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坂東イッキ インド・ヨガ研修 2007 夏



私、坂東イッキはインド・リシケシュのヨガの恩師の元を3年ぶりに訪れました。




写真1:ガンジス川上流に位置するリシケシュは”世界のヨガの首都”とも呼ばれ、
    古来よりヒンドゥー教の聖地として親しまれている場所。
    (サルベニ・ガット(ヒンドゥー寺院)にて、聖なるガンジス川にお祈りをする人々)



写真2:ヨガ・スタディーセンターでの授業風景。
    コチラのルドラ先生は正真正銘”本物のヨギ”。
    自己経験から構築された深いハタヨガの知識、哲学的、医学的で実践的。
    そしてなによりもヨガを愛して止まない、ひた向きな姿勢。
    というか、彼の普段の生活こそがまさしく”ヨガ”。
    本当に尊敬いたしております。
    (実は、この先生との出会いが、私が真剣にヨガに取り組み始めたキッカケとなったんです。)


   
写真3:みんな真剣に説明を聞いていますね。
    (世界中の様々な人種、年齢の人々が、彼のヨガの教えを求めてここを訪れます。)



写真4:クラスのみんなの無事と健康、ヨガ成就を願って、みんなでプジャ(お祈りの儀式)を
    ヨガの神様パタンジャリをはじめとする神々に捧げます。



写真5:グルジとのツーショット☆ Love 



写真6:ビックリ偶然な笑顔の再会。長年の友人ミハエルと、リラックス? した午後のひととき(爆)



写真7:ヴィシュア・ミッドラ・アサナ      
     難易度:☆☆☆☆
    ヨガ好き(ヨガ馬鹿?)が2人集まると・・ 合同自主練習にも熱が入りますよね☆
    この日は、アシュタンギのミハエルに付き合って、アシュタンガヨガの3rdをガンガンに!!



写真8:ルチカ・アサナ             
     難易度:☆☆☆
    (あれ? ちょっと崩れてるかぁ 手を着く位置が悪かったな・・)



写真9:グルジの自主練習のお手伝い。
    無理を言って、滞在中、一日も欠かさず、自主練習のお手伝いをさせていただきました。
    (達人の傍にいることが、なによりも上達の一番の秘訣なのです☆)



写真10:本当に限られた人にしか見せない、本当に貴重な練習風景。(載せちゃっていいのかな??)




さて、こちらが今回の旅の成果??


写真11:ナタラージャ・アサナ                 
      難易度:☆☆☆



写真12:ヴェルシュチカ・アサナ No2             
      難易度:☆☆☆☆☆★



写真13:エーカ・パーダ・ヴィパリタ・ダンダー・アサナ No2 
      難易度:☆☆☆☆☆★★ 
     (これにはグルジからも”Ikki,You so Good”とお褒めの言葉を頂きました。やったネ!)


旅行&滞在中に出逢えた人々に感謝☆

そして、ルドラ・ジへ
外面的(アサナ)だけでなく、内面的、精神的なこと、生き方に至るまで、今回も本当にいろいろと勉強になりました。慢心せずこれからも精進いたします。ありがとうございました。 
Om Shanti with Love

by Br? 坂東イッキ(ヴァイクンタ・ヨガセンター沖縄 ディレクター)




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7月初旬より1ヶ月半の日程にて、

聖パタンジャリについての考察



聖パタンジャリについての考察




パタンジャリはBC200~500年ごろインドに実在していた人物で、その生涯をヨガの普及に費やした偉大なヨギ。
彼の人生は現代歴史家にとってもいまだ謎めいており、このヨガを体系化した偉大な先駆者については殆ど何もしられておらず、彼にまつわる伝説によってしか人生を推測することはできないが、おそらくSawadhyaya(自己研究)精神鍛練の為の道場の長であったであろうと推測されている。

さて、長いインド史の中で、3人のパタンジャリという名前をもつ非常に有名な人物が生まれてきている。

最初の人物は有名な文法家でありMahabhashyaの注役を記し、のちにラジャ・ヨガの基本テキストとなるヨガ・ス-トラを編集し、ヨガを体系化した今回のターゲットとなるパタンジャリ。
(Mahabhashyaは文法における規律の完成を象徴した。その主な目的はヴェーダ(アーリアンの聖書)の完全な姿を保存し正しい意味を理解するため、口語(Laukika)を規制する規則を与えた。)

2番目の人物はニダーナ・スートラを書いたパタンジャリ。
ウ゛ェダー儀式/礼拝の研究においては不可欠な存在とみなされている

3番目の人物は、有名なサンキャ哲学の先生。

上記の3人は歴史家の見解によると、異なる時代に活躍し、全くの異なる人物であるとされている。
しかしインドに伝わる言い伝えではそれとは意見を異にし、上記の異なる3つの学説は1人の人物
によってなされたといわれているのである。

