プロローグ

 言霊(ことだま)とは、

古代日本で言葉に宿ると言われた不思議な力を指す。

AIによると、発した言葉どおりの結果が具現化するという。

良い言葉は幸せを招き、悪い言葉は不吉を招く。

古い書物には、この思想が強く影響していると言われる。 

 

 このところのAIは無双状態の域だ。

この “俯瞰の黒子” にとっては天敵だ。

計り知れないデータを駆使して、

いとも簡単に活字の意味を解明してしまう。

現世における、最大の天敵だ。

 

 時代の流れには抗えない。

だが、吾輩にもゆるぎない技がある。

それは、何を隠そう 『のぞき見』 だ。

 

  AIが謎解きをしても、

俗世でどう体現されているか知る由もない。

あやつに遅れをとらないために、さっそく散策開始だ。

 

新たな試みに共感して

 県道をふらふらと浮遊していると、

あれが目に留まった。

『00:00~00:00迄、休業時間を頂きます』

市中銀行の玄関に張り出された告知だ。

デジタル化と働き方改革を具現化した

計らいのようだ。

これには吾輩も共感する。

それと同時に、何か新たなネタの匂いを感じた。

休業時間が開けたところで、いざ潜入開始。

 

ロビーの光景

 行内は比較的()いている。

そのロビーでひときわ目立つ初老の女性。

ジーンズを大人可愛く着こなす、品のある装い。

ここではマダムと呼ぶことにしよう。

彼女は空いた席に座ると、すかさず隣の高齢女性に

話しかけている。

「空いていて良かったですね」

マダムはさりげなく話しかけた。

「ああ、そうだね。

 銀行もだんだん難しくなってね、

 機械が何もかもするようになって…。

 息子がいないとできない事が多くて大変さー」

「そうですか、でも有難いですね」

「今日も病院の帰りなんだけど、

 あれが連れて行ってくれるから、病気があっても安心さ」

「じゃあ、有難うって言わんといけないですね。

 そしたら息子さん、もっと親孝行励みますよ」

「あっはーそうか、言ったことないかもしれん。

 じゃあ、後で言ってみるさ」

「そうして下さい。

   “有難う” と言われることが何よりの『ヌチグスイ』です」

 

   注釈: 沖縄の方言「ヌチグスイ」とは、「命の薬」と訳し、心と身体を癒やす

    「滋養ある食事」や「美しい景色」、「温かい優しさ」などの体験を指す。

    栄養補給だけでなく、心を癒やす「心の栄養」のような存在を表す。

 

言葉の脅威

    そうこうしているうち、マダムの番号札が呼ばれた。

彼女はゆっくりとカウンターへ進んでいった。

出金伝票と通帳を窓口のテラー(出納係)へ渡すと一旦座席へ戻った。

その数秒後、またしてもテラーが彼女へ手を挙げ合図を送った。

 

「何かありました?」

「はい、伝票の名義人氏名が訂正されていて、

     これは改ざんになりますので、

     お手数ですが再度書き直しをお願いします」

 

 注釈: 改ざん(改竄)とは、文書、記録、デジタルデータなどの内容を、

    権限のない者が悪意を持って、または不正に書き換える

    (修正・削除・追加する)行為を指す。

 

 マダムは、唖然とした表情でこの若い女性テラーを見つめた。

その眼差しはいたって柔和なものだが、

女性テラーは少しうろたえているようにも見えた。

 

 そしてこの若い女性テラーは何かを察知したかのように小声で言った。

「こちらで伝票お出ししますので、そのままお座りになってご記入ください」

そう言って軽く笑みを浮かべた女性テラーは、

白紙の伝票を差し出した。

 

 マダムは差し出された伝票に一度目をやり、ボールペンを持つ手を止めた。

「書く前に、少し余談してもいいですか」

「はい、どうぞ、何かございましたか」

 

「言葉の話をしたいなと思って、聞いてくださいね」

若い女性テラーは少し困惑の表情を浮かべながら頷いた。

 

 そしてマダムは静かに語りだした。

「『改ざん』 という言葉は、犯罪行為を示す意図があります。

   そういわれた人は、多分傷つくでしょう。

   ルールに従った処理であることは重々承知しています。

   相手を気遣う言葉をたくさん知っていると、

   きっとあなたの助けになると思います」

そう言うと、静かにペンを走らせ始めた。

 

感謝は最大の武器

    そして書き終えたマダムが顔を上げた瞬間、

若い女性テラーが口火を切った。

「〇〇様、大変失礼しっ…」

するとマダムはその言葉をさえぎった。

「謝ってはいけません。

 私は貴方を決して攻めた訳ではありません。

 あなたにエールを送ったつもりです」

その言葉に女性テラーは、戸惑いつつ安堵の表情を見せた。

 

 後ろで一部始終を見ていた、上司らしき男性が

彼女の背中越しからマダムに声をかけた。

「〇〇様、有難うございました。

 大変いいお話を聞かせて頂きました。

 言葉の意味を理解することはどの業種

 でも大事なことですね」

「聞いてくださって、感謝します」

マダムはそう言うと、笑顔でその場を後にした。

若い女性テラーとその上司は、彼女の後姿に

深々と会釈した。

 

エピローグ

 うーん、なるほどである。

この “俯瞰の黒子” 久々の収穫だ。

世知辛い世の中にして、言葉の軌跡は存在した。

 

 言葉は凶器にもなり、癒しにもなる。

人と人との関係を決定づけるアイテムだ。

残念ではあるが ”態度で示す” とか、

”阿吽の呼吸” とやらは、一先ず棚に上げておこう。

真摯に相手に向き合う時、思いやりは、

言葉で示すことが寛容なのだ。

 

論語

 「無信不立(むしんふりゅう)」とは、

民衆からの信頼が国家の安寧につながる。

孔子が政治において、食(経済)や兵(軍事)よりも

「信頼」を重要視したとする故事である。

 現代でも組織や人間の絆において

「信頼」が最も重要であると解釈されている。

温かい言葉は、その絆を深める重要なアイテムになるだろう。

 

 

 

 

 

”ただの人”1年目

 健康診断が終わると、その年のイベントは全て終了

ということになる。

つまり、伊津子の年間計画の締めくくりだ。

後は結果を待つのみ。

聴くところによると、どうやら検診結果は

役場経由で本人の手元に届くらしい。

(はて、なぜ役場に…?)首を(かし)げる伊津子だった。

定年後1年目の年は、さほど気にも留めず時は過ぎた。

 

彼女には、緻密な計画があった。

それは『減税』だ。

退職した年は、膨大な社会保険税を支払わなければならない。

言うまでもなく前年度の収入が税金の査定対象となるからだ。

無事定年を迎えた喜びもつかの間、収入の途絶えたこの先を、

いかに乗りきるかは、大きな課題だ。

 

生活の質を落とすことなく、これまで通りの暮らしを維持する。

尚且つ自由に伸び伸びとやりたい事に没頭する。

そんな至福の時を手にするには⁉

 

応えは1つ、稼ぐことだ。

そう、納税義務を果たすための就労(パート勤務とか)だ。

そして1年後、彼女の減税目標は無事達成された。

 

健全な生活の成果 

 そんな緩やかな日々も3年目を迎えた。

今年もまた最後のイベントに臨み、その結果を待っていた。

彼女は今回の健診結果を、(こと)(ほか)楽しみにしていた。

とにかく健全な日課を目指した。

ほぼ毎日のウォーキング。

食生活の見直し、特に糖質に(こだわ)り腹七分に耐えた。

 

 伊津子は昔から検証型人間で、特に人体実験⁇に目がない。

例えば、うどん・蕎麦・パスタと、食べ比べしては体重測定する。

いたってシンプルだ。

結果、パスタがヘルシーだと実証された。

何はともあれ、身に危険が及ばない程度にしてほしい。

 

()くして目標の40㎏台は達成された。

「快挙だ、よくやった」

彼女はヘルスメーターに乗るたびそう(つぶや)いた。

 

1年に1度の巡り合わせ

 検診を終えて1ヶ月後のこと。

のんびり自宅でくつろぐ伊津子の携帯が鳴った。

「山川と申します。

 検査結果が届きました。

 前年度はお電話でお話ししましたが、

 覚えていらっしゃいますか」

 

「ええ、山川さんね。

 私の話に延々付き合ってくれた方ね…覚えていますよ」

 

「その節は、

 たくさんお話して下さって有難うございました。

 今回は、来所して頂けそうですか、勿論電話でも構わないのですが」

柔らかな口調の山川は保健指導をする管理栄養士だ。

 

「今回は直接受けとりに行きます。

 結果が気になっていたところなので」

 

「有難うございます。

 お待ちしております」

 

脂肪は質が大事

 

「山川さん。

 お会いできて幸栄です。

 毎年私に関心を持ってくれて有難う」

これが伊津子の所信表明だ。

さすが元ソーシャルワーカーと言っておこう。

 

「こちらこそ、城間さん、来所有難うございます。

 坐骨神経痛のほうはその後どうですか」

 

「えっ、覚えていてくれたんですね。

 お陰様でよくなりました」

 

