日本国憲法第25条

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

 

 

 

プロローグ

 私は、何を隠そう人である。

唐突だが、社会人としての役割を無事卒業させて頂いた者だ。

今や何の肩書もない…ただの人である。

このご時世を反映して、あえて性別は明かさずとしよう。

言うなら、“俯瞰の黒子” とでも言っておこう。

 

 現役の頃は、納税者としての義務を果たし、ひたすら労働に励む日々だった。

今は、その恩恵にあずかり、“俯瞰の黒子” という身分で、社会の現状に

触れる機会を与えられた。

つまり、のぞき見をゆるされていると言ったところだ。

 

 この世の中、知っている事より、知らない事のほうが圧倒的だと

既に気づいている。

 

 人生終盤に突入したばかりの新参者ではあるが、

人の幸福って何(・・? 等と考える機会を与えられてしまった。

ここに来て今更といってしまえば、身もふたもないのだが…。

何はともあれ、これから遭遇する出来事を、

この“俯瞰の黒子”が、ナビケートしてみよう。

 

財産を守るとは人を守る事です

 いきなり目に飛び込んできた1人の女性、覇気のある足取りが心地よい。

(あご)に手をやり、ひとり言を呟きながら、オフィスへ吸い込まれていった。

彼女の名前は与儀(よぎ)麻衣子(まいこ)

地域相談支援事業所の相談員という肩書を有している。

とある法人に所属する社会福祉の専門職者である。

その専門職には、他にもいくつかの役割が付与されている。

その1つが成年後見人である。

彼女も本業の傍ら二足の草鞋を履く身分なのである。

 

 彼女のキャラクターを一言で言うと、単純明快。

つまり喜怒哀楽が顔に出てしまうタイプ。

曲がったことが嫌いで、直ぐに激昂(げっこう)するのはやっかいだ。

この仕事をするようになってからは、流石(さすが)に抑えも効くようになった。

つまり、on・off  の切り替えが上手くなったという事だ。

だが、彼女をよく知る人たちに言わせると、切り替えの上手さは天性らしい。

ある意味この職種は、彼女にとって適材適所と言える。

 

  

 

 

 ここで成年後見制度について触れておこう。

法定後見人とは、裁判所から任命を受けた”三士会”がその役割を担っている。

“三士会”とは、主に3つの専門職能団体

(弁護士会・司法書士会・社会福祉士会)を指す。

家庭裁判所へ後見制度利用の申し立てを した後、その権利が認められた

当事者に対して、裁判所が後見人等(後見・補佐・補助)を任命できる。

麻衣子も職能団体に登録する法定後見人ということになる。

 

 彼女は今、難題とも言える案件に直面している。

当初はまだ、なんなく切り抜けられると思っていたようだ。

だが直ぐに、事の重大さを知ることになる。

 

 彼女が担当する被後見人が退院し、障がい者施設へ入所して1年が過ぎた。

中城(なかしろ)さんの預貯金が底をついてきた、セオリー通り保護申請しなくちゃなー)

このところ彼女は、そのタイミングを計る事で思考の殆どをつぎ込んでいる。

 

  中城(なかしろ)(けん)なる人物は、知的障害と統合失調症を合併し、

長期間精神科に入院していた。

昨年、無事退院し、障がい者施設(グループホーム・G.H.)に

入所した48歳の男性だ。

彼は入院中、家庭裁判所から後見相当の審判を受けていた。

その後、麻衣子が彼の後見人に任命されたという経緯だ。

つまり麻衣子は、被後見人中城(なかしろ)の法定後見人となったわけである。

 

 父親を数年前に亡くしてから、彼の相続人となる親族は不明のままだ。

体に障害はなく、日常生活の行動は保たれているが、コミュニケーション

理解力に乏しい。

ひたすらに自分の世界を誇示し、話し始めると留まることを知らない。

問題は、突発的な粗暴行為がある事と多飲水にある。

人は水分不足で干からびると死に至るが、摂りすぎもまた危機的なのである。

そんな彼にも、普通の生活を手に入れるチャンスが巡って来た。

そうして、新たな生活の場を得た。

 

 

 

退院直前の置き土産(回想1)

 時は1年ほど前に遡る。

中城(なかしろ)(けん)が退院を3日後に控えたある日、麻衣子の携帯に着信がとびこんだ。

病棟ケースワーカーの島袋(しまぶくろ)妙子(たえこ)だ。

「賢さんが椅子を壊しました。

 詳細は師長から連絡が入ると思います。

 残念ですが完全破損の状態で弁済対象になります」

担当して以来、初めてのアクシデントだ。

よりによって何故今なのかと、麻衣子は1人絶句してしまった。

 

 程なくして師長から事の詳細について連絡があった。

師長は電話越しで、申し訳なそうに麻衣子に語り始めた。

「モニターで確認したところ、夜中に食堂の椅子を投げ飛ばしたようです。

 実物を確認したところ、使用不能の状態です」

麻衣子が中城(なかしろ)(けん)を担当して2年になるが、物を壊すほどの粗暴行為は

初めての事だった。

「また、どうしてそんな事したのでしょう」すかさず麻衣子は切り出した。

「はい、本人にも理由を確かめたところ 

  『ガタガタして壊れていたから危ないと思って壊した』 と言っていました」

「えっ、それが理由ですか」麻衣子は思わず声を荒げてしまった。

「退院する事を理解していた半面、どこか不安もあったんでしょう。

    その表れかと推測しています」

さらに師長はこう付け加えた。

「彼のキャラクターからすると、それなりの配慮ともとれるんです。

 つまり自分がいる間に壊してしまえば新しい椅子が届く、

    他の患者が助かると思ったんでしょう」

精神科の看護師はその道のエキスパートだ。

彼らの的確な分析に麻衣子も納得せざるを得なかった。

同時に彼女は受話器を握りながら、なぜか笑みをこぼしてしまった。

 

 人の行為はその人なりの認知力に裏打ちされた理由がある。

麻衣子はこのエピソードを通してそう実感していた。

そんなどたばたを経て、彼は退院した。

その事件以来麻衣子は、彼が新たな環境に馴染むまで

気が抜けないことを学習した。

 

新たな生活の始まりは…(回想2)

 それから施設での生活も数か月が過ぎ、平穏な日々が続いていたある日、

G.H.の内山相談員からの一報が麻衣子に飛び込んできた。

それは案の定、衝撃的なものだった。

「賢さんが、談話室のテレビを壊してしまいました。

 どうやら使用不能のようです」

不意打ちの出来事に、職員も防ぎようがなかったとの説明だった。

 

 ここで、入所と同時に加入した損害保険が功を奏し、

本人は最小限の負債額で事なきを得た。

これは、障がい者を対象とした保険である。

仮に保険事故が発生したとしても、事後の保険料は、

契約時と同額という優れものだ。

入院中の一件を教訓としたリスクマネージメントが、ここで活かされた。

”過ちは正すことに意味があり、二度目は罪になる”

そう心して臨んだ麻衣子の判断が勝利した。

そんな彼女のポリシーからすると、理由は改めて聞くまでもなく推察できた。

スタッフも細心の配慮で本人に接していたことは彼女自身も知っていた。

この事態は、成るべくしてなったと自身を(いさ)めた。

 

 それ以降、賢は徐々に落ち着きを見せ、面会のたびに笑顔も増えてきた。

「俺が、ここで働ける間はこの会社も安泰さ」

そんな賢の発言をスタッフも笑顔で受け入れている事を麻衣子は知っていた。

当然の結果として、環境変化に対する賢の心の葛藤も和らいでいった。

 

保護申請、まずは相談から

 入所後1年が経過し、現在の麻衣子の気がかりは、賢の財産状況だ。

そろそろ預貯金が底をつき始めたのだ。

入院費に比べ、施設利用料の方が上回ることは、入所当初から試算済みだった。

そろそろ、生活保護の申請の時期にさしかかっていることを実感していた。

 

 麻衣子はまず、市役所の保護課窓口へ相談にやってきた。

「太田と申します。

 状況をお聞かせください」 

柔らかな口調のこの女性はインテークワーカーだ。

 

 インテークワーカーとは、

介護・福祉の分野で、困りごとを抱える相談者(利用者)と最初に出会い、

その悩みや要望を聞き取り、適切な支援につなげる役割を担う専門職

(ソーシャルワーカー等)のことである。

その業務自体を“インテーク(受理・受け入れ)”と呼ぶ。

彼女の第一声を聞いた麻衣子は、

(よっしゃ!これは相性よさそうだ、いける‼) と内声を発動させた。

「私の担当する被後見人さんが、1年前に病院を退院してG.H.に入所

 したんですが月額の年金収入を上回る施設利用料を支払ってきた結果、

 近日中に預貯金が底をつくという試算になり、保護申請の相談に来ました」

「そうですか、

 本人の通帳をお持ちでしたら拝見したいのですが、よろしいですか」

「はい、どうぞ」

太田は、柔らかな口調ではあるものの、表情は全く変えず、いわゆる

ポーカーフェイスだ。

(あれっ、少し印象が変わったな、感情が読み辛いタイプか(・・?)

 

 麻衣子はさりげなく太田の表情を観察し始めた。

少しでも多くの情報を収集しようと、すかさず会話の攻略法を練り始めていた。

保護受給申請にあたっての一通りの説明をうけたところで、

太田は確信に触れる説明を始めた。

「まず被保護者は、基本、任意保険加入は認められていません。

 予めお伝えしておきます」

「今後、物を壊したりする可能性があるので、負債は抑えられると思うんですが…」

太田は麻衣子の説明には応えなかった。

「必要書類は揃っているようなので本日付けでも申請は可能です。

 ですが、なるべく直近の支払いは済ませた方がいいかと…どうしますか」

 

 麻衣子はやけに意味深な彼女の発言に即座に思考を巡らしながら

慎重に言葉を発した。

「それはどういうことでしょう、可能な範囲で説明して頂けますか」

「今は保護基準の預貯金額を上回っているので、

 この月の支払いを済ませた後がいいと思います」

太田のこの言葉は、その時の麻衣子には勝利を呼び寄せるものに聞こえた。

(なるほど、預貯金額か、それは最高のヒントじゃないの、太田さん有難う)

 

 この手の面談は、お互いが専門職であればあるほど、腹の探り合いの欧州だ。

どちらも相手の攻略法を探っている。

あえてどちらが探り当てたかは触れないでおこう。

 

 太田は面談の最後にこう言った。

中城(なかしろ)さんの今の生活は入院中と比べてどんな様子ですか」

「一言で言えば、人並みの生活が戻ったという印象です」

その時初めて、太田と香苗の双方に笑みがこぼれているのを見届けた。

 

 時は若夏の季節にして、官公庁では新年度を迎えたばかりだ。

そして麻衣子の試練の始まりでもあった。

 

                        ・・・つづく

 

 

 

 久しぶりの投稿です(^_-)-☆

 

今年前半は頑張りすぎて、暑苦しい夏を迎える頃には

 

ネタが尽きてしまいました。

 

ここに来て、やっと投稿意欲が復活してきました。

 

覗いてくださった皆様には感謝です。

 

書く事、想像する事って、やっぱり楽しいものです。

 

さーて、それじゃあまた、知らなかったこと、

 

あれこれ見つけては、語ってみるとしましょう。

 

Evryone‼ here we go ☆彡

 

 

 

  

                               

         クワンソウは、島野菜と呼ばれる「沖縄の伝統的農産物」。

        安眠効果が認められ、煎じ茶として飲用されることが多いが、

        沖縄では野菜として食卓に上り、家庭でも栽培されている。

        琉球王朝時代から民間療法に利用され、宮廷の接待料理の

        食材としても珍重されていた。出典:琉球新報/マイナビ農業

 

     漢方クリニック受診

      2025年1月某日

       いよいよ漢方外来受診だ。

       やっと、ここまでたどり着いたかと思うと感慨深い。

       あの昔気質(むかしかたぎ)の爺ちゃん先生との再会、ちと楽しみだ。

 

       診療室

       ◎「先生、お久しぶりです」

       Dr「うん、今度は何があったの」

                   ◎「脊柱管狭窄症にすべり症という診断がでて、

                           内服とブロック注射をしたんですが、よくなりません。

                     この痛みを何とかしたいです」

                   Dr「どのあたりが痛いの」

                   ◎「腰は痛くありません。

                        両方の太股の裏とふくらはぎあたりが

                           痙攣したように痛むんです。

                           整形の先生は、症状坐骨神経痛と説明していました」

                    実はこの先生、もともと整形外科の先生で、

                       外科医としての経歴があるらしい。

                    “多くを聞かずとも解っている”と言わんばかり…口数も少ない。

                   でも、不思議と落ち着く。

 

                       さて、核心部分に触れてみよう。

                    ◎「鎮痛剤を3~4ヶ月服用してきましたが、傷みがとれません。

                      西洋薬を長期服用することに抵抗があるので離脱したいんです。

                         それで漢方薬で改善目指したいと思って」

                 Dr「・・・そうか、じゃあ、頑張って離脱しようね」

                         この反応、さすがにウルッときた。

                         しかしそこはくい止めた。

                         さすが爺ちゃん‼

                         殺伐とした私の胸を打ったのだから。

                    Dr「1週間後に来れる?」

                    ◎「はい、大丈夫です」

                    漢方薬2種類処方。

        このマッチングで効果があるかってとこを診る。

                    そうやって、調整をしていくようだ。

                    Dr「冷たい物飲んじゃだめだよ。

                            下半身浴とかしなさい」

                    毎回診療終盤ともなると、先生が口にする締めの言葉だ。

        いいよねー。

 

                  

                   芎帰調血飲(キュウキチョウケツイン)    疎経活血湯(ソケイカッケツトウ)

 

 

                   漢方クリニック・1週間後の再診

                 今のところ、良くも悪くも体に異変はない。

                    だが、西洋薬を切って漢方薬に変えても、痛みの増悪はない。

                   ということは、“漢方、いけるかもしれない”