蛇の王(アナンタ)の生まれ変わり?
インドの言い伝えでパタンジャリは、彼自身の力で己らこの世に生まれ出て来た(Swayambhu)とされており
人類を救済する為に自己の意志を人間の姿に具体化させた高く進化した魂であったと言われています。

また彼はアナンタの生まれ変わりとも見なされており、今日でも多くのヨギが毎日の日課のヨガを始める前にアナンタに敬意を払っています。

★(アナンタ・・・隠された宝を保護するヘビ族の王であり、英知(Jnana)またはSheshaの源であり、その姿はウ゛ィシュヌ神の横たわるカウチの上部に描かれています。たくさんの蛇頭は、無限もしくは遍在の象徴とされている)

インドの昔話より(パタンジャリの出生に関する逸話)

ある日のこと、宮殿でウ゛ィシュヌ神は彼の長椅子(へビの王/アディシーシャ=アナンタ)の上に横たわりながら皆と一緒に、シバ神のダンスを観覧してました。

最初はなにげなく眺めていましたが、グルーウ゛ィなシバ神のダンスはウ゛ィシュヌの体をゆらしはじめます。
顔には恍惚の表情を浮かべ音にあわせてリズムを取ると、不思議なことに彼の体はどんどん重くなっていきました。
ところが自分の体の上にウ゛ィシュヌ神を乗せているアディシーシャはウ゛ィシュヌのあまりの重さに息切れし、今にもつぶれてしまいそうです。

ようやくダンスも終わりウ゛ィシュヌの体も元の重さに戻りました。
アディシーシャはそのあまりの変わり様に驚き、ウ゛ィシュヌにその理由を訪ねます。

ウ゛ィシュヌはそれに答えます。
「優雅で美しい気品に溢れたグルーヴィなシバ神のダンスは、私の体、魂を大きく揺さぶった。不思議な事にそれは私の体をどんどん重くさせていったのだ。」と

驚くアディシーシャは、ウ゛ィシュヌをそんなに変えてしまう
シバ・ダンスを習いたいと願いました。

それを察したウ゛ィシュヌはこう予言します。
「アディシーシャよ、お前はシバより恩恵をこうむるであろう。
お前は人間に生まれ変わり、その人生の中で文法の注訳を著し(マハボハシーシャ)、芸術的なダンス(ヨガ)に専心できるようになるであろう」と

アディシーシャはその言葉に大喜びし、シバ神の恩恵が下りてくることを祈願し、いったい誰が地上での自分の母親と成るのかを知る為、静かに独り座しメディテーションを始めます・・・


・・その深い瞑想の中で・・・


アディシ-シャはゴニカというヨギニのウ゛ィジョンを見ます。

英知と知識のオーラに包まれているゴニカを見て、すぐに彼は「ゴニカこそ自分の母に成るにふさわしい人」であると気付きます。 そして彼女の息子になる至福の瞬間を待ちわびました・・・


さて、ところ変わってこちらは地上界。

ゴニカは日課の水浴びに川へと向かう道中、ふと自分の生きてきた人生について考えます

「いったい、なにが悪いのだろう? 息子が欲しいという私の願望は満たされないまま私の人生は終わってしまうのであろうか・・・それはとても悲しく残念なこと・・・」

そんなやきもきする思いを胸に抱えたまま、独りゴニカは川に祈りの為 入水します。

両手一杯に水を取り、静かに目を閉じ太陽神に祈りの水を捧げる・・・

そして静かに目を開け、両の手を見た彼女は驚きます!

彼女の手の中には一匹の白い小さなヘビが泳ぎ動めいているではありませんか? まもなくそれは小さな人間の姿へと変わっていき

「私の母親になってくれますか?」

と彼女に承諾を求めました 
驚きよろこんだゴニカはそれを心良く受けいれます。

祈りの仕種(手印を結ぶ)(anjali)をしていた時、その子は天から落ちて(pat)来たのでそれに由来してその子にパタンジャリ(patanjali)と名前をつけ、末永くたいそうかわいがりましたとさ。

めでたしめでたし。



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オーム真理教が日本のヨガ業界に残した傷跡



オーム真理教が日本のヨガ業界に残した傷跡

 現在、米国でヨガは大ブ-ムでヨガ人口:1500万人/市場規模270億ドルと巨大なヨガ市場が出来ています。2004年度の日本の推定ヨガ人口は23万人/市場規模139.5億円と米国の1.5%程にとどまりヨガの普及は大幅に遅れています(日本の37%ほどの人口の韓国でさえヨガ人口は200万人を超えています。)その最大の原因の一つに、ヨガを悪用した10年程前のオーム真理教の事件が考えられます。事件後、順調に伸びていたヨガ人口が急激に減少、日本のヨガ業界は大打撃を受けました。今から5年後の2010年にはヨガ人口100万人を越えると予想されており、今後の日本のヨガ市場は急拡大が見込まれているものの・・