「それは良かったです。

 今回は中性脂肪の値が基準を超えているのが

 気になりました」

 

「えっ‼まさか、なんで?」

 

「心当たりはないですか?」

 

「中性脂肪が喜ぶことたくさん実行したのにおかしいなー」

 

「例えばどんなことですか」

 

問われた伊津子は、これまで実行してきたことを語った。

「食生活をもう一度振り返ってみましょう。

 お聞きする限り、とても気を使ってらっしゃるようですが、

 油に注目してみてもいいかもしれませんね」

 

「油ですか、年齢的に油が少ないのも干からびる原因かと

 思ったりしたんだけどなー」

「いい油をとることです。

 肉より魚の油はよいとされています。

 鯖や鰯の缶詰等で手軽に摂れます」

山川は、肉の油や食材成分表など、様々な資料を提示して

説明を始めた。

そんな彼女の説明を聞きながら、伊津子はなぜか気持ちが和ん

でいった。

 

  

 

街の優しい職人さん

一通り説明を聞き終えた伊津子はこう切り出した。

「こんな風に、町民1人1人に電話するんですか」

 

「はい、これが私たちの役割ですから。

 中には検査結果だけ送ってと言って

 早々に電話を切る方もいらっしゃいます」

 

「そうなんだ。

 前回も思ったんだけど、優しくないとできない仕事ですね」

 

「えっ、そんな風に言われたのは初めてです。

 今日一番の収穫です」

 

「自由の身になって、初めて解る事があってね。

 自分の健康を保つことって、孤独な闘いよ。

 山川さんたちのような人が癒しになる」

 

家族のためにできることは

これに続き伊津子は現実的な話題に触れた。

「どんな仕事にも、当然実績の評価は付き物だよね。

 だけど他人の健康について一緒に考えてくれるって、

 数字だけじゃない気がする。

 電話だけで聞き流すのはもったいないよ」

 

山川は、伊津子の顔をじっと見つめてこう言った。

「有難うございます。

 多くの方は電話口で、お孫さんの世話で

 忙しいとおっしゃいます。

 家族のための時間が大事なんですね。

 でも、それはご自身の健康があってこそです。

 そう考えてほしいのですが…」

そんな山川の話を聞きながら伊津子は思った。

(スイッチを切り替えろってことか)

 

「そう言っている私も、

 両親に子供を預けるたび、心苦しく思っています」

そう言うと山川は照れくさそうに笑った。

 

 生活習慣とは、いつの間にか無意識のうちに行動化されていく。

だから生活に“習慣”がついて回るんだと、誰かが言っていた。

『はて・さて』と自分やその周りを客観視してみてはどうだろう。

そんな事を一緒に考えてくれる専門家が、あなたの住む町にも

いるはずです。

             終わり

 

心の種を紐解けば

 「知ってしまうと気になる、だから知らんぷり⁇」

日常に潜む心配の種は万人共通だ。

見えないものには無関心、忘れてしまおう。

だけど自分で自覚してしまったら話は別だ。

 

 その種の正体は…。

明かせば、何てことはない。

その名は “特定健診結果報告書” だ。

現役の社会人であれば、職域検診として承認済だ。

 

 

“ただの人” その正体

 伊津子は、既に現役を引退して早3年を経過した。

現役の頃は、「気が重い」と言いつつも健気(けなげ)

検診に臨んできた。

職場からの補助もあり、この利益に感謝していた。

 

伊津子の退職直前当時を振り返ってみよう。

さて、社会人が肩書のない“ただの人”になったらどうなるのか。

そんなことを思いながら役場の窓口にいた。

国民健康保険(国保)への加入だ。

伊津子はその時初めて “ただの人” になる事を実感した。

いたって現実的だが、『保険税全額自己負担』という(くさび)

彼女に重くのしかかった。

(まあ覚悟の上だ、ここからの1年を乗り切ろう)

 

 

住民健診に(いざな)われて

 それから数日後、役場の保険課から封筒が届いた。

健康診断に関する資料一式。

詳細なリーフレットが数枚入っていた。

地域医療機関の紹介に加え、

そこではどんな検査が可能か等、至れり尽くせりの内容だ。

伊津子はこれに目を通しながら不思議な感情が芽生えた。

(定年したら町が私の健康を守ってくれるって訳か)

そう思う反面、(そんな訳ないか)と思ってみたり。

今まさに思考回路は、肯否の狭間を右往左往。 

 

 そして国保加入初年度の、検診日を迎えた。

そこで伊津子は、妙な孤独感を抱いていた。

そしてこの感情の意味を考えていた。

現役の頃は、健康だとお墨付きを貰うと

優越感に浸ったものだ。

まだまだ働ける体と認められたような…。

(だけど、これから先は…⁇)

そんな感情を抱きつつ、彼女は更衣室へ向かった。

 

『鼻さん』との出会いは突然に

 伊津子は着替えを済ませ、大きく深呼吸しカーテンを開けた。

するとかなりの至近距離に、初老の女性が立っていた。

ちょっとオロオロした素振りのこの女性と、伊津子は目が合った。

 

「胃カメラするんですけど、鼻か口かで迷っているんです」

そう唐突に話しかけられた伊津子は淡々と言った。

「鼻は経験ないんです。

いつも麻酔して口からなんですけど、

タイミングが悪いと終わるころに効いたりすることもあって、

ちょっときつい…あっ‼ 私の場合の話です」

「ははーん、そうなんですね」

女性は意を決したように伊津子に言った。

「やっぱり鼻にしよう、鼻の穴に自信はないけど…」

「大丈夫、その鼻ならいけますよ」

やらかしてしまった伊津子、女性も苦笑いで更衣室を出ていった。

そして伊津子は思った。

(ここでは、誰もが孤独な闘いなんだよなー)

 

 

ウィルスの爪痕

  (しょ)(ぱな)は採血だ。

またもや『鼻さん』に出くわした。

彼女は、また伊津子に話しかけてきた。

「検診後の食事楽しみだったんだけど、今回もないらしいよ」

「そうですよね、私も楽しみでした。

 まったくコロナめって感じですね」

「肥満に気を付けてと問診で言われた矢先に

 思いっきり食べるってのも矛盾しているけどね。

 でも楽しみだったなー」

まさに『鼻さん』の言う通り、伊津子もそこは共感した。

過酷な検査を終えた後の至福の時、今や幻となってしまった。

 

 

老いて尚、思慮深く生きる事

 一般検査が終わると、ロビーの長椅子でしばし待機という事になる。

検査の結果を待って検診医の説明を聞くことになる。

今回伊津子は、がん検診をスキップしたので早々に終了となった。

 

 そこでまた『鼻さん』と、肩を並べることとなった。

「あなた、がん検査しないの」

唐突に切り出された伊津子は淀みなく言った。

「費用も馬鹿にならないし、

 偶数歳の割引のある時だけにしようと思って…」

つまり、偶数年齢の年はがん検診が割安になるからだ。

 

 『鼻さん』は少し間を置き話し始めた。

「私は、これを最後にしようと思ってね」

「えっ、それはよくないですよ」

「そうかもしれない。

    幸い薬のお世話にもなってないし、75歳を機にね。

    毎日気分よく暮らせているし、何か変だなと思ったら

    近くのクリニックで診てもらえば十分」

 

  伊津子は、そう言い放った『鼻さん』にオーラを感じた。

「こんなに長い事付き合ってきた体だから、

    何かあれば教えてくれるさ」

「自分を信頼してってことですね。

 いやー素敵ですね、その考え方」

 その後『鼻さん』は、サムズアップのアクションを残し

 胃カメラ検査室へ入って行った。

                                                 -つづく-

 

 

 

             

 

            貴方は、私に尋ねます。

        「なぜ歌うの? そして両手を掲げるその意味は?」

               私は応えます。

        「涙がこぼれる時もあるけど、

          嬉しいから歌い、自由だから歌う、それが私の歌う理由」

 

  ゴスペル(Gospel)は、信仰と自由への希望を歌った

 スピリチュアルな響きだ。

 この黒人霊歌は、彼らがキリスト教の「福音(良い知らせ)」に

 慰めを見出し、歌ったのが起源と言われている。

 賛美歌に、リズムとコール・アンド・レスポンスを融合させた

 歌声は、チャペルに響き渡る。

 そして繰り返す日常に、私たちは、活力を与えられて生きていく。

 

  ここに歌いたくてしょうがない1人の女性がいる。

 (カラオケなんぞ行くものか)ともんもんとする日々。

 彼女の名は山城祥子。

 50代にして仕事も順調な彼女は、シングルライフを満喫している。

 何か趣味を持ちたいと渇望し始める年頃のようだ。

 

  「昔はバンドやっててブイブイいわせたのに…

    なーんてこと言っても今や通用しないか」

 日曜日の午後、毎度そんな独り言を呟いている。

 

   「とりあえずウォーキングでもしてみるか」

    そう思い立ち、近場をゆっくりと歩いていた。

 

  丁度交差点の信号は赤、ふと向かいのビルの小さな垂れ幕を発見。

 『ゴスペル・クワイヤ‼ 一緒に歌おう』

 祥子は信号が青に変わると、そのビルに吸い込まれていった。

 

