お知らせ
突然のお知らせで、誠に恐縮です。
この度、私、舩木壱輝は、体調不良等、様々なこともあり、俳優業を休業する事になりました。
私がこれまで唯一続けてこれた俳優ですが、残念ながらここで区切りになることになりました。
これまで支えて下さった方々、関わった方々、本当に有難うございました。
様々な事がありました。全てが経験になり感謝申し上げます。
今、体の養生することになりましたが、先ずはご挨拶をさせていただきます。
俳優としての心残りは、私がプロとして初めて舞台に立ったのが、夜想会公演「同期の桜」でした。
戦争末期の最後の学徒出陣特攻第14期の話で、当時 実際の14期の最後の特攻の経験者の、
「鴫原甲板士官」に軍規指導をして頂きました。鴫原甲板士官には、毎年の14期の方々の集まりに呼んでいただいたり、
本当に色々なことを教えて頂きました。
演出家の野伏先生にも、当時の事や、もちろん役者の技術、経験沢山教えて頂きました。当時、皆で
靖国神社へご挨拶、研究したり致しました。その時の事は、今でも心に刻まれております。
これが私のプロとしての初舞台で、それから様々な舞台、映画、等出演させていただきました。
そして、最後の仕事が香港映画で、恐怖サスペンス映画で、悪役軍人の役でした。
香港、マレーシアのスタッフ、キャスト皆素晴らしく、感謝申し上げます。</ div>
しかし、やはり戦争映画ではないにしろ、スリルサスペンス映画の中の軍人悪役ということで、お受けしましたが、
初めて演じてみて、やはり日本人としても、個人的にも良い感覚は、致しません。
初舞台の時の鴫原甲板士官はじめ、先祖様、地域のおじさん、おばさん、皆大変な思いでここまで平和な日本を支えてくれて今があるのだと、改めて感じました。
これから、日本人役者もどんどんアジア映画に出演して行くと思いますが、やはり、軍人役はしっかりと考えて頂きたいです。
本当に平和を願っております。
と言うのも、今回の経緯としては、去年から、たまたまアジア映画に出演する機会があり、私自身特定のエージェント、事務所との契 約は、今はまだ、しておらず、以前お世話になった監督から突然頂いた話で、私は、たまたまタイでヒーローイベントの手伝いをしていたり、この作品のひとつ前の映画の仕事をしたり、両方やっている最中で、忙しさもあり、ほぼ概要を把握できず、
ただ去年からアジア映画にチャレンジしていた私にとって、チャンス、チャレンジと思い、また、以前日本で撮影した日中合作の映画の時にお世話になった監督からの話ですから、しっかりと映画の一部として役を務めれば、また今後アジアで仕事につながるかと思いお受け、お願いすることに致しました。
今回は、最初紙1枚のプロットだけを頂きまして、戦争映画ではなく、スリルサスペンス映画の冷徹軍人とだけ聞いており、
忙しく、タイでのイベントの手伝いをしている中、そのまま直接撮影地のマレーシアに到着し、すぐに撮影になりました。その数日前に、自分の部分だけの脚本を頂きました。もう引き受けた以上、日本人役者として、しっかりと努めなくては、
と言う思いだけで、必死にセリフを覚え、違う環境に対応しながら、言葉も苦戦しながら無我夢中で望みました。
その時、お世話になった監督、スタッフの方々には、初めての経験もさせていただき、感謝申し上げます。
でも、やはり私としては、悪役軍人は、気持ち的にも私には合いませんでした。
私の俳優としての心残りは、初舞台の同期の桜から、皮肉にも真逆の役終わりになることです。
せめて、軍人 ではない役を演じてみたかった。
ですが、今はもうそんな事を言っても始まりません。
せめて今後は、関わる人、震災もそうですが、皆一生懸命に生きております、私自身体調を見ながらですが、
そう言った方々と同じ目線を持ちやっていければと思います。
そして、今後どんどんアジアに進出して行くと役者達に、悪役は映画としては絶対必要で、悪があるから主軸、主役を光らせる、
切っては切れぬものですが、悪役日本軍人だけは、考えた方が良いと、アドバイス出来ればと思います。
何が悪いとかそう言う事ではなく、やはり、我々は日本で育ちました、やはり、先代達が頑張ってくれたから今があります。
私もそうですが、映画の中で自分 が演じれば、少しは日本人の素晴らしさ、理念だったりを表現出来ると思いましたが、
向こうでは、脚本も次の日変わる時もあるし、役者は現場では、役者として舐められたくないと、その場で頑張ってしまいます。
結局編集も意見すら出来ません。
私が、アジアでもっと影響力を持てる俳優になれば少しは違うと思いますが、それまでの途中でした。
やはり、どんな状況でも、チャンスだと思っても、しっかり自分の役者としての方向性、脚本も最後までもらい確認し望むべきだと思います。
経験してみないと現状はわかりません、ですが、経験した以上今後その状況を伝えることができます。
今後、どんどん国境なく映画、エンターテイメントに日本人役者達が、出演して行くと思います、私の周りにも沢山アジア映画進出をしようとしている役者もいます が、そう言った経験、思いを伝えていければと思います。
これまで、私の携わった国の方々、本当に素晴らしい方々も多く、どんどん文化交流、映画、エンターテイメントも、どんどん進めて行って良いと思いますが、全ての今後の状況が良く発展していけば良いですが、やはり、順序、筋道があり、ゆっくりと良くなっていくものだと思います。