                   そう考えると、思わず待合室で1人ニンマリ <(^_^)>。

                   Dr「どうかな、何か不具合とか出てないか?」

                   ◎「大丈夫です、薬書に書いてあるような副作用もありません」

                   Dr「じゃあ、そのまま続けてみようね」

                   ◎「でも、この脊柱管狭窄症って、心当たりないんですが、

                            なぜそうなったんでしょうね」

                   Dr「加齢現象、骨の老化」 

                       主語も述語もぶっ飛ばされてしまった。

                       なぜか、腹も立たん、あちこちで言われ尽くしている。

                   ◎「よく言われます」

                   そう力なく言い切った私に、先生は初めて視線を向けた。

                   Dr「この漢方が、水も滴るって感じにしてくれるからね」

                      (何言っているんだ、この爺ちゃん(・・? )

                       私の頭が、思いっきりはてなポーズ、無言のリアクションだ。

                   Dr「水分のバランスが整えられると、

                           筋肉にも良い作用をするはずだよ」

                   ◎「つまり、若返るってことか⁉」

                       思わずひとり言ぶって呟いてみた。

                   Dr「そうとも言う」

                   何んだかんだで、この爺ちゃん先生とは、

                      いい関係性ができそうだ…。

                      そして最後の決まり文句が出た。

                  Dr「冷たい物は飲みすぎないようにね、体を冷やしたらダメ」

 

                  整形外科クリニック・再び

                   今の私のスケジュールは、残り数回のリハビリと並行して、

                  漢方クリニックを通院中だ。

                  思い描いたとおりに事が進んでいることは、

                  すこぶる気分がいいものだ。

                  幸い、痛みの長期化による、メンタル・トラブルもなし。

 

        リハビリ室

        PT「漢方薬はどうですか」

        ◎「何となくだけど、痛み和らいでいる感じしますよ」

       PT「そうでしょう、人の体は嘘をつきませんから、触れば解ります」

        ◎「そうですか、あまりにも痛みが長引いたので、

          何が正常だったか解らなくなっています」

       PT「まあ、漢方はじっくり、じんわりと言った感じでしょうから、

          あせらずにですね」

        ◎「そうですね」

                 PT「僕の立場で言うのも何ですが、Ope.の必要性なさそうですよ」

                  ◎「私もそう思うんだけど、どんな術式になるのか、

      興味あるんですよねー」

      PT「おっ、そうなんですか、知的好奇心ってやつですか」

       ◎「まあ、そうとも言う(笑笑)」

                  実は、 “術式については執刀医に聞け” と言う先生の言葉が

                     気になっていた。

                 PT「あと2回でリハビリ終了ですよ。

                    筋トレとストレッチの訓練メニューは継続してくださいね」

                  ◎「はい、解りました。

                           それじゃあ、いよいよ最終段階だ」

                       次に問われる言葉を期待して放ってみた。

                           (ずるいねー、我ながら(*_*;))

          PT「えっ、今度は何を思いついたんですか」

                  ◎「ここだけの話ですよ、実は、これこれしかじかで…

                           あっ、先生に言わんでよ」

                 PT「勿論です。

                       でも、決めるのは患者さん本人ですから、後悔のないようにね。

                           土壇場で回避する患者さんもいますから、大丈夫‼」

                  えらく励まされてしまった。

               しかし、ここの先生からは、

                       “紹介状発行 = 手術” だと、くぎを刺されている。

               罪悪感* 無きにしも非ずだ。

 

                   何を企んだかと言うと、

                      手術を前提にして、先生へ紹介状を依頼する。

                     そうして、総合病院執刀医の意見を聞く、

                     つまり術式を探っちゃえ‼ってことだ。

 

      診察室

                    Dr「紹介状書いたからね、〇〇先生は僕の後輩だから、腕は確かだよ。

                      宜しくと言っておいて」

                そんな雑談するゆとりはなさそうだが、とりあえず快諾してみた。

 

                   総合病院受診

                    とうとう、ここまできてしまった。

                   自分でも、この行動力に脱帽というところだ。

                   いやはや、自画自賛は他人に放出しなければ良しとしよう。

                   紹介状が出て、受診予約日まで少々時間の経過もあって、

                   現在、更に痛みは緩和している。

 

                   診察室

                   Dr「画像見たけど、これは両方痛いでしょ」

                   ◎「痛みは右が強いかな、左は痺れがちょくちょくって感じです」

                   Dr「両下肢の動き診てみようね」

                    クリニックの先生がチェックしたものと同じような内容だ。

                   Dr「動きは悪くないね、間欠跛行(はこう)もないようだし」

                    ◎「ペインクリニックの先生は 

                            “今するなら、予防的な手術だね” と言っていました。

                     整形の先生からは “簡単に痛みはとれない” 

                           と言われ手術を薦められました」

                   Dr「まず言えるのは、僕は、予防で手術はしないよ」

                    なるほど、これは頭に入れておこう。

                   ◎「もし、手術となった場合、どんな手術になるんですか?」

                   そこそこっ‼ そこが知りたい‼。

                   Dr「骨を削ることになる。

                     リスクもあるOpe. だし、決して簡単ではないよ」

                    どうやら何でもかんでも、ボルト固定すると言う訳でもなさそうだ。

                   ◎「実は、今漢方薬服用していて、もう1ヶ月くらいかな。

                    ほぼ痛みは改善してきています」

                   Dr「じゃあ、今のところは大丈夫じゃない」

                   ◎「そうですよね、この程度でリスク背負うのも難儀なことですもんね」

                   Dr「そういうこと、リスクもだけど、費用も馬鹿にならないよ」

                    懐事情にもご配慮いただくなんて、有難いことだ。

                   Dr「70を超えて、歩けないくらい痛むようだったら、決断の時かな。

                    その年齢になったら、医療費も安くなるでしょ、後期高齢でね」

                   ◎「あはっ、そうですね」

                    やはり、痛みの度合いと、QOLの極端な低下が、

                       判断材料になる事は解った。

                  ◎「先生、〇△先生に返書お願いしてもいいですか」

                  Dr「ああ、電話しておくよ」

                  ◎「宜しくと言っていました」

                   妙な日本語と思いつつ、ありのまま伝えた。

                  Dr「そうか、経過良好ということだな」

                   おー、聞かなかった事にしよっ、個人情報ってやつに触れるぞ。

                   個人的にはその風潮を否定したいが、

                      今は何かにつけ、情報の流通を邪魔する世の中だ。

 

                   という事で、私が私に課したミッションは完了した。

                  漢方薬に助けられたのは、これで2度目だ。

                  西洋薬には、即効で痛みを除去する役割があることは承知している。

                  人体構造は皆同じでも、体質やそれぞれ臓器の強度には個人差がある。

                  これまたしかりだ(=_=)。

                      そこで、我が身を実験台にできるってことは、ちょいとワクワクする。

                 決してマッドサイエンティストもどきの奇人、ではないのだが…。

                 何をチョイスするかについては、自問自答あるのみ。

                そして、お医者さまとのマッチングは(こと)の外、重要なのである。

 

              The END…(^▽^)☆彡

 

        

                 *りんどう*

 

 

 

 

 

 

           ガジュマルの花言葉は主に「健康」と「たくさんの幸せ」

          この花言葉は、ガジュマルの驚異的な生命力と、太く力強い根を

          伸ばし岩をも突き破って育つタフな性質に由来する。

                          また、沖縄の精霊「キジムナー」が宿る木としても親しまれ、多くの

                          幸せを運んでくるとも言われている。

 

     2024年12月某日

    ほぼ年末のとある日、いよいよ整形クリニック初診。

    紹介状のおかげで、つたない説明をする必要もなく、受診にこぎつけた。

    更に、ペインクリニックで撮ったレントゲン画像を持参した事も功を

    奏した。

 

    *診療室

    Dr「MRI 撮った方がいいね」

    ◎「はい、お願いします」

    Dr「リハビリはそれからだな」

     それは織り込み済み、MRI検査ができる事を知っていての選択だ。

    ◎「先生、1つお願いがあります。

      薬は西洋薬ではなく、漢方薬を試してみたいと思っています。

      それで漢方のクリニックで処方お願いしたいんですが、

      そうしてもいいですか?」 (ドキドキ(・・?))

    Dr「いいよ、だけどリハビリする間は診察は受けてもらうよ。

      それと、そのクリニックにも、事情はちゃんと説明するんだよ」

    ◎「解りました」

    Dr「また何でそうするの」

    ◎「もう長い間、鎮痛剤服用しているんですが、内服は外せないし、

      それだったら、副作用の少ない漢方薬かなと思って…」

    Dr「なるほどね、長期戦を覚悟しているってわけか…、それも選択肢だね」

     これまた、話の解る先生でよかった。

 

    *MRI画像診断

    Dr「んー、これは両足痛いね。

      画像を見る限り、痛みが強く出るようだったら手術を考えてもいいよ」

    ◎「ペインクリニックの先生には、そこまでじゃないと言われました」

    Dr「そうか、まあまずは、動作のチェックをしよう」

     先生曰く、手術の可否についての目安は、やはりQOLにあるようだ。

     *間欠性跛行(はこう)・・・なし

     *安静時疼痛・・・なし

     *つま先立ち・・・できる …etc.

    Dr「そんなに痛みは強くないようだけど、

      痛みは簡単に取れないよ、増幅が心配だよね」

    ◎「この歳になって、背中にメスを入れるなんて事、避けたいですよ」

    Dr「どれどれ、カルテによると…なんだ、僕と同い年じゃないか。

      僕だったら、体力ある人であれば、75歳過ぎても手術勧めるよ」

       (年齢で決めつけるのは短絡的すぎないか⁉)

     えーいっ、こうなったら少し暴走してみよう。

    ◎「何か、そうおっしゃる根拠があるんですか?」

     言って…しまった。

    Dr「(笑)僕と貴方の画像がよく似ているからだよ」

    ◎「⁉・?・?(@_@)?  はぁー、どういう事ですか」

    Dr「僕も先月、貴方と同じ病名で手術したんだよ。

      ほらっ、この通り、スムーズに歩いているよ」

    ◎「えっ、そうだったんですね」

     何と、何と、個人情報⁉ 大公開、有難うございます。

    Dr「まあ、僕の場合、術前は杖ついて歩いてたから、貴方はいい方だ」

    ◎「実はどんな手術なんだろうと思って、Youtubeで検索してみたんです。

      そうしたら、ボルトで固定された画像が出てきて、

      こりゃだめだって思いました。

      こんな異物が体の中にあると思うとぞっとします」

    Dr「貴方ね、ちょっと偏った考えだよ、今の技術は進歩しているし、

      慎重にモニター視ながらの術式だよ」

    ◎「先生もボルト固定しているんですか?」

    Dr「いや、僕は瘦せてるし、感染のリスクも高くなるから、

      していないけどね」

     なんか物凄く他人事発言、んー、腑に落ちない…落ちないが、

     逆に参考になった。

    ◎「そうなんですか、私の場合はどんな事するんでしょうね」

    Dr「それは執刀する医者に聞くのが一番だよ」

     つまり、手術の依頼を受けた総合病院の“執刀医のみぞ知る”ってわけだ。

    ◎「とりあえず、リハビリをしながら様子見ってことでもいいですか?」

    Dr「勿論、整形の問題は、生命危機に関わる問題じゃないし、

      生活に支障があるか・ないかで判断するとこあるから、今後次第だね」

    ◎「色々唐突に質問してすみません。

      とても参考になりました。

      宜しくお願いします」

     という事で、いよいよリハビリ訓練を開始する事となった。

 

    〈間欠跛行〉

     少し歩くと、足が痛くなったりしびれたりすることで歩けなくなり、

    少し休むと、また歩けるようになる状態。

 

 

    

   

    *訓練室は情報の宝庫です

    PT「◎さん宜しくお願いします。

      僕の方では、痛みの緩和と、

      下肢筋力アップを目標にしてお手伝いします」

      つまり下肢筋力向上につながる運動指導ということのようだ。

    ◎「こちらこそお世話になります」

 

    PT「まずは、計測と発症の経過をお聞きします」

     とにかく、多くの症例を観ているはずだし、ざっくばらんに

     情報収集できるチャンスだ。

    ◎「術後リハビリで通院する人もたくさんいるんでしょ」

    PT「そうですね、痛みが消失した患者さんもいれば、

      痛みが残ったという患者さんもいます」

    ◎「やっぱりそうか。

      ペインクリニックの先生曰く “手術したのに痛みとれない” と訴えて

      再診する人もいるらしいよ」

    PT「あるあるですね、ところで内服は漢方を試すそうですね」

    ◎「西洋薬の長期服用はねー、どう思う?」

    PT「ご本人が自覚する痛みと動作の制限が判断材料だと思うので、

       Ope.に踏み切る前にできることは試してみるのはいいと思います」

    ◎「腰痛はないんだけど、筋肉が凝り固まっているって

      よく言われるんですよ」

    PT「整形は筋肉の問題に弱いかもしれないので、

      柔軟性が戻れば痛みの改善も期待できるかもしれませんね」

    ◎「あっ、そうだ、動作の禁忌があれば教えて」

    PT「そうですね、反り腰や腰をひねる動作は禁ですね、注意して下さい」

    ◎「了解‼ よしっ、しっかり家でも自主トレして頑張ってみます」

    PT「頑張りましょう」

 

       多少痛みがあっても、筋トレやストレッチで血流を促す事が

      大事らしい。

     そんな訳で、リハビリの規定日数まで、本腰入れて頑張ろう‼

 

                         To be continued

 

 

 

 

    

    プロローグ*

     久々の闘病日記、大公開です。

    あの辛い日々⁉ 赤裸々に‼ 語らせて頂きます。

    謁見発言、暴走思考、何でもあり、そこんとこ、ご容赦頂きます‼

 

    脳内対策始動せよ*

     2024年10月某日、くすぶっていた痛みがいよいよ勃発した。

    そう、太股裏にガラスマガイ(筋肉が攣る<痙攣>)。

    「アキサミヨー(ひぇー)‼」(゚Д゚)ノ

    この衝撃はウチナー口じゃないとダメ‼……故に、あしからず。

    これは数年前にも起こった症状だった。

    その正体は、坐骨神経痛、あの時と同じ痛みだ。

 

     当時診てもらった先生は、いきなり私の尾てい骨にぶすっ↘(局注)