  エントランスに設置されたマガジンラックにはフライヤーが置かれていた。

 手に取って見ると 

  『子供からお年寄りまで大歓迎、誰でも気軽に参加を…』

 ジャズやR&Bが好きな祥子は、以前からゴスペルに興味があった。

 まあ、差し詰めあの名作「天使にラブソング」がきっかけ…

 と言いたいところだが、彼女の場合はちょっと違っていた。

 

  小学生の頃、彼女はガールスカウトに入団していた。

 まだ米軍統治下にあった昭和の話だ。

 当時は制服も、イベントもアメリカに倣うものだった。

 事ある毎に米軍基地内の団員と交流があった。

 琉米合同キャンプはうるま市ホワイトビーチ地区(米軍港湾施設)で

 開催されていた。

 

   沖縄公文書館所蔵

 

 注釈

  沖縄のガールスカウトは、1955年に始まった。

 翌年には世界連盟から正式に認可され、アメリカ文化の影響を受けつつ、

 琉米文化会館や米軍基地と関わりながら、少女たちの社会教育活動を広げ、

 沖縄独自の異文化交流として発展した。 

 

  当時は、基地内でのホームステイも盛んだった。

 ある時、祥子は同年代の黒人少女デイジーの家にホームステイした。

 その時連れて行かれた教会での出来事を思い出していた。

 ディレクターと言われるリードマンに追随するオーディエンス。

 その集団が体を揺らし歌う姿は圧巻だった。

 祥子はその時初めて 『ゴスペル』 を知った。

 

  デイジーはシャイで打つ向きがちの子だった。

 その彼女が、イントロが流れ出した瞬間、体全体でリズムを取り始めた。

 祥子は、あの時のデイジーの表情を今でも鮮明に覚えていた。

 そして祥子は片言の英語を駆使して彼女に聞いた。

  “Why are you so excited?”

  “Because singing makes me happy”

 

  そんなことを回想しながら祥子は思った。

  (なんだか “うちなんちゅ” と似てるな) 

 カチャーシーにエイサー、嬉しくても悲しくても、唄って踊る。

 祥子にはその映像が、あの時のデイジーとシンクロしていた。

 

   そして祥子は、ゴスペル・クワイヤのメンバーとして、

  居場所を見つけた。

  (デイジー、あなたの気持ちが解った気がする)

 

   そこに集まった人たちは、皆知らない者同士。

  それが歌いだした瞬間、互いに笑い、両手を高くかざす。

  ゴスペルにルーツを持たない人たちにも、祝福の時をもたらす。

  まるでイルージョンを見ているようだ。

 

      レッスン終了間際には、ディレクターからメッセージが告げられる。

  クリスチャンではない祥子にとって、興味深い瞬間でもある。

  彼女は、聖書が永遠のベストセラーであることを知っているからだ。

 

  旧約聖書箴言15章4節

    「穏やかな舌は命の木、舌のねじれは霊の破れ(霊を打ち砕く)」

 

 メッセージ

   軽率な言葉で人はいとも簡単に傷つきます。

  だから自分の舌の持つ脅威を知らなければなりません。

  その舌が悪意とならないためにどうしたらいいのでしょう。

  あなたもまた、知恵を持つことです。

  そのために自分を癒し、立ち直らせる時を過ごすことです。

  そのひとつが歌う事なのかもしれない。

  歌えば、舌の根を癒し、清らかな声をもたらすでしょう。

  きっとあなたに立ち直らせる知恵を与えてくれると信じます。

 

       さて、明日からまたルーティーンの生活が始まる。

   祥子に限らず、あなたにも…。

   世の中、よくできたもので、求めれば必ず見つかる。

   そうですよね、空の彼方の☆☆☆様

   それは、あなた次第、求めて、行動してみよう‼

 

    

 

  

スィングする街

 この街にジャズのメロディーは似あわないって、

誰が言ったのか(・・?

よくある先入観ってやつなのかもしれない。

 

 沖縄の戦後復興は、ジャズにそのルーツがある。

それは地元の人間ならよく知っている。

辻の歓楽街、桜坂通り、そして栄町。

酔いどれ族は、時にジャズのリズムに癒された。

ここ栄町にも、数十年の時を経ても尚、

そんなライブハウスが存在する。

 

出会いはスイングのリズムのように

 時は昭和に遡る。

それは、車道に添って並ぶ飲食店の一角にあった。

見上げるとネオンライトが目に留まった。

店の名は “August Moon” 。

一直線に伸びる狭い階段を登った先にあるバー。

外部の喧騒とは一線を画すようにピアノの音が流れる。

軽快なスィングのリズムに、ウッドベースやドラムが

心地よく絡み合う。

 

 カウンターには、長い髪を三つ編みに束ねた女性が佇む。

彼女は、今夜(はつ)の客に気づくと、軽く会釈した。

バーのママと呼ぶには、初々しく、

知的で落ち着いた雰囲気だ。

歳の頃は20代後半といったところだろう。

 

 この辺りで働く女性は、中高年のおば様族だ。

客待ちで入り口に座る女性たちをみれば一目瞭然。

 

 客の青年は、迷わずカウンターに向かった。

そして女性に気づくと、彼もまた軽く会釈した。

「初めてですね。

 お客さんの顔、覚えるの得意だから…」

由美子は人懐っこい口調で話しかけてきた。

「はい、初めてです。

 ここ、ずっと気になっていたんです」

「まだ学生さん⁇ アルコールは大丈夫なのかな」

「つい最近二十歳(はたち)になりました。

 まだ慣れないけど大丈夫です」

「私は由美子って言います。

 宜しくね。

 ようこそ・・・」

「賢太です。

 宮城賢太と言います」

「1人で入ってくるの勇気いるでしょ。

 賢太さんて呼んでいい(・・?」

賢太は照れくさそうに頷いた。

「人とつるむの苦手なんで、だいたい1人です」

 

その出来事、奇跡です

 ひとしきり、世間話のような会話が終わったところで、

賢太が唐突に切り出した。

「あの、俺をアルバイトで雇ってもらえませんか」

グラスを差し出す由美子の手が止まり、賢太をじっと見つめた。

そして軽くため息をついた。

「いいですよ、二十歳(はたちになったのなら、ぎり大丈夫」

「えっ‼  あのっ、いいんですか」

「まあ、二十歳(はたち)のお祝いってことで成立‼」

あまりの展開に、切り出した彼自身がうろたえる始末だ。

 

 これに気をよくした賢太は、ありえないほど饒舌に語り始めた。

「俺、小っちゃい頃から、ピアノやってて、

 ある日、向かないなーって思って辞めようと思ったんです。

 それが、東京のライブハウスで生の演奏聞いて、辞めるの、辞めたんです」

由美子は、この青年の語り口に子供っぽさを感じ失笑した。

彼の言葉には、“自分は決して怪しい者ではありません” という意図があった。

とにかく由美子は、笑いをこらえながらも聞くしかなかった。

「そうなんだ、あっ、でも思った通りだ」

「えっ、何が⁉」

「楽器やってるなって思った」

「あはっ、そうか。

 もともとはクラシックなんですけど、なんか今一 って感じで…

 そんな時、あのアドリブの心地よさにはまったんです」

「つまり、自由に表現したい派ってわけだ」

賢太はそう言われ少し照れながら頷き、話しを続けた。

「そんな大層な理由はないんですけど、

 自由に弾けるっていいなって思って。

 あっ、俺っ、上手く言えてるかな」

「つまり、ここでジャズの勉強がしたいってことなのかな」

「はい、宜しくお願いします」

由美子は、初対面の自分にためらいもなく思いのたけを

語る賢太に新鮮な感動を覚えた。

 

テビチの触感は絶妙だった

 働きだした賢太は、ジャズマンたちと、

すぐに打ち解けていった。

特にピアノでバンマスの伸さんとは気が合ったようだ。

「賢太ともいつかセッションできるといいな。

 本格的に目指すんだろ」

「まだ解りません。

 でも本場で学びたいなって…」

「てことは、ニューヨークだな⁉」

賢太の顔に少し笑みがこぼれたが、その問いには応えなかった。

 

 

 ある日の事、閉店の片づけをする賢太に由美子が話しかけた。

「賢太さん、お腹すいてない?」

「あっ、腹の虫、聞こえました。

 減っています」

「すぐそこに、テビチ(豚足)の美味しい店あるんだけど。

 どうかな」

「はい、お供します」賢太は即答した。

 

