れで言う言葉と、心から伝えたいと思って言うのでは、随分違うんじゃないだろうか。
やっぱり自分が大切だと思う人には、常に自分の思いを伝えてかなくちゃいけないな。
いつ自分がどうかなってしまっても、大切な人には『あなたは私の大事な家族。大事な友達。大切なひとなんだよ』と伝え続けていくことが、生きている自分にできることなのかもしれない。
死ぬということは、この世から自分がいなくなるということ。いずれは訪れる日だからこそ、それまでは精一杯、自分がこの世に生きているという事を残していきたい。
娘はいずれ、私の最期を看取ることになる。いつまでも一緒にはいられない。
大人になって、新しい家族を作り、私の様に思い悩むこともあるだろう。
私は死ぬまで、娘の母親だ。
どんな事も娘の為にできることはしていこう。守ってやるなんていうのは大袈裟で、実際どこまでできるかはわからない。
けれど、娘が迷う時、悩む時、少しでも支えになってやれたらと、今はそう思う。
生きる意味は人それぞれだろうけれど、今の私に出来ることはそれくらいしかない。
ーーー今を生きる。
当たり前の日常。
それができれば、きっと大丈夫。