    「歩いてごらん、どうだ、痛みとれただろ」

    「・・・」先生の努力は認めます(~_~;)…。

    そんな教訓を踏まえ、今回は整形外科ではなく、ペインクリニックを

    選択した。 

      〈ペインクリニック〉

       ペインクリニックとは、頭痛や腰痛、帯状疱疹後神経痛、手術後の

      痛みなど、様々な種類の「痛み」の診断と治療を専門とする診療科です。

      主な治療法として神経ブロックを主体とし、薬物療法等、痛みの軽減や

                           生活の質(QOL)の維持・向上を目指します。

 

      診療開始*

      ◎   「先生、これこれしかじかで受診しました」

      Dr  「そうか、まずはレントゲンだな、画像確認しよう」

                どうやら腰のあたりに問題ありと踏んだようだ。

      Dr  「診断名は脊柱管狭窄症からの第3・4すべり症、

                            痛みはこれが原因だな」

                 ◎   「でも先生、腰は痛くありません。

       太股裏からふくらはぎの痛みです」

                 Dr  「病名はこれっ、その症状が坐骨神経痛ってことだな」

                なるほど、明確な診断恐れ入ります。

 

         まずはこの先生とのコミュニケーション攻略法を練ろう。

                  私の見立てとしては、ざっくばらんなキャラと観た。

                  もう少し突っ込んでみよう。

                 ◎ 「手術なんてことはないですよね」

                 Dr  「手術ねー、あれは大変だよ、ボルトで固定するんだよ。

                            まるで大工仕事だ」

              いきなりかい、患者の恐怖を(あお)ってどうするの。

                 Dr 「あなたのは、5本ある脊柱管の、上から3と4番がでている。

                           まあ、今すぐどうこうって訳でもなさそうだ」

                       (なら、大工仕事のコメントはいらんだろ‼)

                 声なき声が炸裂してしまった。

                 ◎  「とにかく、この痛みを何とかしたいです。

                      私のQOL、ダダ下がりです」

                 Dr  「そりゃ困るな、じゃー注射してみるか⁇」

                 ◎ 「数年前に一度仙骨に注射したことありますが、効きませんでした」

                 Dr  「それとはちょっと違う、硬膜外ブロック注射というものだよ」

                        確かこの先生、巷ではその治療の第一人者らしい。

                        チャレンジあるのみってことかな。

                 Dr 「内服も併用しながらになるが、やってみるかい」

                 ◎ 「宜しくお願いします」

                 こうして私の治療は開始した。

 

                   〈硬膜外ブロック注射〉

                            背骨の中の脊髄を包む「硬膜」という膜の外側にある

                      「硬膜外腔」という空間に、局所麻酔薬やステロイド薬を

                        注射し、痛みを伝える神経を一時的にブロックする事で

         痛みを和らげる治療法です。即効性のある痛みの軽減に加え、

                        炎症を抑える薬による長期的な痛みの改善、そして血行改善に

                        よる神経の修復促進が期待できます。主に慢性腰痛、ヘルニア、

      脊柱管狭窄症などに伴う、首から足にかけての痛みやしびれに

      有効です。 Geminiより引用

 

    硬膜外ブロック注射治療開始*

     後日、一回目の注射に挑んだ。

    側臥位の姿勢から、芋虫のように背中を丸め、処置台で待機。

    Dr  「さあ、1回目だね、頑張ろうね」

      そう言うと背骨のあたりを触診した。

      ピンポイント探しのようだ。

    Dr  「はい、薬が入るよー」

      その直後、背骨にスルスルと何かが流れ込んだ。

       初めての感覚だ。

      それにしても、意外に優しい言葉かけをする先生に、

                私の評価は爆上がりだ。

 

        処置が終わると、看護師さんが説明を始めた。

     Ns  「30分から1時間くらい、右足に力が入らなくなります。

         すぐ歩くと危ないので感覚が戻るまでベッドで安静に

                        していて下さい」

        聞いてないよーそんな事‼

     Ns 「もうすぐ外来が閉まりますので、2階の入院室のベッドへ

                        案内します。そこで安静にして、感覚が戻ってきたことを

                        確認して退出して下さい」

               説明が終わると、さっそく車いすに移乗させられ、いざ入院室へ。

               まったく右足が言う事を効かない。

               半身麻痺って、こんな感覚なんだろう。

               Ns 「〇〇さーん、外来の患者さんです。

                   暫くこのベッドで休んで頂くので、宜しくお願いします」

              患➀「あいっ‼ そう、外来からね」

              Ns   「くれぐれも、勝手に歩かないように、

                          トイレはナースコール押してくださいね」

             患②「私たちがいるから大丈夫よ‼」

             何がどのように大丈夫なのか、それにしても、患者さんて

             こんな感じなんだな。

 

                  ザ・ウチナンチュって感じの婆様が2人、

              興味津々で私に話しかけてきた。

             それも今は心強い。

             患①「入院室の看護師さんきついからね、気を付けてね。

               大丈夫よ、院長先生の腕は確かだから.

                         すぐ元に戻るから、ゆっくりしていって」

                       とんでもなく歓迎されているようだ。

                       入院患者の彼女たちは、歳の頃は70代後半ってところだろう。

                       聞くと、帯状疱疹の後遺症で入院となったらしい。

 

                  日もどっぷりくれた頃、私の足はいう事を効き始めた。

              その後、自分の足でしっかり歩いている事を確認して帰路に就いた。

 

              10日後、再診*

                   残念ながら、痛みの改善はない。

              先生にはなんて言おうかと、ポジティブな結果を拾うべく模索中だ。

 

             診療室

             Dr 「その後具合はどうですか?」

             ◎   「可もなく不可もなく…です」

             Dr 「あれっ、さっき診たじいさんも同じ事言ったよ。

              流行ってるのかな?」

             ◎  「多分、初老期界隈で流行ってます」

             Dr  「面白いこと言うね、ところで痛みはどうかな?」

            ◎   「はい、注射をした翌日は、和らいだ感じあったので、

                   調子に乗って歩き回ったら、また痛み出しました」

            Dr  「(爆笑笑)そうか、調子に乗ったか、そりゃ困るな」

              何も受けを狙ったわけじゃないのだが…うけてしまった。

           ◎   「先生、薬なんですけど、これってあまり馴染みのない鎮痛剤で、

                   飲み続けることにちょっと抵抗あります。

                   カロナールとかに変更できますか」

           Dr  「そうか、いいよ、じゃあ、カロナール500㎎×3に変更しようね」

           ◎  「いえ、700㎎にして頂けないですか」

           Dr 「多くないか?」

           ◎ 「前に肩の鍵盤を痛めた時、500で効かなくて、700に変更した途端

                 痛みがとれたんです」

          Dr 「そうか、痛みの調整は本人しか解らんからな、

                    いいよ試してみるといい」

    ちょっとためらいつつ、何はともあれ言ってみるものだ。

          話の通じる先生でよかった。

        セレコキシブ  ⇒  カロナール700㎎×3回

          ◎  「注射はしばらく続けるんですか」

          Dr 「体への負担は少ないから、もうちょっと続けてみよう」

          ◎  「1時間半くらい動けなかったのでびっくりしました」

          Dr 「個人差はあるが、それは長かったね。

         しかし問題ないよ、さあ今日も頑張ろうね」

    それは、患者にとって、魔法の言葉だ。

       その後、先生の魔法の言葉につられ、あと2回、あと3回と

          続くことになった。

 

    
                   

           強制終了決行*

               2024年12月某日。

          症状に大きな改善観られず、次の作戦を発動することにした。

          強制終了決行だ。

         心苦しい思いだが、私の体が方向転換を示唆している。

         ◎   「先生、痛みはだいぶ和らいでいます。

                 生活にも支障ないので終了してもいいかなと思います」 

     やっちまった、嘘ついた(-_-;)

         Dr 「そうか、それはよかった、じゃあ内服処方もいいね」

         ◎  「あっ、いやっ、それは、頓服として欲しいです」

             するどい指摘‼ 

      だが、内服薬は当面の防波堤、今回までは頂くぞ。

         ◎  「それで、今後は整形クリニックでリハビリを受けたいので、

                 先生紹介状お願いしていいですか」

          Dr「そうか、それはいいね、どこにするの」

          ◎「〇〇クリニックでお願いします。

               家の近所なので通いやすいんです」

             先生、有難うございました。

             痛みについては、増悪がなかった事に感謝だ。

 

              さて、次の作戦は、リハビリ通院、外せない鎮痛剤をどうするかだ。

             秘策は既にリサーチ済。

            今度通院するクリニックの先生との交渉ってとこかな。

            ちょいと面白くなってきた。

            いかん・いかん、不謹慎だ‼

 

      

 

        To be continued

 

        

                          下がり花

         サガリバナ科の常緑高木。沖縄では6月下旬から7月中旬に見ごろをむかえる。

       花は夜に咲き始め、朝には散ってしまうため、「幻の花」とも呼ばれている。

       写真出典/Ka-mmy

 

    戻ってきた日常🎶

     お盆が終わると、気楽な立場の俺でさえ、日常が戻った事に

    安堵している。

    久茂地界隈もいつもと変わらず、スーツ姿の大人たちが行交っている。

    これから俺も遅出の出勤をするところだ。

    この後、洋子と対面した時、俺はどんな顔するのだろう等と想像している。

    とりあえず、平常心あるのみと自分に言い聞かせている。

 

     本土では、お盆が終わると残暑になるのだが、ここは連日猛暑だ。

    しかし、今日のような晴天には、べたつくというよりからっとした暑さだ。

    そのせいか、俺の思考回路も、今のところ順調に働いている。  

    いつもの角を曲がる手前で、一度立ち止まり大きく深呼吸してみた。

    それでも『SAV』の看板が目に入った途端、わずかな緊張感が走った。

    そして静かに扉を開けた。

 

    「祐作、久しぶりー、弘美だよー、休みすぎて私の事忘れてないかい⁉」

    この絵面(えづら)は想定外だ。

    “付き物が落ちた” という表現がはまるシチュエーションだ。

    レジカウンターに腰掛けた弘美は、

    俺を見上げ、招き猫のように満面笑みで出迎えてくれた。

    そして勝手に高ぶっていた俺の頭を、見事に冷やしてくれた。

    「弘美さん、おはようございます。

    今日もお元気で何よりです」

    すっかり弘美のペースにはまっている。

    「何、あらたまって…今日はお客さんも少なくてさ、お宿もね…」

    「あっ、そうか、今年は新旧お盆が一緒だったから…そうか」

    俺はそう言いながら、弘美の背中越しに見える宿屋のロビーに目をやった。

    「洋子さんはちょっとお出かけ、ママも一緒。

      残念でしたー」

    「あっ、嫌っ、そういう訳じゃ…」

    俺は、見事に墓穴を掘る。

    語彙力の乏しさに、失笑だ。

    だが、この状況に心なしかほっとして、

    奥のカウンターへゆっくり歩を進めた。

    俺の心のざわつきをよそに、全てはいつも通りだ。

 

    シャンソンに癒されて🎶

     俺は早速ライブラリーに入ると、久しぶりに嗅ぐお宝の匂いに浸った。

    こんな日は何をかけようかと、今の気分に問いかけてみた。

    昭和の初期は、圧倒的にスィングジャズの全盛期だった。

    戦後はトリオやカルテットとといったビバップがライブハウスを席巻した。

    俺の世代は、やはりクラブシーンのサウンドだろう。

    その中でも、軽い疲労感を癒してくれる曲といえば、これだ‼

     ウィントン・ケリー

          “Autumn Leaves 枯葉。

    シャンソンとして知られていたこの曲は、

    和テイストのメロディーラインが染みる。

    俺は業務中にも関わらず、本気で目を閉じて心酔してしまった。

 

     

 

    それは突然に🎶

     それは、俺が目を閉じて、わずか数秒後に起こった。

    何かの気配を感じてとっさに目を開けた。

    カウンターの端に座っている俺の眼下、

    その至近距離に一枚のアルバムがドーンと出現した。

    何だ、何が起こった。

    あっけにとられていると、そのレコードが横にスライドした。

    その傍から顔を覗かせたのは、洋子だ。

    「びっくりした/⁉ 久しぶりだね祐作さん」

    俺は、取り繕うし間もなく、阿呆丸出し。

    自分がどんな顔をしているのか、想像がつく。

    「このレコード、私が探していたやつなんだ。

    貴方のお父さんがもってきてくれたんだよ」

    その正体は、

       グレン・ミラー ベストアルバム。

    忘れもしない、あの場所で耳にし目にした、あの名作だ。

    だが俺は、その記憶をあえて遮断した。

 

    「これって、洋子さんが言っていた、

      俺の親父が受け取った形見ってやつですか」

    「うん、そうみたい。

      でも悪いけど、これはどうやら私が当てたから、私の戦利品(笑笑)」

    どういうことだ、俺は明らかに動揺している。

    「あのっ!よく解らないんですけど、“当てた” とは、どういうことですか」

    「父が亡くなるちょっと前に、 ”秘密だよ” って言って話してくれた事あって、

     ” 大きくなったら、やっち―おじさんに預けたレコードを受け取れ”ってね、

     ”いつかそんな日が来るから” って、

        ”なぜ”って聞いたら、

        ”それは秘密だ” って、その時はそれしか言わなかったの」

 

    「何を意味していたんだろう?」

    俺は、素朴な疑問をひとり言のように呟いた。

    洋子はそれに応える形で、唐突に、父親の残したメッセージだと言った。

    それから彼女は、物語を読み聞かせするように語り始めた。

    ”やっちーに預けたレコードのどれかにクイズの問題を入れておく。

    それを当てたら、そのレコードは当てた人の物だ”

    彼女は、暗記したのかと思うくらいに、(よど)みなく言葉をつないだ。

    まるで父親が幼い娘に向けた、軽妙でどこかコミカルな遺言のようだ。

 

    おそらくその出所は、父洋介から洋子に宛てた

    あのノートの文面に違いない。

    いわゆる “ライフステージ・レター” として(したた)め、未来に託したんだろう。

    それが今、俺の親父を介して洋子の手元に無事着地した。

    なんとも気の長い、ロマン溢れるメッセージが、時を経て開封された訳だ。

 