 夜通し提灯をともすそのおでん屋は、

鉄板焼きのテビチ(豚足)で大ブレイクした老舗だ。

「子供の頃は苦手だったんだけどね」

由美子のその言葉に賢太も同調した。

「俺もそうでした。

 でもこのよく焼けた皮、やみつきになりますね」

少しカリッとしたテビチ(豚足)頬張(ほおば)りながら賢太は由美子に聞いた。

「あの店って由美子さんがオーナーさんですか。

 あっ、すみません。

 ちょっと気になって」

由美子は大きく首を横に振ると

「いいよ、気にしなくて。

 オーナーは母親、私は任されてるだけ」そう言い切った。

「へーそうなんですか、楽器とかやらないんですか?」

「ボーカルを少し勉強してるけど、めったに歌わない」

「ボーカルかぁ、世瀬山澄子さんとか有名ですよね」

沖縄では有名なジャズ界のディーバだ。

一瞬見せた彼女の物憂げな表情に気づく間もなく、

賢太は話しを続けた。

「由美子さんのボーカル、まだ聴いたことないけど、

 歌うの嫌なんですか。

 聴いてみたいけどな」

「嫌じゃないよ、ただ、上手くないだけ…」 

「ジャズって雰囲気じゃないですか、

 だから、声質や声量が決め手じゃない気がする。

 例えばテクニックも大事かなって…」

「…そうかもしれない」

 

裏腹な言葉の意味は何ですか

 少し沈黙が流れたところで由美子が話題を変えた。

「賢太さんって、おしゃべりかと思ったけど、

 働きだしたら意外と口数少ないね」

「本当に言いたい事を上手く言えないっていう自覚あるんです。

 なぜか違う事言ったりして、だから勢いがないとしゃべれないんです」

「じゃあその理由、深堀してみようよ。

 いいかな三択だよ。

 その1、言いたい事を忘れた。

 その2、罪悪感がある。

 その3、相手を意識している。

 さあどっち⁉」

由美子の問いかけに、賢太はしばしフリーズした。

「なんか哲学的だなあ、数日考えてみます‼」と軽快な口調で返した。

 

 そんなとりとめない会話が続く中、賢太がポソリと言った。

「色々考えている事、あるんですけど…まとまらなくて」

その言葉を聞いた由美子は、何の脈略もなくこう言った。

「何かひらめいた時は、やらずに後悔するより、

 思い切ってやってみるほうがかっこいいよ」

「えっ、それって俺の事ですか。

 あれっ、何か迷いのある顔してますか⁉」

 

 平らに整形されたテビチは、まるで別物のような触感だ。

賢太は、その絶品テビチを頬張りながら、

由美子から目をそらした。

 

 彼女は何かに気づいたように、箸を持つ賢太の手を見つめた。

「最初、健太さんを見た時、きれいな手だなって思った。

 そうしたらやっぱりピアノやっているって言うから

 なーるほどってね」

 

もう一つの思い

 賢太は、ふらっとこの店を訪れた訳ではない。

実は、もう一つ理由があった。

以前から、由美子が通りに看板を置く姿を見かけていた。

それが店に興味をもった最初のきっかけだった。

 

 賢太にとって、こうやって彼女とテビチをつついている事は

軌跡だった。

そして彼は、ここに向かい合わせて居る事に満足していた。

彼女の温かくて、説得力のある語り口は、二十歳の青年には

魅力的だった。

 

 それから数か月後、健太は店を辞めた。

 

“蒼穹の彼方”と人は言う

 時を令和へ戻そう。

猛暑の8月、喉の渇きを潤す人で酒場は賑わう。

栄町歓楽街は、お洒落なオープンカフェもちらほら、

すっかり若者や観光客の社交場となっていた。

 

 あのひときわ異彩を放っていた Jazzバー  “August Moon”

それは色あせることなく今もそこにあった。

 

 

 その階段をゆっくりと踏みしめながら上る中年男性がいた。

ドアをゆっくり開けると、迷わずカウンターへ歩を進めた。

立ち止まった先に居たのは、柔らかな表情を浮かべる女性。

そして男性は、その女性に声をかけた。

「僕を覚えていますか」

「ええ勿論です。

 お帰り、賢太さん」

由美子は満面の笑みでそう応えた。

「あれから渡米して、何とか今も音楽を続けています」

「ええ、知っていました」

 

 賢太は、1枚のCDを由美子に手渡した。

「僕が作った曲です、よかったら聴いてください」

由美子は両手で包み込むように、それを受け取った。

 

 そのタイトルは『Feeling  of  First

「由美子さん、この曲に歌詞をつけたら、歌ってくれますか」

「Yes, with pleasure (^^♪)」

 

 それから彼は、真っ直ぐに彼女を見て言った。

「由美子さん、あなたは、僕の初恋でした」

「ええ、知っていました」

                にへーでーびたん(完)

 

 

 

 

 

元号が変われば街も変わる

  時は昭和から平成、令和へと元号を変えている。

変わりゆくものを数えるより、

変わらないものを見つける方が難しい。

そんな気がしている。

変わらないものって、何だろう。

 

 栄町は新たな観光客や若者を取り込み進化している。

市場商店街は、やっと人が通れるくらい向かい合わせに店が並ぶ。

夕方になるとシャッターの下りた店頭には、

椅子とテーブルが並び酒場へとシフトする。

そこに集う人は、何の(てら)いもなく会話を楽しんでいる。

そうなると(のぞ)かないわけにはいかない。

というより、“聞いてくれ” とせかされているようだ。

 

 

 

ちぐはぐな2人は同級生

  さて、新年を迎えたこの時期、休業の張り紙はまだ見当たらない。

そう、旧正月はまだ先の事。

狭い通路でひしめき合うには、絶好の季節だ。

お隣を気にする人は誰もいない。

 

まずは、一番乗りの2人組にフォーカスしてみよう。

「久しぶり、久美ちゃん。

 みっちーのお葬式以来だね」

伊津子は数年ぶりに再会した久美子に唐突に切り出した。

久美子は、その話題を一旦振り切るように言葉を返した。

「そうだね、伊っ子が栄町って言うから驚いたよ。

 昔はおじさんたちの社交場って感じで近寄れなかったでしょ」

どうやら、里帰りした中学の同級生と、地元の友人が、

酒場で再会といったシチュエーションのようだ。

歳の頃は60代、装いも洗練されたこの両人、年代より若く見える。

社会人として現役を終えたような清々しささえ感じさせる。

 

メイド・イン台湾、そのお味は…

歳のわりに斬新な伊津子の選択肢は果たして…。

「でっ、来てみてどんな感じ⁉」

「面白そう、悪くないよ」

そんな会話で始まったプチ同窓会。

2人がまず向かったのは、知る人ぞ知る餃子の名店だ。

 

   

 

「久美ちゃんに、ここの餃子、絶対食べてほしいと思って1番手にしたよ」

「じゃあほらっ、得意のグルメレポートしてみて」

「そうだなあ、まずは皮が絶品、焼き目がほどよい、それと…」

 

そんな伊津子の解説に割って入ったのが、名物店主のおじさんだ。

「おいっ、それはちょっと簡単すぎないか。

 まずはそのまま食べてみてよ、その次はヌートバーにして。

 最後は、好きにしていいよ」

「なーるほど、おじさんのそのうん蓄、何回聞いたかなー。

 でもヌートバーって初登場のワードだね」

伊津子は長年通っているが、未だにおじさんで通すところは流石だ。

名前を知らないらしいが、あえて聞く気もないという大雑把なキャラだ。

「どっかで聞いたことあるけど、何だったっけ⁉」

おじさんがにやりと笑い背を向けると、

“後は自分で考えろ”とばかり厨房の中へ消えていった。

 

「伊っ子、ワールドベースボールクラシック見なかったの。

 ほらっ ペッパーミルだよ」

「いえーっ、あれか、胡椒‼

    なーんだ、まったく、素直にそう言ってくれたらいいものを(笑笑)」

つまりは、直に胡椒をかけろという事らしい。

このおじさん本家本元の台湾人シェフ、このうん蓄に間違いはない。

「おっ、確かに美味しいよ」 久美子の言葉に伊津子も笑顔で便乗した。

 

   

 

「次は小籠包、これも絶品だよ。

 この熱々をれんげに乗せて糸生姜をたっぷり、

 先ずは漏れ出たスープを味わう…、

 それじゃあ久美ちゃん、よろしいですか、Here we go!