 10年あまり経過した現在でもそのオーム真理教の悪影響は十分残っており、それを懸念してか、日本のテレビ、マスコミ、雑誌などのヨガ報道ではどの様な形であれ『オーム』という言葉はタブー視されカットされているのが現状です。また、ヨガを完全にファッション・フィットネス&ビジネスとして上辺の形だけ取り込もうと企んでいる大手スポーツ・ジムの戦略からも、へんな誤解を招きやすい『オーム』という言葉は完全に排除されています。現在のマスコミのヨガにまつわる報道、そしてヨガ業界の中でも「オーム」という単語自体が、腫れ物に触る様にあつかわれている様は異様にさえ感じさせられます。

 私の教室でもヨガレッスン開始前と終了後にオームというマントラを唱えているが為に、始めて体験に来られた生徒さんが、ヨガ教室と『オーム真理教』との関係を誤解して来なくなるという様な自体が発生しました。そのような変な誤解を防ぐため、教室内でオーム・マントラを唱えることをしばらく控えようとも思いましたが・・
オーム真理教団とは全く関係の無い私としては、そのコトについてはとても不本意に感じており「きちんと説明しなくてはいけないな」と思いこの文を書きました。私を含め、今、まじめにヨガを日本の方にお伝えしようと思っている先生方は、多かれ少なかれこの問題にはうんざりしているハズだと思われます。
 
 それでは、ここでヨガの本場インドに目を向けてみましょう。現在インドには様々な種類のヨガがあります。それらすべての練習施設/道場では一様に、練習の開始/終了時にマントラ(オーム音など)を唱えることを必ず行こなっているようです。オームという言葉にアレルギー反応のないアメリカ、ヨーロッパでもインド・ヨガの伝統形式を重んじて皆でマントラを唱える教室が多いようです。それらのヨガ教室でマントラは「散乱した意識を統一させる目的」で使われており、それは散漫な気の状態/ゆるみから起こる練習中の事故防止にも役立っているようです。4000年以上のヨガの歴史の中でつちかわれてきた現実的で効果的かつ、伝統的な作法形式といえるでしょう。

 では、「オーム」(オームという音)とはいったい何なのでしょう?
オームは「A」「U」「M」と3つの音から構成されており、「A」が始まりの音、「U」が持続の音、そして「M」が終わりの音を表しており、それらの音はこの宇宙全体に遍在(どこにでも在る)しており、「この大宇宙そのものである」といわれています。そしてすべてのヨガの教典となるインドのウ゛ェダーの中の奥義書、ウパニシャッドの哲学では、その音=宇宙(梵)と自己の内にある内我(我)は同じであるという根本思想「梵我一如」を説いています。そういえば「ナーダ・ブラフマー」(音は神なり)という言葉をインド音楽関係者たちが良く口にしていますね。

「宇宙が音である」だなんて・・  ロマンティックって思いません?
もしそうなら、それはとてもステキなことだと思いますが・・

 当時、「オーム真理教団」は、その「オーム」(オームという言葉)を教団のシンボルとして勝手に使用し、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教、その他世界の土着宗教などを混ぜ合わせたモノに終末思想のフレイバーを効かせて、まったくでたらめな思想形態を作り上げました。その後、皆さん良く御存じの様に彼らは、地獄への道を歩んで行ったのです。そして未だに、その後遺症は日本全体に根深く残っていますよね。

 ここで今、改めて個人的に「教祖麻原」という人物について考えてみると・・
当時、あれだけの教団員を集めた実績からみて、彼はカリスマ性も非常に高く、なにかしらの能力を持たれた人物であったのではないでしょうか? しかし、彼の最大のウイークポイントは『世の中を恨んでいたこと』なのではないか? と、彼の人生の生い立ちを調べた結果から、私は推測します。きっと世の中に仕返ししたかったのでしょう・・ 「怒り」のエネルギーを「愛」に返還できなくて、そのまま変な方向にいっちゃったのではないか? と思いますが・・

やっぱ、愛だろ? 愛。 

 今回、変な誤解を防ぐため、(正直、細かく説明するのがめんどくさいのもあり)教室内でオーム・マントラを唱えることをしばらく控えようとも思いましたが・・
オームという言葉について調べれば調べる程、この音の持つ底知れない深さを知り、『ヨガを皆さんに正しくお伝えする上で、簡単に省略できる物では無いのでは?』とあらためて考え直させられました。でも世間の理解にはもう少し時間が必要なのかな・・ まぁ、あと5年程経過すれば日本のヨガを取り巻く周囲の状況もすっかり変わるでしょうがね。しかし、だからこそ今、私は勇気を持って、真実の姿を皆に伝えて行こうと思います。

私、個人的にオーム・マントラは、日本の食事の作法「いただきます」「ごちそうさま」みたいな感じの感覚で行っています。 礼に始まり、礼に終わる。みたいな感じでね☆

そして、今日も世界中で行われているヨガの練習風景は・・
オームに始まり、オームに終わっていくのです。
Hari-OM


1/sep/2005
ヴァイクンタ・ヨガセンター沖縄
坂東イッキ

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