    「あっ、じゃあそのクイズって、どんな出題だったんですか?」

    「あれっ⁉……知りたい?」

    彼女の悪戯っぽい表情に俺は反射的に身を引いてしまった。

    「あのっ…よければ…、教えてください」

    何とも言えない間の後に、自分の放った言葉が陳腐に聞こえた。

    洋子は、腕組みをして人差し指を立てると

    「花笠の舞、流れた曲はなーんだ⁉」

    えっ、それが出題なのか⁉

    しかも俺に聞いているのか⁉ 

    その答えなら知っている。

    「あっ、嫌っ、俺に聞かれても…何のことやらです」

    とっさにそう切り返した。

    「何で、そうやって祐作が慌てるのかなー、まあいいけど」

    俺は、完全にこの人の手の上で踊らされている。

 

    蘇れ悠久の時🎶

     それから洋子は、カウンターからフロアへ出て来ると、

    ライブラリーへ向かって歩き出した。

    両腕に包み込まれたレコードは、彼女の手を介して奏でるのを待っている。

    彼女の後ろ姿を見ながら、そんな感傷的な文言が宙を舞った。

    俺もたいがい妄想家だ。

 

    洋子は、慎重に針を落とした。

    それは、紛れもなく『料亭・辻の華』の帳場に響き渡ったあの曲だ。

    波打つようなメロディーライン、

    クレッシェンドしながら、徐々にボルテージを挙げる奏法は、

    実にドラマチックだ。

      「ムーンライトセレナーデ」

    俺の脳裏に、あの時見た幻想的な光景が(よみがえ)ってきた。

    一糸乱れぬ花笠の、緩やかなゆらぎは圧巻だった。

    洋子は、客が誰も見ていない事を確認すると、しなやかに手踊りを始めた。

    ガラスの向こうにいる彼女の姿は、美しかった。

    この光景を、俺ではなく、

    あの古き良き時代に生きた人たちに、見せてやりたかった。

    “そのアルバムは、間違いなく、貴方のものです”

    俺の内声は静かにそう宣言した。

 

    

 

    ハプニングは続くよどこまでも🎶

     フロアは、客足が途絶え、閉店時刻も迫っていた。

    暫く姿が見えなかった洋子が、戦利品のレコードを持って、

    俺の隣に座った。

    「実はこれにはまだ続きがあるんだけど、聞きたい/?」

    俺は、恐る恐る(うなず)いた。

    すると洋子は、ジャケットカバーにおもむろに指を突っ込み、

    一枚の紙を取り出した。

    一瞬あのクイズのメモ書きを想像した。

    その紙は二つに折り曲げられていた。

    すると洋子が勢いぱっと開いた。

    彼女はまた悪戯っぽく俺を見つめるとこう言った。

    「これ、なーんだ⁉」

    「えっ、これっ… あっ嫌っ、何ですか⁉」

    それこそ俺は、この紙が何なのか知っている。

    「だからー、これなーんだ⁉」

    そして、とっさに口から出てしまった。

    「えっ‼」

    「違うよー、これは   *えっ*   じゃなくて   *エー*   だよ」

    “既視感どころじゃないだろうに” 心臓バクバクで内声発動だ。

    大爆笑の洋子はその後、これもジャケットカバーの中に忍ばせて

    あったと話した。

    これは意図的だったのか、それとも…。

    そこは即座に思考を放棄した。

    そして俺もその場で笑うしかなかった。

     注釈:Aサイン許可証は沖縄返還直前の1972年4月15日に廃止された。

     現在も1つのコレクションとしてこれを掲示する飲食店もあるようだ。

 

    もうこれ以上劇的な事態は起こらない事を願いつつ、

   閉店前の片づけを始めた。

   すると俺の背中越しに、鳴き声⁉、んっ何の…。

   嫌な予感と共に振り返ると、そこには弘美が立っていた。

   彼女の胸元に目をやった瞬間、俺は手に持ったトレイを床に落とした。

   「そこの路地で見つけた、必死で泣くから連れて来たんだけど…、

     ほら、ここは客商売だから飼えないんだよねー」

   何と、野良の子猫だ。

   「祐作の家、猫飼っているんでしょ。

      だったらお願い、連れてってよー」

   「えっ、俺が‼」

   “何でそうなるんだよ(゚д゚)!”

   「ほら、雌猫ちゃんだから祐作との相性いいと思うよ」

   “待てよ、漱石か、嫌っ、あいつは雄だった。

     それじゃ2世か…とりあえず落ち着こう”

   「ほら、抱いてみて」

   俺は既に無抵抗だ、そのまま腕の中へもぐりこんできた。

   「ほら、やっぱりしっくりくるさー。

     いい子だ・いい子だ」

   俺と猫姫は、弘美にいいように手なずけられてしまった。

   そのうちこいつが、またどこかへ連れて行ってくれるのかもしれない。

   まあ、それも良しとして、腹をくくって面倒見るしかない‼

 

    俺は、ここでもう少しモラトリアムを楽しもう。

   それに、まだまだ、面白いことが起こりそうな予感がする。

   それにしても「お前って、いったい何者⁉」

               解せない (;一_一)?

 

   エピローグ

    アメリカに渡った洋子の母美也子の、その後に触れておこう。

   彼女は、洋子が二十歳になるのと同時に、アメリカへ渡った。

   勿論周りに祝福され、洋介の13回忌を見届けた後の出来事だった。

   彼女は、アメリカに渡り在米県人の女性たちと共に、琉舞や唄三線を

   普及する活動に力を注いだ。

   また、敗戦からの復興に寄与したとして、米国内でもチージのジュリ

   として関心の的となった。

   更には彼女をモデルにした演劇が全米で大ヒットした。

   その後、映画化もされたというから、まさにアメリカンドリームだ。

   そのタイトルは「ムーンライトカフェ」

   祐作が見たあの悠久の時、その一コマが映像化された。

   美也子は、辻の三原則である『義理・人情・報恩』の名のもとに、

   その信念を全うしたのだった。

   それは、洋介や洋子に対する、三原則でもあったに違いない。

    ちなみに、そのストーリーは、コメディーとして描かれ、

   ウチナーンチュのチャンプルー精神と、民主主義の普及に挑む米軍人

   との奇想天外な交流の物語だった。

   その映像を見た美也子が残したコメントは、こんな言葉だった。

   「酒を酌み交わし、歌って踊り、お互いを理解しようと奔走する人たち。

     その橋渡し役がチージのジュリ……人生って、まるでコメディーです」

 

*** 完 ***

    

          

      蘭(ラン)

       亜熱帯地域の沖縄では多くの種で露地栽培が可能で、多くの家庭で

      愛好されています。写真出典/Ka-mmy 

 

    あとがき

     読者の皆様、長い間お付き合い頂き有難うございました。

    この物語は、辻花街をモデルとした架空の物語ですが、その

    イメージ像は、私の知るウチナーンチュそのものです。

    沖縄にはまだまだ独特の庶民文化や歴史が散在しています。

    特に女性の力強さは、類まれであると感じています。

    戦前戦後と、そこに生きた証言者は減少する一方、庶民が

    たくましくも明るく生きた軌跡は、いまに継承されている

    と感じています。

     祐作は、これからも時代の変遷に伴う人の心の変化や、

    社会のあり様を伝えてくれるメッセンジャーとなるでしょう。

    彼の素朴な謎解きを、この先も期待したいものです。

    つたない文章ではありましたが、読んで頂いた皆様には、

    改めて、心より感謝申し上げます。

                     💐See you again next time💐

  

  

                          カーサ―(月桃)

                              カーサ(月桃の葉)には、防菌・防カビ効果やその甘い香りが邪気を払うと

                         信じられています。悪霊を払い、家族の健康を願う意味合いから、年中行事の

                         ムーチーには欠かせないアイテムです。

 

    静かなひと時を迎えて🎶

     俺は背中に鈍い痛みを覚え、目覚めた。

    それから直ぐに窓の外に目をやり、現実に戻った事を確認した。

    だが、ひとつだけ違ったのは、漱石の姿が視界から消えたことだ。

    そうだ、ここに戻る寸前に見失ったんだ。

    まあ、あいつの出自はもともと野良、そのうち戻ってくるだろう。

    “俺の事はほっといてくれ” そんなメッセージなのかもしれない。

    とりあえず今、詮索するのはやめておこう。

 

    それにしても、俺が彷徨っている間にどのくらい時間が過ぎたのだろう。

    昨日の夕方から一回りはしたのだろうか、既に日が沈みかけている。

    ということは、今日はお盆の中日(なかび)、しかも既に夕方だ。

    我が家の中日(なかび)は、両親と兄夫婦が手分けして親戚回りするのが恒例だ。

    下の階へ降りてみると案の定、誰もいない。

    そうだ、こういう時の俺の役目は、仏壇の線香を絶やさないことだ。

    線香を焚いて手を併せ、仏壇の上に掲げられた遺影を眺めた。

    親父の兄たちは、まだ青年の初々しさを残している。

    爺さんの風貌は、将来の親父を彷彿とさせている。

    お盆のこの時でなければ、改めて見上げる事もない面々だ。

    この並びを見る限り、戦後の新参者はミト婆さんだけという事になる。

    遺影となった今でもその風貌は厳格そのものだ。

    だが、ここ数日の間に俺の中では、お茶目で懐の深い人になった。

    人の個性は点では解らないが、線でつないだ時に見えてくる。

 

    似たもの夫婦は円満の象徴か🎶

     そんな感慨にふけっていると、両親が帰宅してきた。

    「祐作、久しぶりじゃないか」

    「はあー、お袋と同じこと言ってるよ」

    「そうか、まあそんなもんさ、一蓮托生のミートゥンダ(夫婦)はな」

        小難しい四文字熟語にウチナー口を盛ってくるあたり、さすがだ。

       素直に いい ミートゥンダ だと思う。

    同時に笑える。

 

       そこへビール片手に母康子が唐突に口を挟んできた。

    「安一郎たちは遅くなるはずだし、今夜は久しぶりに親子3人だね」

              「そうだな、ワクワクするな母ちゃん」

              「あっさ、父ちゃん、初夜でも思い出だしたの」

              「だからよー、デージナムン(えらいことだ)

      おいおい、俺の前で恥じらいもなく始まっている。

                まあ我が家ではよく耳にする会話だ。

              「子供の前でよく言えるなー、恥じらいはないのか」 

                勢い照れ隠しの発言をしてしまった。

               そんな俺に言い放った親父の台詞が奇想天外だ。

             「これをウチナーンチュはな、アメリカンジョークって言う訳さ」

               ジョークの意味を解っているのか・いないのか、珍言失言もいいとこだ。

               “ウチナーンチュは~” と前置きしたら、何でも信憑性が増すと思っている。

               それにためらいなく同調するお袋も摩訶不思議だ。

               しかし以前の俺だったら、只々知らん顔を決め込んでいた。

               だが今は、この人たちの過去に触れ、見方も変わった。

 

   名前にまつわる騒動🎶

    「ところで親父、前から気になっていたんだけど、

      親父は安太郎、兄貴は安一郎、何で俺は頭に安を入れなかったのか?」

    そこへ間髪入れずに康子が突っ込みを入れて来た。

   「あいっ、お前、よくぞ聞いてくれた。

     父ちゃんいい機会だから話してやって」

   お袋が親父を差し置いて口火を切らない事に意味がありそうだ。

   「そうか、話したことなかったか。

     んー、何と言うか、お前たちが、名前で家に縛られるのは

     親としては不本意さ。

            安一郎にもそう思っていたが、ミトさんの(めい)は絶対的だった。

            だが、お前の時には我を通したよ」

   「懐かしいねー、私も父ちゃんと並んで、ミトさんに頭下げて頼んだ訳さ。

     だけど、あっさり “あんた達のいいようにしなさい” って言われた。

               意外だったよ」

 

     沖縄では、門中(むんちゅう)という父系の血縁集団を一門とする

       文化が根 強い。だからこそ仏事には一切手を抜かず祖先を拝することが

   礼節となっている。だが、時代と共にその敷かれたレールも、それぞれの

   家の事情が反映されるようになった。

 

   「そう言えば、よっちゃんも、お前の名前聞いた時、

     僕と親子とは思ってなかったようだよ」

   「そうだろうな、でも思ったより俺と親父って似てるよな」

   「そりゃそうさ、僕は間違いなくお前の親父だからな」

   その事にあえて意味があるのかと、思わず突っ込みたくなる。

   口には出せないが、そんな親父の(ふところ)の深さに、時々惚れてしまう。

 

   3人揃えば何とやら🎶

      お盆中日(なかび)の夜は静かなものだ。

     レコード部屋は、すっかり俺のテリトリーに入ってしまった。

            親父にも、この部屋は好きにしていいと言われ出入りも公認だ。

            俺のコレクションのレコードも棚の隅に置いてある。

     何を聴こうかと物色していると、勢いよく部屋の戸が開いた。

          「漱石が見えないけど、あんた隠していないか?」

         「なんでよ、意味わからん‼」

           そうだ、そうだった、漱石を見失ってしまったんだ。

           少し胸が痛い、途中までの消息は俺が握っている。

         「解らんけど、そのうちひょっこり帰って来るんじゃないか」

         「まあ、もともと野良だから、家出もあり得るとは思っていたけどね」

           似たような発想をするあたり、猫愛は俺とどっこいどっこいだ。

 

            そこへ今度は親父がビール片手に現れた。

        「何だ母ちゃんと水入らずしていたか、僕は邪魔か」

        「いいよ、はい2人とも座りなさい」俺は思わずとぼけてみた。

       「あいぇー、漱石いるかなーと思って覗いただけだからさ、

        うちのボーボーグヮー(赤子)、今日は父ちゃんに譲るよ」

       「よしっ!祐作君、今日は父ちゃんと語りあかそう」

         どういう展開かはさておき、親父は何か話したい事があるようだ。

         そういう時に限って、俺の事を君付けで呼ぶ癖、自覚していないようだ。

         そうか、こちらとしても親父に聞きたい事は山ほどあった訳で、好都合だ。

 