そんな儀式に(のっと)り、口の中に吸い込まれた(ぶつ)は、

久美子の満面の笑みで、その美味さを証明した。

そして食べ終わる間もなく彼女の口から感嘆句が漏れた。

「んーっ マシッター‼ 最高 (´▽`*)」 

「久美ちゃん、何で韓国語やねん。

  ここはメイド・イン台湾なんですけど⁉」

「ほらっ、話したでしょ。

 韓国語サークル通ってる事、しゃべりたいわけさー」

そんな元少女の2人を遠目に見ていたおじさんも、

思わずサムズアップで歓迎した。

 

歳を重ねて解る事

    少し小腹が満たされた頃、久美子の表情から笑顔が消えた。

2年前、彼女の幼馴染の美智子が他界した。

(しばら)くは触れずにいた美智子の事を、久美子が話し始めた。

「結婚してからずっと病気がちでさ、それでも前向いて頑張っていたの

 知っていたから、何だか辛くてさ」

(そうか、久美ちゃん、誰かに話したかったんだ。

                              今やっと話せるって感じなんだね。きっと…)

伊津子の心の声(吹き出し)もなぜか切ない。

 

そして久美子はこう続けた。

「子供ってある意味残酷さーねー、思春期になると、

 娘たちはみっちーにきつく当たるようになったみたい。

    母親らしいことしてあげられないの

    チムグルシイ(辛い)ってよく言ってたよ」

その話を黙って聞いていた伊津子は、

何かに気づいたように久美子に話しかけた。

「私は子供がいないから母親の気持ちにはなれないけど

    子供の気持ちは解るよ。

    うちの母親も病気がちだったから同じような事した気がする」

久美子は、しばらく伊津子の顔をじっと見つめていた。

そして伊津子はさらに続けた。

「今の私なら、支えられたのにって思ったりするわけさ。

 10代の頃って世間知らずのひよっ子さ、

 だから今、解るんだよね」

伊津子の言葉には説得力がある。

久美子は腑に落ちたと言わんばかりに頷いた。

 

「そうか、いなくなって初めて気づくってやつだね。

  皮肉なもんだね」

「当たり前の日常から、その人だけが居なくなる。

 だから、嫌でも気づくんだよ」

 

これは、何も特別な事ではない。

誰もが経験する “真理” ではなく “心理” だ。

自分の内にある吹き出しに納めてしまわない。

その勇気が、人としての株を挙げてくれると信じたい。

 

「伊っ子、今日会えてよかった・・・チョンマル コマオゥ (´▽`*)」

「またかい、でも、照れるからちょうどいいな」

 

おじさんの登場、絶妙です

 そんなしんみりした2人の間に、またもおじさんが割り込んだ。

「なんか湿っぽくないか。

 ここを出る時には笑って帰ってもらわんとな」

「あはっ、おじさん絶妙‼

    じゃあ笑ってお会計しましょうかね」 

伊津子が栄町を選んだのは正解だったようだ。

 

 餃子の皮からあふれ出す肉汁が、(うち)に秘めたモヤモヤを、

旨味に変えてくれたようだ。

 

Here we go ☆彡

「さあて、次はどこにしようか。

    台湾から関西に飛び級してみる⁉」

伊津子の腹は、既に決まっているようじゃないか。

すっかり少女気分の久美子も負けていない。

「いいねー、という事は、お向かいの “串揚げ屋” って感じ」

それではお2人さん、次なる酒宴へ Here we go ☆彡

 

   あんしぇー またやーさい💐

 

栄町社交街はアジアンだった

 国際通り周辺は、夕方になると本領発揮とばかり   

飲み屋が活気づく。

 

 ここはモノレール安里駅、その駅舎の階段を下りると

そこはちょっと異次元な匂いが漂う。

スーパーマーケットを挟んで二つの通りが伸びている。

怪しげなネオンを放つ長屋通り、

もう一方は真新しい店舗がこれ見よがしに並ぶ通り。

 

 通称“栄町社交街”は、独特の雰囲気を醸し出している。

近年、千ベロブームの恩恵を受け連日大盛況のようだ。

 

 だがある時期になると、店は軒並み休業の張り紙。

   (あっ、そうか、春節真っ只中なんだ)

    なんてことにならないよう、

         とりあえずイントロデュースしておこう。

 

 ここ栄町は、アジアを色濃く反映するスポットなのだ。

店を構える多くの人は、アジア各地の国籍、

若しくは帰化した人たちだ。

“うちなんちゅ”であれば、誰もが知っている。

沖縄は、未だ旧正月(春節)を祝う風習がありアジアを感じる。

うちなーぐちで言うなら “ソーグヮチ” と表現される。

 

昭和の栄町は1つの文化だった⁉

  ここで、昭和の栄町通りがどんな雰囲気だったか触れておく。

 よく知る人たちは、ディープな大人の社交場と表現した。

  “おでん屋” と呼ばれるスナックが軒を連ねる中、

 古酒(クース)泡盛と琉球料理を振舞う居酒屋も増え始めていた。

 

 こういう場所は、得てして文化人やジャーナリストたちに

愛される傾向がある。

新宿の、〇〇横丁といった路地酒場とよく似ている…。

 

 当時ここを愛してやまなかった1人のジャーナリストがいた。

彼の名は坂本哲、来沖するたびこの社交街を訪れていた。

彼のお気に入りは、ンジャナバア(ニガナの和え物)(つま)みに

クースをちびちび味わう事だ。

そして必ずといっていいほど、1人でふらっと立ち寄る。

意識的にそうしているようだ。

 

   

 

        

                   ー酒亀ー

 

 今夜も彼は、行きつけの居酒屋に1人でご来店だ。

暫らくすると、甚平姿の初老の男性が入って来た。

辺りを見回し、坂本を真横から捉えると

並んでカウンターに座った。

 

「坂本さん、あんたよく見かけるね。

 久茂地辺りの洒落た店の雰囲気がするんだが、

 なんでここなんだ⁇」 隣に座った客は物珍しそうにそう尋ねた。

 この社交街で坂本の知名度は高かった。

 

「何でしょうねー、曖昧な事がありすぎるからかな。

 ここへ来るとわずかなヒントを貰えそうで…」

 

「だが、俺みたいに知らんちゅ(他人)が話しかけてくるから、

 カシマシイ(うっとおしい)だろ」

「あはっ、確かにカシマシイですね、普通はそう思うんでしょうね。

 だけどここではそんな事も心地いいんですよ、何故か…

    その ”何故” が講じて、ついここに足が向くんです」

 

 するとこの “うっとおしい客” は、にやりと笑いこう言った。

「多分、それはあんたがジャーナリストだからだろうな」

坂本は思わず持ち上げたグラスの手を止め客の横顔を見つめた。

するとその客も坂本の方に目を向け、自分のグラスを坂本のそれに

コツンと当てた。

 

 その途端、坂本の口元が緩み始めた。

「本土に居ると沖縄に課せられた矛盾が活字になって、

 妙に憤りを感じるんですよ。

 だけど、ここにこうして身を置くと、なぜかそんな矛盾が少し

 影を(ひそ)めると言うか…」

「ここで生きるしかない俺たちに、それは正直気詰まりでもあるな」

「どういうことですか?」

「復帰してからというもの、本土並みを求められるだろ。

 少し抵抗もあるわけさ」

「そうですか。

 報道だけが走りすぎちゃいけないのかな。

 やっぱりしばらくここへ通うしかないみたいですね」

「簡単に答えが見つかるようじゃあ、つまらんだろ。

 あんたは心底ジャーナリストなんだから…」

 

そこで文化を紡ぎましょう

 多くの著名人が事ある毎に沖縄を語っているのを耳にする。

この地で生きる者は、そのたび何かしら温度差を感じてしまう。

なぜなら我々は、思ったより強いし明るい、そして開放的なのだから。

栄町は、そんな人たちが夜な夜な集っている。

人も文化も味わいたいなら、あなたも一度、めんそーれー。

 

               あんしぇー・またやーさい (^_-)-☆

 

 信頼の重み

 麻衣子は、多くの関係者の協力を得て、

被後見人 中城(なかしろ)(けん)の保護費受給権を勝ち取った。

仰々しく口にするほどの事ではないのだが…。

 “権利を得た” とするなら、

間違いなく彼の人生における一大イベントになった。

ここから先は、生活の質を上げるための道具探しが始まる。

つまり、利益追求ということになる。

 

 

 麻衣子にはその前に、すべきことがあった。

それは、発生させた負債の整理だ。

くい止めることはできたが、数々の未納金の返済が待っている。

改めて確認すると、G.H.利用料、訪問診療費、薬剤費等々。

(借金なんてまるで他人事だったのに、なぜだ⁉  この罪悪感 (~_~;))

 彼女がまず取りかかったのは、各債権者に対する返済計画書作成だった。

金額は施設を除き、何千円単位だが数か月分の滞納金が発生していた。

 

とりあえず分割払いを交渉し、了解を得る事から始めた。

〇〇薬局では、

「後見人さんが付いているので、特に返済計画書は求めません。

 保護が決定した事も確認していますので、分割で構いませんよ」

〇〇診療所は、

「年度内であれば、支払い可能なタイミングで清算して頂いて大丈夫です」

〇〇G.H.でも、

「返済計画書まで作成して頂いているのに、ノーとは言えません。

 わざわざ賢さんの通帳残高まで提示して頂いて恐縮です」

 

何はともあれ、麻衣子が立てた返済計画に沿って、

債務整理は進められる事となった。

(法定後見人って、信頼されいるんだな。

      今頃気づくなんて…何だか重たいなー)

いつになく彼女の心の声は控えめだ。

 

貴方に委ねます

 そして時は11月、丁度3年前、中城(なかしろ)(けん)に後見の審判が下った月だ。

後見人は、被後見人が審判された月の末日を節目に、

裁判所に年間報告をする事が義務づけられている。

今回は、これまでの事情を報告するため、

例年になく提出資料も厚みを増した。

(さてと、裁判所の書記官はどう反応するのだろう)

そう思いながら麻衣子は家庭裁判所(家裁)へ向かった。

溝口書記官は、淡々と書類に目を通している。

 

間が持たなくなった麻衣子が切り出した。

「後見人が付いていながら、負債はあり得ないですよね」

すると溝口は、少し口角が上がるくらいに笑みを浮かべた。

「保護申請が受理されたのですね。

 仕方がありません、こればっかりは…」

溝口の意外な応えに、麻衣子は驚いた。

「後見人というのは、簡単に言うと被後見人の分身ですから

 罪悪感のような感情も当然でしょう」

(ああ染みるなー、なんていい人なんだ。

書記官らしくない書記官だ)