アジアで出会った方々、皆素晴らしい実力、理念を兼ねそろえている方々が沢山おりました。
でも、やはり日本人として胸を張れる仕事が良いと思います。
私は、日本の歴史、受け継いできた文化、地域のおじいちゃん、おばあさん、大好きです。
もちろん、アジアにもそれぞれ の地域で必死に生きている心ある方々も沢山出会ってきました。
本当に平和、良い方に行くのを願ってます。
私自身、唯一続けてこれた役者業ですが、これで区切りになる事は、とても辛く、悲しいです。
唯一のとりえでした。
今後、やるはずの大きい仕事も、全てキャンセルする事になり、本当に残念です。
今私は、自身体調もすぐれず、場を離れ、養生することになります。産みの母も病気になり、近隣かわかりませんが、様々な問題があり、今私は、考える時なのだと思います。
役者としてのきずきもありました。
やはり、このままチャンスだと思い、アジアで悪役をやるという事は、私の性に合いません。
今後 は、体の養生しながら、目の前の事をやれればと思います。
本当にこれまで関わった方々、ありがとうございました。
最後に私の去年からのアジア進出の経緯ですが、
全部で3作品
最初は、中国のTVドラマで、日本人キャスト3番手位の役を、たまたまアジアで活動している役者の後輩が、
私のプロフィールを作ってくれて、監督に繋げてくれました。その節は何から何までやってもらい有難う。
結局、TV電話でオーディションをし、とんとん拍子でキャスティングが決まりました。
中国では、珍しく日本人を良く描く作品という事で、どんなものかと、初めてのTV出演という事と、日本人役者として恥じないようにと、
時間のない 中、必死に資料を調べ靖国神社に行ったりしました。しかし、日本語訳された台本も、頑張ってくれているものの、
中々理解に苦しむ所も沢山あり、撮影中も通訳は居るものの、すごく頑張ってくれて感謝しておりますが、日本の微妙なニュアンスは、伝わりずらいです。
そんな中、4か月近く現地で撮影し、撮影のある時は、連続で、無いときは、ホテル待機、そんな日々でした。
撮影中のスタッフもそうですが、地元の地域の人たちとの交流、初めての体験、おもてなし、感謝申し上げます。
この作品は、上映になるかはわかりませんが、私なりに日本人として悪役を演じようとは、思いませんでした。
当初、向こうサイドも歩み寄ってくれましたが、 中盤から変わっていき、最終的には私の事は、あまり気に入らなくなってしましました。結局2度と、私は使わないという事を、人ずてて聞きました。最後は、ギャラのトラブルもあり、初めての役者としての、凄い経験もさせていただきましたが、本当に大変な思いも致しました。
2本目は映画で、1本目の撮影終盤辺りに、6年前に初めてお世話になった、私の少年時代からの憧れ、ブルースリーの「ドラゴン怒りの鉄拳」のリメイクを凄い監督がとるという事で、参加したことがあり、その当時のプロデューサーに久しぶりに連絡したところ、
また香港の素晴らしい監督が作る日中合作映画をやるという事で、私も何か役があればと、お願いいたしました。
しかし、やはり最初は、日本からの役者、スタッフも、有名な方々や続ながりで、役は決まってしまい、今回は残念ながら、役は無いという事になりました。
しかし、1か月位が過ぎ、自身ヒーローイベントの手伝いをしている時に連絡を頂き、数週間後にスケジュールが合わせられれば、
1つ役を頂けるという連絡をもらい、私は、戦争ものではなく、時代物の海賊の話という事で、お受けいたしました。
この撮影では、沢山の経験を、素晴らしい日本人キャスト、スタッフ、向こうの方々と共に乗り越え、要約クランクアップ致しました。
思い返せば、6年前もそうですが、この作品にキャスティングしてくれたプロデューサー本当に感謝申し上げます。</div>
そして、6年前にそのプロデューサーに繋げてくれた映画監督、それから、僕の初主演の監督、繋げてくれてありがとうございました。
私なりのやり方としてか、性分か、いつか私がアジアでもっと大きな役者になったら、必ずまた何らかの形で一緒にできればと、
必死に頑張ってきましたが、志半ばで断念することになり、本当に残念です。思い返せば、懐かしい思い出、皆一生懸命作品に取り組んでた姿勢は、
自身経験すればするほど感じるものです。本当に色んな方にお世話になりました。
話は戻り、私の最後の出演作である3本目の作品は、2本目の撮影終盤ごろに連絡を頂き、自身以前からの約束で、タイでのヒーローの イベントの手伝いが控えていたので、改めてタイに行き手伝いをし、本当にバタバタの中、タイから直接、最後の作品の撮影地マレーシアに入りました。
本当にハードでしたが沢山の素晴らしい経験をさせていただました。
そして、この映画の経緯は先程書かせていただきました。
やはり、役者としての自分の方向性をしっかりと定め、どんな状況でも、最後まで全部の脚本、その上での設定を確認し、仕事を決め、
現場に入り、脚本が変わったら納得いくまで話し合うべきだと思います。
これが私の去年からのアジアの経緯です。そして、役者としての最後の仕事でした。
アジア以前も日本で、沢山の作品、人に出会えたこと、様々な経験、本当に有難うございまし た。
役者として最後の挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。
舩木壱輝