  レコード部屋は謎解きの部屋🎶

   「親父、あの棚の上の段ボール、実はちょっと開けてみた、すまん」

  俺は丁寧に頭を下げた。

  「何でそこだけ段ボール⁉、そう思って開けたよ。

  あっ、ノートは見ていないからな…箱のこと、忘れていたのか」

  俺はそう言うと、目をそらすことなく親父の顔を観た。

  「いや、忘れていないさ、大事な預かり物だったからな、

    レコードはちょっと違うけどな」

  俺の中でわずかに緊張が走った。

  それにしても(形見)と言わないのは、彼のこだわりだろう。

 

    俺はド直球で核心に触れてみた。

  「誰かの預かり物か、予想はつくけど」

  「ああ、よっちゃんの親父さんだ。

    僕はジャズにうとかったが、介さんに、あっ、よっちゃんの親父さんな、

    あの人に手ほどきされてな」

  「でも、この部屋からジャズが流れていた記憶ないけどな」

  「そうきたかーーー いやちょっと聴くのはな、辛い時期があってさ。

    らしくないと思うだろ、だけどそのうち本当に忘れてしまったけどな」

      「嫌っ、解るよ、なんとなく」それ以上の事は言えなかった。

         こんな感傷的な顔をされたのは、初めてかもしれない。

 

         それからゆっくり立ち上がった親父は、棚の段ボールを下ろした。

        それから座り直すとゆっくり箱を開けた。

      「あれっ、ノートがない⁉」俺は思わず声を荒げてしまった。

      「ノートはついこの間、よっちゃんに渡した、少しほっとしたよ。

          ノートは間違いなく預かり物だったからな、葬儀の後、すぐに渡そうと

         思ったのだが、美也子さんに、もう少し預かってくれって頼まれてね」

 

         何ともいえない間があった後、親父はまた語り始めた。

     「あのノートには(10歳の君へ、20歳の君へ…)と書かれ区切られていたよ。

         まったく洒落た人だよな」

       今じゃよく聞くメッセージの残し方だろう。

      しかし当時そんなメッセージを残せる感性の人は珍しかったに違いない。

     「介さんはね、美也子さんの将来も見えていたんだよ、

         だからあえて僕にこれを託したんだよ」

     「どういう事⁉ 聞いてもいいのか」

     「ああ、介さんは、美也子さんがいつか渡米すると予感したんじゃないかな」

 

        チージの(おんな)たちは、報恩という独自の信念がある。

       つまり、受けた恩は忘れることなく、いつか報いるということ。

       戦後の混乱の中、辻の復興に手を差し伸べた米国駐留軍が、

       報恩を尽くすべき相手だった。

       いつしか、彼女の中に民主主義の文化への憧れも相まっていった。

       洋介はそんな美也子を見るにつけ、いつか米国の地を踏む

   だろう事を予見していたという。

 

       「介さんには、もし将来そうなったらノートは処分してと頼まれた。

           だがそうはならなかったんだよ」

  親父はその後の成り行きを、さらに饒舌に語ってくれた。

  洋介の7回忌を終えた数年後、美也子は新しいパートナーとの間に

  2人の娘を儲けた。

 

         それから数年後、そのアメリカ人の夫とともに渡米した。

        当然洋子も一緒に渡米するものと思われたが、彼女はそれを選ばなかった。

        拒むものは何もなかったはずだが、父洋介の愛した物に囲まれ暮らすことを

        選んだ。

     「僕が知っているのはそこまでだ。

      久しぶりに会ったよっちゃんを見て、最善の道を選んだなと思ったよ」

        親父がこんなに静かにぶれることなく語ってくれるとは、思いもよらなかった。

       この人の本質は、案外繊細でシャイ、とぼけた口調はその裏返しなのだろう。

       これは、親父にとっても忘れ難い、貴重なエピソードだったようだ。

 

    贈られたメロディーは何🎶

   「さーて、祐作の謎はこれで説けたかな」

    はっ、突然何てことを言いやがる、この人は俺の腹の中等,

       お見通しだったてことか。

       だけどそこで気づいたことがある。

       この人は、俺に話すことで、この少し重たい荷物を、降ろしたかったのだろう。

       俺の中でくすぶっていたもやもやは、点と線で繋がった。

 

           親父が洋子に渡したというレコードは何か。

      そう聞けばよい事なのだが、あえて今は辞めておこう。

      彼女は今、ジャズの響く環境で、父親を思い、渡米した家族を思い過ごしている。

      そう思うと感慨深いものがある。

      千恵子ママは、妹美也子に背負わせた家督への贖罪があった。

      だからあえて、この地でジャズ喫茶を開くことを決断したのだろう。

      しかしそれは、洋子にとっては願ってもない好機だったと思う。

 

     「じゃー久しぶりに介さんのレコード聴いてみるか」

     「大丈夫か、ここで泣かれても、俺は慰めたりできんからな」

     「さあ、どうなるかなー、試してみようや」

       そう言いながら親父は、贈られたレコードを箱から取り出した。

       正直、俺にとってはその曲が何であろうと、親父ほどの感慨はない。

       しかし彼と山崎洋介を今に繋ぐ遺品という点では大いに興味がある。

       だが、音が流れ出した瞬間、意表を突かれた。

 

         

                 サラ・ヴォーン「ララバイ オブ バードランド」

                   ディーバだ、なぜに⁉

      「意外だろ、この曲にはちょっと思い入れもあってな」

       そう言うと、親父は音を(さえぎ)らないほどの声で語った。

     「介さん曰く、男にとって子守歌は、幾つになっても染みるんだと」

       今の時代、人と人との繋がりに、彼らのような絆が生まれるだろうか。

       まあそこは、ひよっこの俺では、語るに時期尚早と結論付けておこう。

 

       See you again🎶

        日付はあっという間に変わり、いよいよ今日はウークイだ。

       朝から康子と、長男嫁の美智子が、お供えの重箱づくりに励んでいる。

       いつもながら、見事な詰め方だ。

    「アイエッ!ウングトゥーアランシガ(゚д゚)!」(あれっ、こんなじゃないけど)

      そんなミトさんの怒号も今となっては懐かしいものだ。

      それより、次期に姉たちが手伝いと称し、只々キジャーシ(かき回す)

      やってくる頃だ。

      気がかりは、彼女たちが、漱石の行方を話題にしないかだ。

      気づかない事を祈るばかりだ。

  

 

          俺の家は、ムートゥヤー(本家)でないだけに、いたって静かなものだ。

      姉たちも昼間のうちに無事帰還した。

      俺のポジションとしても、何を求められる訳でもないのが幸いといえる。

     まあ、そんな家族のあり様を、今年はいつになく、考える機会になった。

 

       夕餉を済ませる頃には、家の中はすっかり静けさを取り戻している。

      どこの家でも訪問者が引くと、一門の家族が先祖を見送る支度を始める。

      我が家でも、両親と、別棟に住まう兄夫婦とその子供達が揃った。

     それからご先祖を贈る準備を始める。

      供えられた料理や酒、花束をブリキのボールに入れ、

      線香とウチカビ(あの世のお金)を添える。

     その土産を門前に置くと、家族総出でお見送りをする。

   「ヨンナーアッチミソーレー アンシェーマタヤーサイ」

   (ゆっくり歩いて行ってください、それではまたの日に)

     そうして我が家のお盆は、幕を閉じた。

    

                                                   *つづく*

 

💐これは”辻花街”をモデルにした架空の物語です。

 

    

    ヤマクニブー

     「ヤマクニブー」は、和名を「モロコシソウ」というサクラソウ科の多年草です。琉球

    王朝時代から、衣類の防虫や芳香のために用いられてきた香草で、独特の香りが特徴です。

 

    体に染みついた習わしとは🎶

     日が沈みかけて家族が揃うと、いよいよご先祖様をお迎えする。

    親父を先頭に、灯の入った線香(ウコー)を手に、玄関先でご先祖様を

    招き入れる。

    「ウンケーサビラ、メンソーレー」(お迎えいたします、いらっしゃいませ)

      おそらく俺は、この決まり文句を歳の数だけ耳にしていることになる。

      お盆の始まりを告げるこの儀式が、どこの家でも始まっている。

 

     俺は、昨夜からの出来事を整理する間もなく、時が刻まれている

    事に焦りを感じている。

    終戦の時を知る者といったら…親父とお袋と言う事になるのだが…。

    この状況で、彼らに “実は…” と切り出すのも気が引ける。

    ここは1つ流れに任せるしかないのだろう。

 

     俺があれこれ思案するうち、親父の姿が見当たらない事に気づいた。

    何でも急な注文が入り、兄安一郎と2人で店に戻ったらしい。

    女性陣は、俺の存在など意に介さず、

    既に箍(たが)の緩んだ桶(おけ)と化している。

    その子供たちも庭先で花火に興じている。

    毎年繰り返されるこの光景は、平和の二文字が似合っている。

    そうなると俺の存在等、あってないようなもの、

    ならばと高を括り、1人2階へ上がった。

 

    誰の家にも歴史がある🎶

     俺が向かった先は親父のレコード部屋だ。

    気になる段ボール箱は、レコード棚の定位置にある。

    ターンテーブルは空の状態、当然電源もoffだ。

    一先ず昨日今日と、俺に起こった出来事を整理してみた。

    俺は偶然にも洋子と親父の過去の接点を知る事になった。

    それは他界した洋子の父(洋介)と、親父(安太郎)の関係にも遡る。

    洋介から安太郎に託されたジャズのレコードの存在だ。

    洋子に形見と言わしめたそれを、親父はどのように認識しているのか。

    更に遡ると、洋子の母美也子と親父の接点だ。

    その真意は、男女の営みにまつわる伝統的な習わしにあった。

    つまりあれっ‼   あれだ (~_~;)

    ジュリたちは、そのたしなみを説き、指南役として貢献していた。

    その習わしが親父を一人前の男にした…のであろう。

    家の繁栄を代々に繋ぐ、それは期の長い習わしともいえる。

    なぜなら、兄や姉たち、そして俺が今ここにいる、

    その意味を物語っているからだ。

    さらに偶発的な出来事と言えば、先ほど出会った上原武子だ。

    ウークイには誰かが意図した導きを演出するという寓話がある。

    それが彼女だったのか? 

    そんなファンタジーに浸るのも悪くない。

 

     これまでの出来事を振り返りながら、

    再び棚の上の段ボール箱を見上げた。

    あのレコードや、ノートの束は改めて見ずとも目に焼き付いている。

    あれは日記⁉…だろうか。

    たまたま俺が開いたページは白紙だった。

    表紙には西暦が記されていた。

    中を見ることは、ためらわれた。

    親父のものでない事は一目で解った。

    単なる感にすぎないが、洋子の父洋介?…なのかもしれない。

    そうだとして、なぜここにそれがあるのか?

    謎は深まるばかり、点のまま繋がらない。

   

    再びの送々曲は何⁉🎶

     俺は缶ビールを飲みながら、早くもあの時に戻れないものかと

    思い巡らせている。

    “あっ、漱石はどこだ、あいつが居なければ…”

    と内声が意味深に訴えている。

    “ならば少し戸を開けておこう”

    向こうへ行くにはあいつの存在は不可欠だと、俺の第六感が忠告している。

    何気にレコード棚に目をやると、一枚だけ、その並びからはみ出している

    事に気づいた。

    俺は引き寄せられるようにその一枚を抜いた。

    んっ、ジャズ…じゃない。

 

   

    親父のコレクションだ。

    ビートルズ アルバム『lover Soul』ちょっと拍子抜けだ。

    だが俺の中では3本の指に入る名盤だ。

    中でもお気に入りは『In My Life』だ。

    まるで蒼穹の彼方に居る誰かに話しかけるように、言葉が紡がれている。

    俺は迷うことなく針を落とした。

    イントロで流れるチェンバロもどきの鍵盤スケールは、

    まるで魂をどこかへ持っていかれそうな…そんな浮遊感…んっ⁉ 

    既にもっていかれているようだ。

 

    敗戦の地をいざ進め🎶

        それから間もなく、既視感を覚えつつ覚醒した。

    目を開けると、横たわった俺の上に、漱石が前足を乗せている。

    “行くぞ‼”  と言わんばかりに俺の顔を覗き込んでいる。

    まあ、こ奴の想定内の行動だ。

    その動きに反応して、窓から降る日差しを感じながら起き上がった。

    そこから見える景色を確かめるのも既に想定内の行動だ。

    明らかに、昨日見た古びた木造家屋の風景とは違っている。

    その様を見る限り、やはり時間が進んでいると理解した。

    整然と区画されてはいるが、空き地が目立つ。

    土臭いと言うよりセメントの粉っぽさを感じる。

    建物はコンクリート家屋が増えている。

    戦後の建て替えなのか、俺の家がそうであるように…。

 

     俺が意図したところへ導かれる不思議は未だ謎だが、

    どうやらそれは漱石の仕業だとしか思えない。

    やはりいきつく先の謎、それは 、

      ”お前、いったい何者だよ⁉”  まさに、そこだ。

    まあ今のところそこは思考を放棄しよう。

 

    リニューアルした館🎶

     さて、漱石はというと、迷わず前へ突き進んでいる。

    従者の俺も、どこへ進んでいるか解っている。

    見えてきた景色は、まるで海に浮かぶ小島、料亭『辻の華』だ。

    再び目にするその外観は、真新しく近代的だ。

    いわゆるコンクリートの館へと変貌している。

    その周りはまだ建物がまばらで海岸も迫っている。

    とにかくそこだけが別格の佇まいだ。

    俺的に表現するなら、チージのランドマークといった存在感だ。

    石段を上がると、玄関アプローチはそのままに、

    白塗りの壁は赤瓦の屋根をまとっている。

    だが、待てよ、この外観、見覚えがある。

    今初めて見たという気がしない。

    姉たちが言うように、俺も子供の頃、

    間違いなくここに足を踏み入れている。

    戦前のあの雰囲気とは異なり、玄関先のエントランス(帳場)は開放的だ。

    そのオープンスペースの正面には、立派なカウンターが据えられている。

    後ろの棚にはターンテーブルやスピーカーが置かれ、

    レコードが数枚立てられている。

    壁にある日めくりは、間違いなく戦後の時を記している。

 