 

 裁判所の書記官は、役所のインテークワーカーと役割が似ている。

あらゆる審判の権限は裁判官に委ねられている。

内容にもよるが、書記官は、後見人の判断の迷いに決して回答する立場にはない。

「保護の申請には、どうしても負債が伴うようです。

 事例も数多くありますし。

 何か判断に迷う事があれば裁判官へ上申書を提出することですね。

 1つの意見として言えば、この件は、後見人の裁量に委ねる範囲

 だと考えます」

麻衣子は溝口のこの説明を、いたって当然で誠実な回答として受け留めた。

つまり返済方法や手順については、後見人の裁量で執行せよという事だ。

麻衣子はこうして、家裁への報告を無事完遂することができた。

 

貴方の暮らしがある限り

 裁判所への報告も済ませた12月某日、彼女は中城(なかしろ)(けん)に面会するため

G.H.を訪れた。

出迎えてくれたのは、惜しまず協力してくれた内山相談員だった。

内山は長身で体育会系のがっしり型だが、その声と表情はいたって柔和な印象だ。

その彼の背後にすっぽり隠れるようにして顔だけ覗かせたのが賢だった。

細身だが内山に引けを取らない長身である。

「賢さんよかったね、与儀さんのおかげでここから引っ越さなくて済んだよ」

内山のその言葉に賢が反応した。

「そうだろ、俺がここに居ないと困るだろ、稼ぎ頭だしな。

 なあ、兄さんもそう思うだろ」

「そりゃそうだ、だけど礼はちゃんと言ったほうがいいよ」

「おっ、そうか、じゃあ、有難う…ございました」

「僕に向かって言ってどうするんだよ。

 与儀さんに言わなきゃ」

「あっ‼どうも」

彼女は、そんな2人の心緩むやり取りを前に、極上の笑みを放った。

 

人と人を繋ぐものって何⁉

 何かと波乱に満ちた年が明け、新年を迎えた。

麻衣子の職場では、仕事始めの恒例イベントの最中だった。

休憩時間に軽食が振舞われ、各部署の同僚たちが雑談に花を咲かせている。

彼女もその輪に加わりながら、目ではある人物を探していた。

他でもない松川Drだ。

彼女は、中城(なかしろ)(けん)の事例について、その結末を報告したかったのだ。

松川と交わした “憲法談義” が、行動の原動力になったと感じていたからだ。

 

「先生、明けましておめでとうございます。

 旧年中は…」

「おい、堅苦しいのはやめっ‼ ところであれはどうなった⁉」

おやっ、松川も気になっていたようだ。

医療・福祉に携わる者にとっては、インパクトある事件だったという事だ。

「はい、無事ゲットしました」

「おい、正月早々、品のない表現だな、まあ、何はともあれ良かったな」

「たくさんの人に助けてもらいました。

 今は感謝しかないです。

 先生流に言うと、憲法第25条が可視化されたと言うべきなのかな(・・?」

松川は、その言葉に反応して、しばし彼女を見つめた。

「麻衣子、君はよく解っていないな、

 いいか憲法は空から降ってきたとでも思うか、星の欠片か…」

「えっ⁉ んっ(*_*;   また突然ファンタジーなこと言われても…」

「今、禅問答してる暇はないから言うが、

 物事の道理は全て人が創り出している訳さ、

 最終的には人がどう動くかだよ」

麻衣子は珍しく、松川のその言葉に何かを感じ取ったようだ。

「あっ、それ何となく解ります。

 行動の先に応えがあるような… そんな感じかな」

彼女はその先を表現できずにいたが、何かヒントは見つけたようだ。

 

“道理”を(わきま)えるとは

 松川は、そんな彼女の途切れた言葉を補うかのように話し始めた。

「人は常に人と交わって生きているだろ。

 そこには “道理” があると思うんだよ。

あくまで僕の私見だよ…それが憲法語録なんだなー」

彼は、人の交わる場所には道理があり、そこに法という規範があると説いた。

「道理ねー、よく聞く言葉ですね。

  今回動いてくれた人たちは、賢さんの将来を想像したはずですから。

  純粋に…」

 

「人ってのは、無意識のうちに動くとそれがいつの間にか意識に変わる。

 後で気づくと、そこに憲法の原理原則があったということかな」

「それって心理学ですよ先生、まいったなー。

今私が興味津々の分野です」

松川は意味深な笑みを浮かべながら

「『人を制すれば、道は開く』 ってな」

「えっ‼ それって誰の言葉ですか」

「あっ、嫌っ、僕が今考えた(;’∀’)」

「なあんだ、はい・お跡が宜しいようで」

 

 論理的で誰もが納得する筋道を “理に叶う” というなら、

素直に物事の本質を見極めることも目標達成への近道となる。

麻衣子には、それが憲法第25条を理解する糸口になったのかもしれない。

そして常に人は、互いの信頼関係から“道理”を(わきま)え行動している。

これはあくまで、“俯瞰の黒子”の私見にすぎないのだが…。

 

 麻衣子は、中城(なかしろ)(けん)の顔を思い浮かべながら1人つぶやいた。

「何となく解ったかも、

最低限度の生活の先にあるもの…日常

今度手に入れるのは何だろう⁉ 楽しみにしてます‼ (^_^)」 

 

                                                                                              THE END💐

 

 

 

                                             

 

 

2度目の挑戦の始まりは

 前回同様、申請から数日後、

グループホーム(G.H.)から実態調査の日程が伝えられた。

今回麻衣子は、調査に立会うことを決めていたからだ。

当日、はやる気持ちを抑えながらG.H.の玄関をくぐった。

直ぐ様、彼女を捉えた内山は、只ならぬ表情をしていた。

 

   嫌な予感と共に彼の第一声は、

 「やっぱり連絡なかったんですね、

 先ほど担当のC.W.さんが実調を終えて帰ったところです」

「えっ⁉ 10:30じゃなかったんですか」

「はい、もう1人の利用者が10:00だったので、一緒に済ませると言って…」

「えーっ‼ それはないです。

 聞きたい事もたくさんあったのに…なんでー (*_*; 」

内山も同じように困惑の表情を見せこう言った。

「しかも、今回も決定は微妙だと言っていました」

(そんな馬鹿な、憲法第25条の奴、

 彼を見放したってことか、あり得ないよ)

麻衣子の怒りと憤りは絶頂に達していた。

内山はそんな麻衣子を気遣うように

「決定が降りない前に、一度保護課の窓口へ行きましょう。

 そこに僕も同席させて下さい。

 福祉の領域なら、聞く耳も持ち合わせているはずです」

「そうですね、玉井さんにも急ぎ連絡してみます。

 その時はお願いします」

「承知しました。

 まったく、あり得ないです」

 

審判は、さりげなくも突然に

 実態調査から2日後、麻衣子たちは保護課の相談窓口にいた。

彼女は玉井と内山に並んで座り、担当したC.W.を待った。

ひたすら(冷静に、穏やかに)と繰り返し内声を発動させた。

それでも自分を鼓舞する勢いは忘れていなかった。

 

 そこへ仲座(なかざ)という小太りで無精ひげ(のような)の男性ワーカーが

カウンター越しに座った。

やけに冷静沈着な彼の様子は、益々麻衣子の内なる怒りを刺激した。

「先日は与儀さんを待たずに実調を終えてしまって申し訳ありませんでした。

 あの後、会議を控えていたので少し急ぎました。

 今日はご質問があるという事なので今解る範囲でお答えします」

 

 彼の前置きが終わるか終わらないかのタイミングで麻衣子が口火を切った。

「今回も、実調の際に、決定は微妙だとおっしゃったようですね。

 確か手持ち金と残高を併せて10万円の壁は超えていなかったはずです。

 それでなぜ今回も微妙なんでしょう。

 それ以外の基準があるなら教えて下さい」

仲座は穏やかな口調で話し始めた。

「10万円と言うのは、あくまで目安です。

 それぞれの市町村によって微妙に異なるのですが、

 それだけで計るのではありません。

 その人の年金額や、かかる医療費等、

 様々な状況を総合的に判断します」

 

 そこで玉井が身を乗り出して切り出した。

「つまり、市町村の裁量も加味しての基準があるということですか」

「そうですね、簡単に金額だけで表せない部分、

 いわゆる個人差は配慮しています」

仲座のこの説明のタイミングで、麻衣子は予め準備した書面を提示した。

そこには、月額収支の実態と、保護決定基準に対する疑問点が記されていた。

彼女は喜怒哀楽に子供っぽさはあるものの、

抑えるべくは抑えるあたり、実に男前だ。

 