    敗戦の飴と鞭🎶

     カウンターから向かって左側の廊下を進むと、大広間と個室で

    部屋が幾つか仕切られている。

    それは今どきの料亭の造りで、かつてのジュリ部屋の類ではない。

    戦後、料亭『辻の華』は、米占領軍の後押しで再建され、

    琉米親善のシンボルとなった。

    だがそれは、かつての伝統ある遊郭の歴史が、

    幕を閉じた事を意味していた。

 

     戦後、沖縄は米軍の占領下に置かれ、社会構造や価値観が大きく

    変化し、遊廓は新しい時代の中で、受け入れ難いものになっていった。

        1958年(昭和33年)に売春防止法が施行されたことも要因となった。

    これにより公娼制度は完全に廃止され、合法的な遊郭は、その歴史に

    幕を閉じる事となった。

     沖縄においても、この法律の施行は、かつての遊郭が復活する道を

    断ち切る決定的な出来事となった。

     かつて辻遊郭は、琉球舞踊や伝統料理等、高度な社交文化の中心地と

    しての側面を持っていた。

    戦後はその伝統芸能や食文化を活かした「料亭街」として復興を遂げた。

 

     

                  イメージ画像

 

     正面のカウンターに向かって右側、廊下に面した部屋の間取りは、

    戦前に見たままが再現されている。

    しかし、あの重厚な箪笥や調度品は戦火の灰となってしまった。

 

     美也子と母のツル(アンマー様)は、洋介の故郷である九州に身を寄せ

    無事戦火を免れた。

    終戦後、一早く那覇へ引き上げた彼らは、チージの再建に奔走した。

    これについては、ウンケーの好日に出会った、上原武子の口から語ら

    れ、知る事となった。

 

     当時を記す文献によると、ジュリの芸能ともてなしの文化が、米軍

    上位の人々の評価を得て、民主主義のシンボル的存在となっていった。

    彼女たちの復興を後押ししたのは、皮肉にも米駐留軍だった訳だ。

    遊廓の妓女たちには否定的だった米国の社会文化も、その伝統芸能や

    もてなしの文化には、賞賛を贈ったという。

    彼女たちは戦前、高額納税者として貢献し、

    戦後は那覇の復興のパイオニアとなった。

 

                   

            イメージ画像 (沖縄公文書館出典)

 

    預かり物、それとも形見分け⁉🎶

     俺は浮遊しながら、そんな感慨に浸っていると、

    眼下で漱石が動き出した。

    あの美也子の部屋の前の廊下に座り込んだ。

    これは何かが起こる前兆だと経験から知っている。

    そんな推測をしながら部屋の中を覗いた。

    俺の視線は、洋子の父洋介を正面に捉えた。

    彼に向かい合うように座る若い男性。

    “俺か⁉ いやっ、そんなはずはないだろ”

    親父だ、まるで自分が鏡に映っているようで笑える。

    年のころは三十路前といったところか、案外男前じゃないか。

 

    「やっち―、忙しいのに来てもらって悪いね」

    「どうしたんですか、介さんから呼ばれるのは久しぶりだから」

    「いやぁ、やっち―に頼みたい事があってね」

    「はい、僕ができることなら」

    「ここにあるレコードの何枚か、預かって欲しいんだが…頼めるかな」

    「レコードですか、また何で、そんな大事な物…」

    「もうすぐ久茂地に引っ越すだろ、

      だから大事なもは、先に片付けておこうと思ってね」

    「そうなんですか、解りました」

    あれこれ詮索しないあたり、親父の良いところだな。

    「他にも預けたい物があるから一緒に頼むよ」

    「それなら、引っ越しの日が決まったら教えてください。

      手伝いますよ」

    「そうか、有難い。

      レコードは聴いてもいいよ、多分やっちーの好みだと思う」

    「あれっ、僕がレコード部屋作ったの、知っていました⁉」

    「美也子から聞いたよ、今は随分いい音響機が出回っているらしいね」

    「そうですよ、楽しみましょうよ。

      やっと洋楽を存分に楽しめる世の中になったんだし」

 

     俺は洋介の表情から、別れが近づいていることを予感した。

    しかも既に洋子から(形見のレコード)と聞かされていた訳で…。

    もしかすると、親父は未だに預かっている呈でいるのだろうか?

    そこまでとぼけた人ではないはずだ。

   

    *A* サインの意味🎶

 

    

 

    おっ、漱石が、突然立ち上がった。

    小さな人影が視界に入ってきた。

    「おっ、よっちゃん、ABCの勉強はしているか⁉」

    「しているよー。

      やっちーおじさん、ちょっと来てー、こっち・こっち」

 

    なんとあの写真の幼い洋子が俺の眼下ではしゃいでいる。

    彼女はその小さな手で、親父の腕を掴むと、帳場へ引っ張って行った。

    「ほらあれ見て、あれは大きな*A*だよ」

        なんと『Aサイン証書』だ。

        まるで卒業証書のようなその*A*のマークは、

        米軍公認の飲食店に与えられる営業許可証だ。

        その目的は、米軍関係者と家族の健康に配慮する

        一定の基準だったようだ。

    「ほー、そうか*エ*と読むのか」

    「違うよ*エー* だよ」

    「そうか・そうか、じゃー よっちゃん、

      おじさんの手にその字を書いてごらん」

    「うーんと、書くのはまだ習っていないけど、

      習ったらおじさんにも教えるさーねー」

    「そうか、それは楽しみだなー、先生‼  宜しくお願いします」

    「まかちょーけー(任せろ)」( `ー´)ノ

    親父の精神年齢に許容範囲はないと踏んだ。

    ある意味尊敬する。

    それにしても、2人のやり取りを、

    廊下の角で眺める洋介の表情は、何とも切なすぎる。

    この成り行きからすると、残念ながらレコードは見られそうにない。

    しかし先ほど洋介が指さした段ボールは、我が家のそれとよく似ている。

    この光景を目にした今、そこに込めた思いは、何となく想像できる。

   

    アメリカ世を受け入れて🎶

     今度は美也子が、忙しそうに廊下を小走りに、部屋に入って来た。

    衣擦れ(きぬずれ)の音に紛れ漂う残り香は、どこか懐かしさを覚える。

    そうだ、ミト婆さんの着物からも同じ匂いがした。

    確か、「ヤマクニブー」と言う名の香草と言っていた。

    一度聞いたら忘れないくらいの珍名だが、品のよい香りだ。

    

    「やっち―、いらっしゃい」

    「あっ、どうも、毎度お世話になっています」

    「あっそうだ、あの初物のさんぴん茶、美味しかったよー、有難う‼」

    「あはっ、僕がというより、康子が、美也子さんにと言ってですね…」

    「そう康ちゃんが、そうかー、彼女は本当に大当たりだったね」

    「美也子さんのおかげです。

      あっ、介さんの前で恐縮です」

    なーるほど、親父、ちゃんと空気読んでいるじゃないか。

 

     そんな大人の会話をよそに、洋子がまた割って入ってきた。

    「母ちゃん、早くー、あれかけて‼」彼女のご所望は何だろう。

    「はいはい、洋子のお気に入りがうちの開店の曲になってるのよ」

    「そうか、発案者はよっちゃんか、頼もしいなぁ」

       子供ってのは、嬉しいと飛び跳ねるもの。

       いつの時代も変わらない。

       洋子も喜びの儀式を始めた。

    「そうだよー、カチャーシーもできるよ、父ちゃんから習ったんだー」

       ジャズのサウンドでカチャーシー、どこかで聴いたような…。

    「そうきたか、だったら将来チュラカーギー(美人)間違いなしだな‼」

       何をか、言わんや、我が親父殿。

 

     さて、洋子のお気に入りは何だろう。

    帳場から徐々に漏れ聞こえてきたのは、

    デューク・エリントン『サテン・ドール』だ。

    何でも、その日一番のお客様を迎えるオープニング曲らしい。

    俺は『SAV』の従業員弘美が言ったことを思い出した。

    (洋子は、サテン・ドールを聴くと子供の頃を思い出す)

    

 

       アメリカ世(ゆー)を受け入れた島人(シマンチュ)のスピリッツは、

      見事にチャンプルー文化として継承されている。

     そんなオープニングテーマに送られて、親父は料亭を後にした。

 

     十五夜の月に照らされて🎶

       部屋では美也子と洋介の会話が聞こえて来た。

    「介さん、色々頑張ってくれて有難う。

     おかげで、形は変わったけど、チージに戻ってこれたね」

          「何だか不思議だな、この辺を吹き飛ばした奴らが、

              またここに店を構えさせてくれたんだから」

          「本当だね、アメリカさんには、飴と鞭をいっぺんに頂いたって感じだね。

              それより、久茂地に引っ越したら、ゆっくり養生してね。

               座間先生の診療所も、目と鼻の先だから安心だし」

          「将来は、あの辺でジャズを聴かせる珈琲ショップ、開きたいな」

          「そうだね、ここが立直ったのも、珈琲ショップが繁盛したおかげだし、

           いいかもしれないね」

         「それからあの段ボール箱だけど、やっち―に暫く預けようかと思ってね」

         「そうか、解った、いつか洋子の手に渡るのかな…

             そうならないほうがいいけど」

   そんな美也子のつぶやきを、我関せずに遠くを見つめる洋介は、

    「まだ、あのノートも完成させていないしなー」と言いため息をついた。

   それを聞いた美也子は、涙をこらえているように見えた。

 

     「さーて介さん、今日のお客様は将校(米軍)様だ、

        お見送りは『月』のメロディーだよ」

    「ああーそうだね、花笠の舞か」

    俺は首をかしげてしまったが、帳場を覗いてその意味を理解した。

    将校様一行を見送るのは、紅型をまとった芸妓(元ジュリ)たちの

    華やかな舞踊だ。

    お手合わせしている曲がなんと

      グレン・ミラー  「ムーンライト セレナーデ」だ。

          

イメージ画像

    ゆっくりとした足さばきの古典舞踊に、これまた絶妙な選曲だ。

   彼女たちの発想は、おそらく誰も真似できないだろう。

   待てよ、その生みの親は確か、洋介のはずだ。

   俺の記憶が間違いでなければ…。

   由緒ある舞踊家の皆様には、お叱りを受けるかもしれないが、

   そこは一つ目をつむって頂きたい。

   この華やかな演舞を眺める美也子と洋介の間を、

   十五夜の月あかりが差し込んでいる。

   それは俺だけが見ている妄想なのかもしれない。

   されど、しっかり記憶に留めておこう。

 

   

 

    そんな2人の背中を見ていた俺の方に、突然洋介が振り返った。

   俺は思わず後ずさりしたが、平常心を装ってみた。

   そして彼はにっこり笑うと

   「美也子のおかげで、本当に面白い人生になったよ」(´▽`*)☆彡

   えっ、それって俺に向かって言っている⁉

   そんなはずはないと思いつつ、何度も大きく頷いてしまった。

 

       帰還の時🎶  

    しばらく立ち尽くす俺の足元に、何かまとわりついてくる。

   漱石だ、こ奴、姿をくらましたかと思えば、

   これまた絶妙なタイミングで登場した。

   随分長い時間が過ぎたような気がする。

   俺を見上げるこ奴は “そろそろタイムアップ” だと指図している。

   そんな漱石にまたもや導かれ、我が家を目指して俺は浮遊している。

   流石に2度目ともなると、こ奴、振り向きもしない。

   するといきなり、漱石が、目の前から消えた。

   あたふたしていると、背中に強い衝撃を受けぶっ飛ばされた。

   何てことだ、俺は完全に漱石の姿を見失ってしまった。

   そう気づいた直後、再びの再び、俺は意識を放棄した。

 

    

  1960年代那覇市街地                 戦前のジュリ部屋

 

 

                            *つづく*

   

     龍舌蘭(りゅうぜつらん・agave)は、邪気を払う効果や、陽の気を発して周囲を明るく

    ポジティブな気で満たす効果があるとされている。数十年に一度しか花を咲かせないこと

    から、「センチュリープラント」とも呼ばれている。

    花言葉は「高貴」「誇り高き心」「威厳」。 

 

   目覚めるとそこは🎶

    ピアノのベース音が静かに響き、徐々にボルテージが上がる。

   ビッグバンドならではの醍醐味、それが『Little Brown Jug』 だ

   そのワクワク感は、来るぞ・来るぞと迫るような疾走感、

   その勢いのままイントロダクションに突入していく。

   そんな序奏が心地よく耳を刺激し、俺は覚醒した。

 

    狭いレコード部屋の天井が見えた。

   体は大の字、頭上には蓋の開いた段ボール箱がある。

   漱石は俺の腹に前足を乗せ、顔を覗き込んでいる。

   高窓のアングルからは、暁(あかつき)の空が見える。

   俺は状況を飲み込むと、窓からの景色を確認した。

   見慣れたいつもの景色だ。

   レコードは、アームを揺らしながら規則正しく回っている。

   「漱石、もしかして、お前か⁉」

   そんななわけは無いにせよ、こいつはこの事態を共有する唯一の存在だ。

   それよりこのレコード、古臭いが味のある音を響かせている。

   所在は謎だが、少なくとも親父のコレクションではない。

   やはり、形見分けのⅠピースか…⁉一_一)

   どうやら今の状況は、時間を戻したというより、

   遡った時間を現実に戻したという方が正しいだろう。

   “俺をここに連れ戻したのは『Little Brown Jug』か、

     まあこれ以上の推測はやめておこう”

   そんな心の声に従い思考を停止した。

 

   貴方がいるから俺がいる🎶

    「あれっ、父ちゃん居るの⁉」

   その聞きなれた声と共に、勢いよく戸が開いた。

   母親の康子だ。

   「なんだ祐作か、珍しい」

   「ああ、ここで寝てしまったよ。

     それにしても母ちゃん久しぶりだな」俺の今朝第一声だ。

   「だからよ、ボーボーグヮー(赤子)元気だったか。

     同じ家に住んでいるのにね」

   「母ちゃん忙しいし、昔からそうだっただろ」

   「またー、母ちゃんにウンジかぶせようとして(恩を売ろうとして)