麻衣子の逆襲は如何に

「それでは、この書面に沿ってお伺いします」

仲座は少し驚いた表情を見せたが、直ぐに柔らかな笑顔を返した。

「家賃扶助32,000円の壁はどう解釈したらいいですか」

「はい、中城(なかしろ)さんの場合、障害福祉課から施設給付金が出ています。

 これを家賃扶助に当てるのでその分受取額が減額されます。

 なのでインテークでは、

 『もっと安価な施設へ移れないのか』と打診されたと思います。

 決して上限額を超えてはならないと言う意味ではありません」

「つまり他法で受けている恩恵は全て加味した上で

 生活費を試算するという事なんですね」

「そうです。

 これについては保護決定後の説明になるので

 深く詳細には触れなかったのですが…」

すると何かに気づいたのか、玉井がそのやり取りに割って入ってきた。

「えっ、ということは、決定…なんですか⁉ (;’∀’) 」

「はい、切り出すのが遅くなりました。

 今回、中城(なかしろ)(けん)さんの保護が決定しました」

 

「はぁー‼ ちょっと待って・ちょっと待ってー 深呼吸させてください」

何とも麻衣子らしいリアクションに同席した2人も顔を見合わせ苦笑した。

すると仲座はこう続けた。

「施設の方もいらっしゃるので、誤解のないようお伝えしますが、

どの案件でもその状況次第で『安価の施設を探してはどうか』と提案します。

いわゆる通過儀礼のようなものと思って下さい」

「承知しました」

それまで緊張の面持ちで発言のなかった内山も笑顔で答えた。

 

権利は行使すべし

 麻衣子は声にこそ出さなかったが、思いっきり叫びたかった。

(よしっ!これで権利は得た、後は負債の整理だ)

これで負債が広がることは食い止められたのだ。

決して十分な支給が受けられる訳ではないことも承知の上だ。

彼女は既に保護決定後の次なる課題が頭をよぎった。

 

 同席した2人が去った後も、麻衣子は手続きのためその場に残った。

彼女は、次なる課題について仲座に尋ねた。

「仲座さん、彼の場合、通院移送費の支給は可能なんでしょうか。

 2週間おきの通院は欠かせないらしく、施設に支払う移送費が

 結構負担なんです」

「可能ですが、諸々の条件が伴います。

 手引書のコピーを差し上げますので目を通してみて下さい。

 最大の決定要件は、主治医の意見書になります」

「有難うございます。

 施設の方とも相談してみます」

 

 唐突に発言しているようだが、

意外にも用意周到な麻衣子に、驚かされるばかりだ。

後見人は、被後見人の財産を守ると同時に、利益追求が求められる。

彼女は、既に権利を行使するための次の一手が頭をよぎっていた。

そして微かな笑みを浮かべつつ、意気揚々と役所を後にした。

次なる行動のシミュレーションは出来上がっていた。

 

   💐人は過ちから学ぶ、それが人なのだ。

           だが、二度目の過ちは罪になる💐

                      ⋆⋆⋆⋆だそうだ。

 

                          ・・・つづく

 

 

 

いよいよ幕は切って落とされた

  麻衣子が市役所へ保護申請をしたのは、初回相談から1週間後の事だった。

既に施設の内山相談員にも事情は説明済だった。

「役所のワーカーから実態調査の連絡を受けているので僕が対応しますね」

内山相談員も何度か経験済とあって、麻衣子も多くを語ることはなかった。

賢の生活状況は施設が掌握しているし、あえて同席はしないと決めていた。

「損害保険が認められないってとこが気になります。

 その辺り事故の状況説明を求められると思います」

「解りました。

 必要性はアピールしておきます」

 

貴方の暮らしを変えたのは

 施設入所から半年を経過した頃、賢は既に破損事故を起こしていた。

それでも施設に移り住んでから、彼の生活は一変していた。

入院中はできなかった事が、できるようになったことだ。

それは他でもない日常的な行為、歯磨き習慣だ。

麻衣子は、口腔ケアが感染予防として、重要であることを知っていた。

 

 「本人が望まない習慣を、ケアする側の価値観で押し付けるのはどうかと…」

彼女は以前、病棟で受けたこの説明を思い出していた。

改めて治療優先の場と、生活の場の違いを実感させるエピソードだ。

今では歯磨きペーストの好みを口にするほど、習慣化されている。

いうまでもなく、普通の暮らしが彼を生活者へと成長させた。

 

ありえない敗北です

  保護課の実態調査を終え、1週間が経過した。

 申請から2週間が過ぎたころ、麻衣子の下に保護課の通知が届いた。

「えっ!却下、そんな馬鹿な。決まりじゃなかったの、なぜ⁉」

 麻衣子は驚きのあまり封筒を強く握りしめ、暫く動けなかった。

 

  直ぐ様、役所の保護課へ連絡を入れた。

 担当ワーカーの説明はこうだった。

「保護基準に値する最低生活費を上回っています。

 また、6月には年金額が増額されますので、

 それを踏まえて保護費支給に該当しないと判断しました」

麻衣子の心臓は早鐘を打つ勢い、これまでの手順に手落ちはなかったか等

様々な状況を思い起こしていた。

その時初めて“権利”という言葉が頭の中を駆け巡っていた。

権利には当然のごとく縛り(法律)が存在している。

1つでも合致しなければ、それは非合法になることを知った瞬間だった。

 

起死回生なるか⁉

 さて、この先麻衣子はどう動くべきか、即座に思考をフル回転させた。

(自分だけの判断では弱い、客観的意見が必要だ。そうか、あれだ‼)

彼女の言う “あれ” とは、『成年後見制度中核機関』を指している。

数年前に制度化され、権利擁護事業に特化した相談支援機関のことだ。

 

 権利擁護事業の主な目的は、支援が必要な方々の「権利」や「利益」を守り、

誰もが地域社会で自立した生活を送れるようにすることだ。

具体的には、不当な取引による財産の侵害、虐待や不適切なケアの防止、

保険・福祉サービスの契約等を支援することにある。

その対象は、後見人等を求める人やその担い手という事になる。

麻衣子たちのような後見人にとっては、強い味方と言える。

 

 早速その事業所を訪ねた彼女は、間髪入れずに用件を切り出した。

「実はつい先日、保護申請したのですが却下されました」

麻衣子は迷うことなく事の状況を、時系列で話し始めた。

柔らかな面差しの玉井相談員は、男性にしては中々のハイトーンボイスだ。

どこか中性的な雰囲気を感じさせる。

 

「却下の理由は何だったのでしょう」

「預貯金が、保護基準の生活費を上回っていると言われました」

「担当ワーカーは、基準額を教えてくれましたか」

「はい、9万から10万らしいのですが、何だかアバウトな回答ですよね」

そんな問答がしばらく続いたところで玉井から提案があった。

「それでは、月額収入と支出を書き出してみませんか、

 それで次回申請のタイミングが計れるはずです」

 

玉井のその言葉を聞いて、麻衣子は予め準備しておいた

出納表を提示した。

用意周到な彼女に、玉井も驚きの表情を見せた。

「これはすごい、問題も拾いやすいですね」

実は麻衣子もこの表を作りながら気づいたことがあった。

「ええ、ここに来る直前に気づいたんです。

 時期が早かったーって(*_*;」

「そのようですね。

 今現在の残高を見る限り、次回申請はもう少し待ったほうがいいですね」

「そうですよね、ここで今話しながら整理もできました」

「次回は、ご一緒させて頂きたいのですが大丈夫ですか」

「ぜひ、お願いします」

 

 ここでは、相談する側とされる側として対峙しているが、

互いに支援者の立場にあるだけに、率直な意見交換となった。

つまり、腹の探り合いをすることなく、

互いの意図に暗黙の了解があったということだ。

麻衣子はこの日最高の笑みを見せた。

法的根拠が存在する申請の相談窓口では、

第三者を同席させることが望ましい。

その客観的視点がいかに重要か、彼女は知っていた。

 

敗北は勝利の前兆と言うけれど…

 3ヶ月後、彼女は玉井相談員を伴い、再び保護課の窓口を訪れた。

「2度目ですが、保護申請の相談にきました」

カウンター越しの担当者は、初回同様太田だった。

「今回は中核機関の相談員さんが同席しますが宜しいですか」

玉井はおもむろに名刺を差し出し軽く挨拶をした。

「太田さん、基幹事業所の玉井です。

 宜しくお願いします」

「はい、存じ上げています。

 いつもお世話になっております」

(なーるほど、そういう関係なんだ、よしっ!覚えた)

 

 麻衣子の内声には意味がある。

それは自分の中に湧き上がる衝動を癒す緩衝材なのだ。

だからこそ、どんな場面でも発動させている。

 

 間もなく太田が口火を切った。

「前回、本人の詳細につては聞いていますので、

 残高の確認をさせて下さい」

麻衣子も通帳を手渡すと同時に話し始めた。

「このままいくと10月分の支払いは負債をだすことになります」

だからどうだという結論を、彼女はあえて口にしなかった。

すると太田は言った。

「何も出し惜しみをしているわけではありませんよ。

 前回は、保護決定の基準に従った決定です。

 そもそも、〇〇市の家賃上限は32,000円ですが、

 この施設は35,000円なので、上回っています」

(出し惜しみだと⁉ こっちはそんな事なんて知らんわい。

 ははーん、ない腹を探ってきたな。

 太田さん、その発言、貴方には似合わないって(゚д゚)!)

麻衣子も、ここは我慢のしどころとばかり、ぐっとこらえた。

太田も少しずつ詳細に触れる発言がある一方、

麻衣子には今1つ彼女の説明が理解できなかった。

 

 そこで、施設相談員から入手した情報をぶつけてみた。

「ですが施設職員の話しによると、つい最近こちらで

 保護を受けている方が入所したと聞いています。

 家賃は同じ額だそうです」

「通帳残高が基準生活費を下回っていたのでしょう」

ますます混迷する麻衣子に気づいた玉井が発言した。

「つまり、最低生活費の上限額を下回るタイミングが

 ベストということになりますか」

太田は無言でうなずいた。

「それと、通帳残高だけが本人の財産ではありません。

 手持ち金も合算します」

「なるほど、施設に預けてある小遣いなどが

 手持ち金ということになるんですね」

「そうです。

 前回却下の理由が、通帳残高に手持ち金を合わせると

 最低生活費を上回っているという事でしたので」

そこまでの話の展開に、麻衣子も、やっと腑に落ちた気がした。

 

最低限度の生活を可視化すると

  この最低生活費とは、憲法第25条が定める“最低限度の生活保障”を

 可視化したという事になる。

 日本国民の最低限度の生活費は10万円がボーダーラインという事なのか。

 麻衣子は、太田と玉井のやり取りを聞きながら、

この25条の意味を改めて考えていた。

 

「健康で文化的な最低限度の生活」は、

憲法第25条で保障された生存権の核とも言われている。

人間らしく生きるための最低限の生活水準を指し、

これを実現するために生活保護制度などが設けられている。

この権利は、国が社会福祉・社会保障・公衆衛生の向上に

努める義務を伴い、国民の生活全般に関わる重要な理念といえる。 

 

 この条文は、言い換えると生活保護制度の根幹でもあり、

保護受給を認めるか否かの重要な基準となっている。

麻衣子は、その可視化された基準に、

なぜか根拠のない虚しさを感じていた。

(人の生活には、対価が伴うのは当然…なんだけど⁉

             あーっ‼ 今は忘れよう、思考放棄だ)

そんな彼女の表情を見透かしたかのように、太田が切り出した。

「こちらからの提案ですが、月末にもう一度残高を確認させてください。

 電話連絡で結構ですので…

 今お伝えできるのはここまでです」

玉井も、太田と同じように麻衣子の表情を覗き込みながら

この提案を促すような(まなざし)を送った。

そんな2人の視線を受けて、彼女もまた腹が座ったようである。

 

その秘策、リスクあり⁉

  麻衣子は後日、再び玉井を訪ねた。

 彼女には万が一を想定するある秘策があった。

「玉井さん、私たちの仕事は、リスク管理(マネジメント)が必要です。

 そこで私の対策をお話してもいいですか」

 玉井は、柔らかな表情を浮かべながら(うなず)いた。

 

「あくまで万が一なんですが、

 次回も却下となった場合、彼が抱える負債は今後益々膨らんでいきます。

 まずはそれを止めないとけません。

 その時は、再入院を考えています。

 彼の場合、重度身体障がい者の医療助成を受けているので、

 入院費は免除になります。

 そうして負債を解消して、新たに安価の施設を探す。

 つまりリセットです」

 

 「重度心身障害者(児)医療費助成制度」とは、重度の障害を持つ人の

医療費自己負担分の一部または全部を助成する市区町村管轄の福祉制度だ。

中城(なかしろ) 賢もその受給者証を既に取得していて、その対象者なのである。

 

 玉井は、麻衣子の突飛な発言に戸惑った表情を見せた。

「与儀さんの考えは僕にも理解できます。

 ですが、それは彼の今の生活や心情も振り出しに戻すという事ですよね。

 それはどうなんでしょう⁉」

「重々承知の上です。

 対価を払えないからといって、人の生活を止める事はできないでしょ」

玉井は、麻衣子の苦渋の選択を理解すると同時に、

避けるべき選択肢だと認識した。

 

 暫く2人の間に沈黙が流れた。

「病院の相談員さんには、少し情報発信しておこうかと考えています」

「そうですね、

 相談員の心理としては、前情報のないまま、この依頼は動揺しますね」

 ごもっともな意見だ。

 こんな深刻な場面ではあるが、専門職同士のやり取りは、

 率直で清々しいものがある。

 麻衣子はその後も心中複雑で、中城(なかしろ)(けん)の顔が浮かぶたび、

 その幻影を消去したくなる衝動にかられた。

 

日本国憲法は美しいんです‼

  麻衣子は、本業の(かたわ)らも中城(なかしろ)案件が頭から離れずにいた。

 ある日の昼休み、彼女は休憩室で1人物思いにふけっていた。

 すると彼女は、背中のあたりに気配(けはい)を感じて振り向いた。

 同法人診療所の松川Drだ。

 彼は訪問診療医として、地域医療に携わる医師だ。

 歯に衣着せぬ物言いは、

地域住民からは賛否の声もあるが、信頼される医師だ。

 言い換えると、正直者、根拠のないことは軽々しく口にしない。

 そんな職人気質の医師だ。

 

 麻衣子は、この無駄のない物言いをする松川に、

ことある毎に教えを乞う関係だ。

「こらっ‼ 昼休みとは言え、心ここにあらずか⁉」

彼女はふっと息を吐くと、物憂げに言葉を紡いだ。

「先生、一時保護なんて理由で入院することって罪ですよね」

「罪だとする根拠を聞かないと何とも言えないが、

 精神科ではよくあることだろ」

そこで麻衣子は、今回の事案について簡単に説明した。

すると松川はこう言った。

「まさに憲法第25条の体現みたいな話だな」

「憲法ですか⁉」

松川は腕組みをしながら話し出した。

「25条を語る上で、まず僕が真っ先に言いたい事は1つ!

 なんとも美しい表現だってことだよ」

「美しい⁉ どういうことですか」

「日本国民には、健康で文化的な最低限度の生活が保障されるってことだろ。

 こんな詩的な表現の最高法規って他にはないだろ。

 まずはそこだ」

「えっ、ちょっと凡人には解りません」

「単純に言葉の美しさだよ、凡人もクソもないさ、率直に美しいんだよ」

麻衣子は、また顎に手をあて思いっきり首を(かし)げた。

「金で計られる以前に、人としての真理を説いていると思うんだよ。

 僕は法律家じゃなくて医者だから、人は国の責任で守られるって

 とこに共感する訳さ」

松川のこの語り口に、麻衣子も漠然と何かを感じ取ったようだが…。

「美しい物にはトゲがあるってことですか」何とも彼女らしい発想だ。

ここは、らしさを尊重しつつ軽く受け流しておこう。

「理念ってのはあなどれないものだよ。

 不思議と人はそこに向かっていくんだよ。

 必ずあの美しい条文が体現される方向へな…」

「つまり、それって、言い換えると保護は決定するよってことですか」

「まあ、そこはオブラートにしておこう。

 何せ僕は医者であって、保護決定権者ではないからな」

麻衣子は解るような・解らないような、そんな曖昧さを、

安堵の思いで受け入れた。

 

権利と義務の関係って

 松川は、さらに法の原則に触れる発言をした。

「当然のことながら、憲法は人としての権利を表現しているんだよ。

 だが、人は権利を得ると同時に、義務が発生することを忘れがちだ。

    その義務を全うできるかどうかを法律(刑法・民法等)が監視するんだよ。

 医業もまさしく権利を(たて)に何でもかんでも報酬化できないだろ」

「権利があれば、そこに義務が発生するってことか。

 それは私も熟知しているつもりです」

福祉の専門職であるかぎり、“権利と義務”の関係は、

切り離すことのできない真理ということになる。

 

 「健康で文化的な最低限度の生活」とは、

具体的に言うとどういうことなのか。

この“俯瞰の黒子”も改めて考えてみることにしよう。

 

「健康」であるという事は、病気にならず、衛生的な環境で暮らせること。

「文化的」とは、単なる生存を意味するのではなく、教育、文化活動

といった人間らしい生活を送るための最低限の要素だろう。

人はその理想に近づくための権利を得て、これを持続させるために

義務を果たすことになる。

例えば、対価を得る(権利)ために労働し、

それに見合う税金を納める(義務)といったことだ。

麻衣子も、この事案を通して

「最低限度の生活」の意味に気づき始めている。

 

超えられない試練はありません…

 麻衣子は、オフィスの窓から空を眺めて思った。

(今知っている情報を繋ぎ合わせていけば達成できるはずなのよ)

彼女の内声は既にポジティブ思考に転換され始めた。

松川医師の発想も、その助けになったことは言うまでもない。

とりあえず、病院相談員への情報発信も済ませた。

(やるべきことはやった☆彡)

準備は全て整った。

 

 それから太田の助言通り、月末まで時期を待ち、月が変わると同時に

  2度目の申請をした。

 麻衣子はひとり呟く

「超えられない壁はぶち破るしかない、やってやろうじゃないの」

与儀麻衣子殿、その意気です。

この“俯瞰の黒子”も陰ながら、あっ!(もとい)

影としてエールを送ろう。         

                 …つづく