   「嫌っ‼  俺は働いている母ちゃん、嫌じゃなかったよ」

   「へーっ、もしかして祐作に褒められている⁉…

    どうした、珍しいね、具合悪いの⁉」

   「なんでそうなる‼  (゚д゚)!」

   「この部屋に居たことは父ちゃんには黙っておくからねー」

   「出禁だったか、この部屋?」

   「嘘だよーっ、あの父ちゃんがそんな事言うはずないさ、隠し事も下手だし」

   受け狙いともとれるその言い方を無視して、

   「母ちゃん‼ 見直したよ」テレもなくそう言い放ってしまった。

   「なんねー急に、お前やっぱり熱あるんじゃない⁉(笑笑笑)」

   俺が今言えるこの人への最高の賛辞なのだが…。

   我が家で、嫁姑闘争など聞いたことがない。

   考えてみると、兄安一郎の嫁美智子ものびのびとしている。

   この人に嫁いびりなんて了見等、あり得ない話だ。

   言うまでもないが、当時の婆さんたちの証言にシンパシーを感じている。

   彼女らの計らいがあってこそ、今俺はここに存在しているのだ。

 

    今日は、お盆のウンケ―の日だ。

   親父たちも昼間のうちに帰って来るだろう。

   言いそびれたが、俺の家は、とにかく女たちの威勢がいい。

   そんな騒々しさを傍目に、男たちはおっとり構えているといった構図だ。

   貴子や由子は気楽な次男嫁であることを理由に、実家の催事にちょくちょく

   顔をだす。

   彼女ら曰く「ここでしか羽目を外せない」と口を揃えて豪語する。

   俺からすると、何処に身を置こうが外しっぱなし…だと思うのだが。

   付け加えると、嫁の美智子も、ほぼ3人姉妹という振舞いだ。

   《かかあ殿下はシーサーも食わない》…⁉ なるほど。

   我ながら上手いこと言う。

 

   十・十空襲の爪痕🎶

    漱石が偉そうに仏間をうろつくのを眺めていると、

   昨夜の光景が、まるで夢の出来事のようでもある。

   ひとまず、夕餉の時刻(ウンケ―)まで近所をぶらつくことにした。

   俺の住む久米町から、チージ跡まではそう遠くない距離にある。

   やはり辿り着いた先は『料亭辻の華』の跡地、拝所の前だ。

   サンゴ礁が隆起したような小高いこの場所は、なぜか落ち着く。

   その背後に群生する植物は年輪を感じさせる。

   

          龍舌蘭

 

    終戦後、ここに一早く戻って来たのは長老と言われるアンマーたちだった。

   しかしその壊滅的な街並みを見た時、「あの栄華は夢か幻か」と嘆き悲しんだ

   と言う。連なる妓楼の建物は全て消失し焼け野原となってしまった。

   その後何よりも先んじて拝所が再建された。

   チージの姐たちの戦後復興は、祈りから始まったのである。

   彼女たちが貫いた「義理・人情・報恩」の下、再建を誓い我が身を

   奮い立たせたのである。

   

    拝所イメージ画像

 

    この場所に立つと、今朝まで俺が俯瞰していた景色と今とが重なり、

   確かな存在感を自覚する。

   俺はここに訪れた時のルーティーンに従い拝所に向かって目を閉じた。

   微かに潮の香りが鼻をつくと、見覚えのある画像が瞼を刺激する。

   といっても、それは図書館で視たモノクロの画像だ。

   廃墟と化した那覇(十・十空襲 1944年)。

   その記事は紛れもなく、この辻花街が跡形もなく消失した事を証言している。

 

   貴方は誰🎶

    しばらくして俺は背後に人の気配を感じて振り返った。

   そこには一人の初老の女性、手には瓶子(ビンシー)を持って立っていた。

   「兄さん、前にもここで見かけたことあるね」

   「近くなので時々散歩がてら来ています。

    あっ、俺は棚原祐作と言います」

   「ご丁寧に、ありがとう。

     私は、上原武子と言います」

   歳の頃は70代半ばといった白髪の上品な女性だ。

   「ご先祖様に手を併せに来たのだけど、

   兄さん、あっ嫌、棚原さんはどうして…⁉」

   俺はそう聞かれて少し言葉に詰まった。

   何と説明したらよいか正直戸惑っていた。

   「あれっ、あんた、棚原さんと言った‼」  

   「はい、棚原祐作です」

   「もしかして、姐さんのところの… イキガングヮ(男の子)か⁉」

   「姐さんって、誰…ですか?」

   「あっ、グブリーしました(失礼しました)

     もしかしてミト姐さんのお孫さん⁉」

   「ああ、はい、ミトは祖母です」 

   えっ、なぜ⁉ ミト婆さんを知っているんだ‼

   「ミト姐さんには昔お世話になってね」

   俺は間違いなくうろたえている。

   “今、俺どんな顔してる  ( ゚Д゚)⁉ ”  上目遣いで自身に問いかけている。

   「姐さんは、芸のお師匠様だったのよ。

     私に手取足取り芸を仕込んでくれて、一人前になった」

   えっ、婆さんはジュリだったのか⁉

   「姐さんは、チージで有名な地方(じかた)だった。

            唄も三線も見事だったよ」  

   「ジュリではなく、地方だったって事ですか」

   「私も地方専門でね。

     ヤナカーギー(不細工)だったからさー」

   嫌、そんなことはないだろ、背筋が伸びたその佇まいは品がある。

   着物を洋服に仕立て直したようなセットアップは様になっている。

 

   「この辺りは10・10空襲で全部焼けてしまってね。

     もうチージは消えたといってアンマーたちは嘆いていたよ」

   なんでもこのサンゴ礁の隆起したような岩肌だけは空爆に耐え残ったようだ。

   「戦前は、ここにチージ一番の妓楼があってね、

     私もミト姐さんも地方として呼んでもらった」

   思いもよらない事実を、しかもこの場所で知ることになった。

   「あいっ、祐作って呼んでいいねー」

   「はい、大丈夫です。

     俺も色々聞きたい事あるけどいいですか?」

   「いいよ、こんな若い兄さんが関心をもってくれるのは嬉しいよ。

     さすがミト姐さんのウマガ(孫)だ」

   「とっても怖い婆さんでしたよ、躾(しつけ)に厳しかったです」

   「やっぱりそうか、私たちもよく怒られたよ。

     まあ芸事は一長一短ではないから、当り前さーねー」

      「この拝所の後ろに料亭『辻の華』があったんですよね。

     俺も小さい頃何回かここに来たことあるんですよ」

   「焼け野原の中、ここに一番乗りで建ったからね。

     この拝所と草花は変わっていない、だから手を併せるんだよ」

 

    俺の調べによると、この鬱そうとした植物は龍舌蘭

    (リュウゼツラン・Agave)と言われる植物で数十年に一度、

   花を咲かせると言われている。

   「ここの妓楼はね、私たちに読み書きを教えてくれたり、

    西洋の音楽も聴かせてくれたりして、

   たくさんの教養を身に着けさせてくれた大恩ある場所だった」

   武子のその語りに度肝を抜かれた。

   俺が観て来た通りの事を、この人は今まさに証言している。

 

   

    (注釈)

     ビンシー「瓶子」とは沖縄で拝み事に使用する木箱を指す。

    お供え物を入れるための三段式木箱で、屋外に持ち運びし易い

    構造になっている。ビンシーは、酒やコメ類(洗い米や花米)、

    塩などを入れることができる。上段にはお供え物を置くスペースがあり、

    下段の引き出しにはヒラウコー(沖縄線香)やウチカビが収納できる。

 

   ジャズとカチャーシーのコラボ🎶

    武子は、人懐こそうな笑顔を浮かべ更に話を続けた。

   「とっても面白いことがあってね、西洋音楽に併せてカチャーシー

     踊ったんだよ。聞いたことないだろ、そんな事できるのって、

               私たちくらいだったと思うよ」

   「えっ、どんな曲だったんですか」

   俺は身を乗り出し食いついた。

   「えーっと、えーっと、あれよ・あれっ、遠い国の、古代の美女の名前…」

   「あの、もしかしてクレオパトラですか⁉」

   「あいえー、そうそう、クレオパトラだ。

   ピアノが流れて、あれは西洋版の『唐船ドーイ(トーシン)だよ」

   「ああ、確かに早引きのカチャーシー曲ですね(笑笑笑)」

   その曲の正体は、『Bud・Powell』Cleopatra’s Dream  だ。

   「手習い所の先生が面白い人でね、息抜きにって聴かせてくれたわけさ、

    そしたら先生が先頭きって踊りだしてね、皆釣られて踊りだして(笑笑)

               面白かったよ」

   「ミト婆さんはそこに居たんですか」

   「勿論さ、調子の取り方は一番だったよ。

     あの怖い人が、いっぺーはまっていたよ」

   俺の妄想は限界に達し、腹を抱えて爆笑してしまった。

   すっかりこの人の世界に魅了され、時を忘れていた。

   「あい、肝心のお参りを忘れるところだったさ」

   「あっ、俺も線香あげていいですか」

   「ああ勿論、あの世のミト姐さんも、この話にウミチチ(たいそう)

     笑っているはずよ、こちらこそ有難うね」

   

 

    今日はくしくも旧盆のウンケ―だ。

   きっとあの怖い婆さんも腹を抱えて笑いながら三途の川を渡って

   来るんじゃないだろうか。

   それと、あの厳格な婆さんが、ジャズでカチャーシーなんて前代未聞だ。

 

   知らなかった俺の弱点🎶

    俺は心跳ねる気分で、帰路に就いた。

   さっそく仏間のミト婆さんの遺影を観ながら、1人ニヤニヤしてしまった。

   そんな俺を見逃さなかったのが母康子だ。

   「祐作、姿が見えないと思ったら、帰って来るなりニヤニヤか」

   「あっ、嫌、婆さんの秘密を知ってしまって…」

   「へー、何ね秘密って。

    そんなものあったかな、あのミトさんに」

   「唄三線の師匠だったんだろ」

   「あーそれか、あんた知らんかったの」

   「知らんよ、あんな厳格な人が芸能に関心があったとはつゆ知らずさ」

   「ほんとは、あんたに仕込みたかったらしいんだけどね」

   「俺っ、 あー絶対無理‼」

   「うん、そうだね。

     あんたが鉄腕アトムを歌うの聞いてからは言わなくなったよ」

   「なんでか⁉」

   「ヒジャイヌーディー(音痴)って解ったからさー☆彡」

   俺の急所を突いてきた康子は、すこぶる自慢気だ。

        しかし待てよ、俺って音痴だったんだ (;一_一)。

 

                     ***つづく

  

 

    

                      クローブは、生薬「丁子(チョウジ)」としても知られています。

    その作用は胃腸を温め冷えによる腹痛や、消化不良、しゃっくり

    等に対して用いられます。

 

   何か起こる予兆を感じて🎶

    さてさて、旧盆マジックとでもいうのだろうか⁉

   そんな思いがけない展開に、祐作の思考回路は過去と現在の狭間で

   揺れている。

   まさか洋子や千恵子と、自分の家が関わっていたとはつゆ知らず。

   彼の思考回路を紐解くと、人と人との関係性は言うまでもないが、

   あくまでそこにまつわるジャズのメロディーがどう絡んでいたかに

   あるようだ。なんとも祐作らしい淡白な感性のようでもある。

   しかし意外にもそれが、辻の戦後復興に密接に関わっていたのである。

   祐作はこの時まで、そんな事等知る由もなかった。

 

   猫に導かれ悠久の時へ🎶

    俺は帰宅すると、一目散にレコード部屋の引き戸を開けた。

   いきなりのカビ臭さは、いかに人の出入りを拒んでいたかを物語っている。

   不思議とターンテーブルやデッキといったところは、手入れされている。

   間違いなく親父の所業だと察知した。

   俺が帰省してから、音が漏れ出るといった記憶はない。

   それでも手入れを欠かさないといったあたり、さすがに驚きを隠せない。

   子供の頃の記憶とは裏腹に、片付いてもいる。

 

    俺は手狭な部屋の中央に胡坐をかいて座ると、周りを見回した。

   レコードの数は数百枚といったところで、その殆どは洋楽だ。

   ビートルズ、ローリングストーンズ、エリック・クラプトンに

   ボブ・ディラン…etc.

   その整然と並べられたレコードを、棚の上から下へと嘗め回すように

   眺めてみた。

   はてっ⁉  棚の上段の隅、そこだけ段ボール箱が突っ込まれている。

   俺は迷わずその箱を引っ張り出した。

   とりあえず開封厳禁とは記されておらず、罪悪感は回避された。

   その箱に手をかけようとした瞬間、部屋の外でガサガサと音がした。

   俺は座ったまま手を伸ばし、戸を開けた。

   “なんだ、漱石か” 我が家の飼い猫《漱石》だ。

  

    何故に《漱石》と命名されたかについては講釈しておこう。

   夏目漱石を、愛して已まない長女貴子がその名付け親らしい。

   桜坂社交街の路地で出くわしたという、いわゆる拾い猫だ。

   なんでも「前足で頭を掻く仕草が夏目漱石に瓜二つだった」という。

   いかにも彼女らしい意味不明な理由だ。

   貴子にそんな感性があったのかは…謎だ。

   ともあれ漱石は、そんな生い立ちの持ち主なのだ。

   しかしその住み家が、貴子の嫁ぎ先ではなく、

   我が家なのかは、未だ 解せない。

 

    部屋に入って来た漱石は、俺の太股を踏み台にして跨ぐと、

   レコード棚の前に鎮座した。

   まるで“触れること厳禁”とでも言わんばかりの形相だ。

   「おいっお前、俺の事なめてるだろ」思わず口をついて出た。

   「親父に言うなよ、これでお前も共犯だからな、覚えておけ」

   そう言うと俺は例の段ボールに再び目をやった。

   それからきっちり張り付いたガムテープをゆっくり剥がした。

   すると彼は開いた箱の淵に前足をかけ、仁王立ちした。

   俺と向き合うようにして中を覗き込んだ。

   中身は数枚のレコードとハードカバーの分厚い本(?)嫌、ノートの束だ。

      俺は背中を押されるようにそのノートを取り出し、おもむろに開いた。

   日記…か⁉、飛び込んできた活字に吸い込まれるような妙な感覚だ。

   えっ‼これは…その瞬間、俺を狙って漱石の猫パンチが☆彡

   “届くわけねーだろ” 思わず苦笑いした。

   次の瞬間、事もあろうに俺の顔目掛けて飛び掛かってきた。

   “何だ‼ 何だこいつ  ∠( `―´)ノ”

   その勢いで俺は後ろへひっくり返った。

   俺はその後気が遠くなり、意識を放棄した。

 

   目覚めるとそこは🎶

    微かに覚醒したことを自覚し、妙な時間の経過を体感した。

   とりあえずゆっくり瞼を開けてみた。

   すると開いた窓から外へ勢い放り出された。

   “えっ、ここは2階だぞ…⁉”

   しかも、放り出されたその場所は、見慣れた景色とは明らかに違っていた。

   何か埃っぽい、それでいて微かに香の匂いが入り交じる。

   古びた家屋が並ぶ通りだ。

   「んっ⁉漱石、なんで俺はお前を見下ろしているんだ(・・⁇)」

   “まさか…これって幽体離脱的なことか⁉”

   “何てことだ、馬鹿な、夢の中なのか、それにしてもリアルすぎる”

   こうなったらただ漱石に付き従うしかない。

    ついた先は立派な門構えの家、方角的には…波の上の海岸近くか。

   通りからは小高くなった敷地の本丸に向かって数段の階段がある。

   それを上がりきるとヒンプン、その向こう側には立派な玄関だ。

   間口は全開だ。

   俺は漱石の思うままに引き寄せられてここに辿り着いたわけだ。

   それは、まるで俯瞰の黒子だ。

 

    拾い玄関の正面には立派な紅型織の壁掛け、そこを挟んで左右に

   廊下が続いている。

   漱石は右の廊下を進んでいき、突き当りの部屋へ入っていく。

   まるで俺たちを招き入れるかのように開け放たれている。

   そこには2人の女が長火鉢を挟んで座っていた。

   どうやら夏の盛りらしく火は入っていないようだ。

   俺は辺りを見回した。

   気品のある調度品が目を引く。

   ゆっくりと視線を上げた途端、飛び込んできた日めくりに釘付けになった。

   それは、昭和十〇年の数字を示している。

   俺は不思議とこの成り行きを冷静に受け止めている。

   なぜなら、これまでも似たようなデジャブを体験しているからだ。

 

    彼女たちには、俺の姿形等、微かに漂う香や埃程度のものだろう。

   んっ⁉ 漱石は認識されているのか、とんでもない奴だ。

   それから女たちは、俺の眼下で楽し気に語りだした。

   「美也子、今日の手習い所も賑やかだったよ。

     山崎先生のおかげで皆読み書きも上達しているようだし」

   「アンマー(抱親様)にそう言ってもらえると、

     うちの旦那様もやり甲斐あるはず」

   「美也子、私と2人の時は母ちゃんでいいんだよ」

   「あはー、そうだね。

     それはそうと、アンマーたちは、計算事には困らなかったって聞くけど」

   「そうさー、特にジンヌサンミー(金勘定)はね。

     ここでしか通用しないやり方があってね、ジンブン(知恵)働かしたわけさ。

     ヤシガ(だけど)一番難儀だったのは、帳簿付けさ。

    そのために男衆を雇わんといけんからイチデージヤタン(大変だった)

   「うちたちは、ナシングヮーナシンチャー

     学校行かせてもらったから何とかなったけど」

    (注釈)ナシングヮーとはアンマーの実子を指し、ナシンチャーとは妓女の子を指す

         呼称である。

   「そうだよ、今は恵まれているよ。

     だから姐さん(ねえさん)たちは山崎先生に感謝しかないはずだ」

   「やまとぅ口も上手になったしね」

   「それこそおかげ様だ、今はヤマトゥー(本土人)の殿方も上客だ。

     唄三線も琉舞もここでしか見る事できないんだから」

   「税金もたくさん納めているし…でしょ」

   「その通り」

 

   “こっ‼この人、あの写真の人だ。

   洋子の母親美也子…親父に花があると言わしめた人だ“

   俺は内声を通り越し叫びそうになった。

   という事は、もう1人は美也子の母親、洋子の祖母ツルだ。

   2人ともどことなく品がある。

   俺のイメージする妓女のそれとは異なる雰囲気だ。

   美也子は確かに綺麗だ、絣の着物がよく似あっている。

   夏の暑さも手伝ってか、帯を締めないウチンチーという着方は

   沖縄独特らしい。

   それにしても洋子にそっくりだ。

   年恰好も今の洋子と一緒といったところだろう。

 

    俺は1人、呼吸するのもはばかられるほど聞き入っていた。

   しかも、なんとも穏やかに会話する2人にただただ魅了されている。

   洋子の父親の山崎氏は、このくだりからもその人柄が垣間見える。

   太平洋戦争が産声を上げるこの時に、女たちは伝統ある文化を育んでいた。

   それにしても漱石の奴、これ見よがしに美也子にじゃれついている。

   やっぱりこいつ、俺をなめている。

 

   喝を入れてくれる曲は何🎶

    この部屋はどうやら美也子の私室のようだ。

   書籍棚があり、その本棚の下は観音扉の収納庫のようだ。

   書棚ともども壁にはめ込まれている。

   暫くすると、俺の傍をすり抜けるように男が入って来た。

   膝まづいて丁寧にアンマーに会釈した。

   美也子の夫の山崎洋介氏で間違いないだろう。

   三十路は当にすぎていると見た。

   すっきりとした面立ちは、見るからにヤマトゥーだ。

   この時点では、《洋子の父親になる人》と言った方が正解だろう。

   俺は、ふと洋子の顔が浮かんだ。

   めったに見せないあの寂しげな顔を思い出してしまった。

   鶴は満面に笑みを浮かべると、早々に席を立った。

   「介さん、ご苦労様でした」

   「いや、楽しくやっているよ、本業よりずっとな」

   茶目っ気のあるその語りは、どことなく洋子を彷彿とさせる。

   「じゃあ、ちょっと活力補充でもするかな」

   洋介はそう言うと、おもむろに本棚の下の扉を開けた。

   えっ、何だ、蓄音機か、このご時世に、希少価値だ。

   俺は確信した。

   親父にジャズを伝授したのはこの人だ、何かが俺の中で繋がった。

   「さて、何がいいかな、喝を入れてくれそうなやつはと…」

   なんだ・なんだ、漱石が邪魔で、肝心な手元が見えないじゃないか。

   この時代であれば、どれもほぼ原盤だろう。

   それにしてもこの猫殿、嫌にレコードに執着する奴だ。

   “お宝をぞんざいに扱うなよ、またたびじゃないんだから、頼むよ”

   そう呟きながら、夫婦で肩を並べ品定めする姿を、

   洋子に見せてやりたいと思った。

   そして嬉しい時、頬を両手で包み笑う彼女の姿が、目に浮かんだ。

   とにかく彼が針を落とすのを待とう。

   

    おっ、決まったか、どれどれ。

   洋介はメガネの端をつまみながらジャケットを高々と掲げた。

   見たことない絵面だ、えっ なんだ‼  んーっ、解らん(*_*;

   流れ出る音の雑味感は、レトロを醸しだし何とも新鮮だ。

   俺はここでもまた、天井の甘露を味わってしまった。

   オープニングは、意表を突くクラリネットのスケールだ。

   クラシックか(・・? 嫌、まるでオペラの楽曲のようだ…⁇

   ジョージ・ガーシュウィン『ラブソティー・イン・ブルー』

   俺の体毛は総立ちだ、まさかここで聴くことになるとは…。

   『SAV』にもない名盤だ。

   ジャンルを超え響く荘厳なフレーズに、俺は一鑑賞者になっている。

   

 

   (おんな)たちの自治🎶

    妓楼は、アンマーと呼ばれる抱親(かかえおや)を当主とし、そこに数人

   の妓女を抱えて商売を成していた。アンマーの殆どが、自分の名前も書けず、

   お金の計算は藁(わら)を結んでする《藁算》なる手法を用いていた。

    美也子の父親は、台湾との交易で財を成し、その販路を広げる目的の

   ため妓楼を起こした。いわゆる商談の場所としての役割を担っていた。

   それを、美也子の母親鶴が切り盛りをしていたのである。つまり、母も

   娘も生粋のジュリではなかった。どちらかというと、商家として名を成す

   大店(おおだな)だったと言う訳である。

 

   祖母の若かりし頃🎶

    すっかりこの場に浸っていると、漱石が突然俺にゆっくり近づいてきた。

   すると(付いて来い)と言わんばかりに顎で指図した。

   なにせここで俺は黒子だし、漱石の従者と化しているわけだから。

   黙ってついていくと、更に奥の部屋へ向かい、ついた先は、

   おそらくツルの私室だろう。

    二間の間取りの一つは立派な客間になっている。

   床の間には、丁子風炉(ちょうじふうろ)が置かれ、ほのかに丁子(クローブ)

   の香りがする。

   開け放たれたこの部屋は、風通しがよく心地よい風が通り抜けていく。

   ツルと向かい合わせに座っているその人、

   見覚えある…が、うっ\(゚Д゚)ノ…俺の祖母ミトだ‼

   なんで婆さんがここに…⁉ しかも若い、そりゃそうだ。

   この人は、今どきの甘々の婆様とはわけが違う、厳しくて、とにかく

   威厳があった。

   俺はあの凛とした仏間の遺影と重ね合わせ、感慨無量といった心境だ。

   漱石も恐れ多いのか、お付きの従者のように廊下に位置取りし座り込んだ。

   俺に向かって(よく見とけ)と言わんばかりにまた顎で指図した。

 

    

      丁子風炉

        

             元服の儀式🎶

   「アンマー様、この度は安太郎がお世話になりました」

   切り出したのはミト婆様だ。

   「お役に立てて何よりです。

     やっち―はいいウトゥ(旦那様)になりますよ。

     礼儀正しいし素直だ…アキサミヨー‼

        自分の子のつもりになっているね、ご無礼しました」

   「いいえ、とんでもない。

     美也子さんをご指名したことは、気兼ねではありました。

    でも無理をお願いしてしまいました。

    ウトゥ(夫)に代わってお礼申し上げます」

   「美也子には殆ど客をとらせなかったですが、この習わしだけは

     あの子も大事に思っていて、将来ある青年のためにと言って、 

     引き受けているんですよ」

   何やら謎めいた会話が繰り広げられている。

   まさかと思いながら、俺の妄想はあながち間違いではなさそうだ。

   俺の親父の指南役は、美也子だったということだ。

   「山崎先生も、チージの風習を重んじてくれてね、本当にできた人です。

     ジュリの仕事を知った上で美也子をトゥジ(妻)に迎えてくれた。

     足を向けて寝たら罰が当たります」

   「いつ戦争が始まるかもわからんし、太郎が好いた人がいると解った時から

     早く所帯を持たせようと思っていたものですから」

   「本当だ、このご時世、備えあれば憂いなし、康子ちゃんなら申し分ないさ」

   「はい、肝っ玉の据わった娘ですし、自活心も旺盛だとみています」

   「願ってもない縁というのは、ご先祖様のお導き、逃がしてーならんさ」

   「おっしゃる通りです」

   「山崎先生も、やっち―のことは弟みたいに可愛がっています。

     男同士で西洋音楽の話に花を咲かせたりしていますよ」

   「うちの人は、三男坊はのびのびさせてやろうと考えているみたいです」

 

   そうか、長男も次男もこの時は存命なんだ。

   婆様たちにしてみれば、2人のどちらかが家業を継ぐという腹積もり

   だったのだろう。

   親父は、只々かわいい末っ子だった。

   彼は今置かれている現実をどう受け止めているのだろう。

   それにしても、母の康子は評判だったんだ、そうか、見直した。

   あの寛容な親父の青年期を育んだのは、身内に留まらず、このチージと

   いう花街にもその原点があったのだ。

 

    この元服の儀式は、俺からするといたって健全な風習のように思える。

   ともすれば歪んだ、無知とも思える衝動を、正しく導いてくれるのだから。

   この平穏な今を生きている俺だから…そう思うのかもしれない。

   何にせよ、当時の男子を羨む気持ちは俺だけではないはずだ。

 

   ニービチ初尾類(ハチジュリ)

    戦前の沖縄には『ニービチ初尾類』という風習があった。

   男子が元服を迎えると、童髪を整え、尾類と寝屋を共にする

   という儀式だ。

   尾類(ジュリ)たちは、成人男性のたしなみとして、その指南役となった。

   娘の貞操は喧しく(やかましく)言われる半面、男の童貞は辻の姐たちに

   よって破られたのである。

   愛情がなければ男を抱かぬチージの姐たちが、ただ若者を大人にすると

   いう使命の下、母性愛を発揮したと言う訳である。

 

   時間を戻せ⁉ 🎶

    突然降ってわいたようなこれまでの出来事に、内心動揺しつつも

   悠久の時を堪能した。

   しかしながら、俺はいつまでもここに浮遊している訳にはいかない…。

   そう思案していると、あの太々しい漱石が動き出した。

   とりあえず後をついていくしかない。

   どうやら来た道に戻り始めているようだ。

   ここへ迷い込んだ時は、訳が分からず浮き足立っていた。

   しかしよく見ると見覚えのある風景にも思えてきた。

   やはり埃っぽい道中、もうセミも泣き止んでいる。

   目を凝らしながら歩いていると、靄(もや)がかかったその先に

   家が見えて来た。

   俺の家か?

   近づくにつれ音が漏れ聞こえてきる。

   えーっと、これは…(・・⁉

   

   グレン・ミラー 『茶色の小瓶(Little Brown Jug)』

   その音源に反応した漱石は一気に駆けだした。

   「おいっ 待て‼ お前を見失う訳にはいかないんだよ」

   認めたくはないが、こいつ、どうやら俺の心を読んでいるな。

   「なんて奴だ おいっ‼」

   走り出す漱石をつかまえようとした瞬間、俺は再び意識を放棄した。

 

                           つづく🐱