なんとなく

この言葉が嫌いだった。



今を生きる



目の前のことに精一杯な感じ

今起きていることを一つ一つこなしている感じ


その一点一点を生きていると、なんだか全体がみえない気がする。

その瞬間瞬間では頑張っていても

あとから見てみると点と点がバラバラで

つながっていなくて

結局自分は何をしてきたんだろうって思う気がして






でもね。

私は

全体をみようみようとしすぎて

多くの点を無駄にしてきたんだ



将来のために、今は苦しむとき。

今は辛いけど、きっといつか役にたつから。




いつかの将来のために、今しか感じられないかもしれない楽しさや喜びを犠牲にしてきたかもしれない。




私はね。

仏教でもなければ、キリスト教でもなくて、ラマ教でもない。

死後の世界は、ないと思ってる。


それはね、

この前意識を失って倒れたときに思った。笑

意識が戻って、気がついたとき。

その時に、自分が倒れたんだって初めて思う。

生きているから、感じられること。

だから、死んでしまったら、自分が死んでしまったとも、生きているとも思うことなく。

全くの「無」になる。



次生まれ変わったら・・・

確かに生まれ変わるかもね。

でもね、次生まれ変わったときは、もう私じゃない。

全く違う人になるんだ。

今の私のことのことなんて、全く知らないゼロからのスタートなわけ。




ほんとにほんとに、今の私は長くてもあと100年くらいしか私じゃない。

そして、23歳の今この瞬間の私はほんとに今だけ。

もう決して5分前だろうと、1分前だろうと

そのときの、自分には絶対戻れない。


だからね、たった1度しかない、この瞬間を大切にしたいと思ったんだ。

将来どうなりたいか、目標や夢をもっていきることは大切なこと。

でもね、それだけを見すぎて、今この瞬間を見失ってはいけないんだ。



卒論に追われている学生が、ディズニーランドに遊びにいってしまうことも。

出世を目指すサラリーマンが仕事中にmixiしてしまうことも。

夢に、仕事に、目標に関係ないことも、今を楽しむためには大切なこと。

なのかもね。




”イマヲイキル”

夢や目標のために、人は今を生きてる。

でもね、夢や目標のためだけじゃない

なんんでもないその瞬間も大切にしたい。

だって、夢を実現することだけが人生じゃなく。

1秒1分を生きていることが人生だから。










例えば


エスカレータから降りるとき、右足から降りようか、左足から降りようか。

このひとつの選択が

運命の分かれ目かもしれない



なんてことを考えていた子どもだった。


些細な行動でもいちいち気にする。

今ここで左足を出したら、明日大怪我をするかもしれない・・・




だからとにかく昔から、いろいろ考えすぎて行動できずにいる、

いわゆる消極的な子だったのかもしれない。





いつからだろう、こんな些細なことが人生を左右するわけないじゃん。

人生は自分の行動次第で変えていけるんだから。


って思い始めてから、エスカレーターをどっちの足から降りるかなんて考えることもなくなった。






確かにね、今は

人の運命は決まっているなんて思っていない。

人は白紙の状態で生まれて、白紙の上に、自分の足で人生を描いていくんだと思ってる。



だから、たとえ左足から歩きだしたことが、間違っていても、後で修正していけばいい。







でも、

今現在

3月5日PM11:30に存在する自分は、もしあの時左足じゃなく、右足から踏み出していたら

存在していないかもしれない。

これまで経てきた人生の一つでも欠けていたら今のこの自分じゃないかもしれない。



小学の時、いやいや学級委員をやったことも。

中学の時、紫外線にも恐れをなさず、テニスに明け暮れた日々も。

高校の時、遠距離恋愛したことも

大学の時、酔いつぶれて先輩に家まで運ばせたことも


その時々で、いろいろ考え、学んで、何かを得て。


そして、今の私がいる。


だから、今までの人生無駄なことはひとつもなかったと思ってる。

一つでも何かが

何かひとつが欠けていたら

今こんなことを考えていなかったかもしれないから



今の自分が好きでも嫌いでも

この自分を創ってきたのは自分。

だから、反省はしても後悔はしない。




”ワカレミチ”

瞬間瞬間に人生の分かれ道がある。

それを選ぶのは自分。

選んだ道を進むのは自分。

そして今の自分がここにいる。


何か一つでも欠けていたら、ここに今の自分はいないから

だから

歩んできた人生に無駄なことなんてなかったんだと思える。
























点と点が一本の線になっととき。

人は不思議な爽快感を得る。

ような気がする。



ミステリー小説みたいな。

探偵ドラマみたいな。

火曜サスペンスみたいな。


あぁ、そういうことだったのねって言葉を言うと、なんだか不思議な爽快感を得る。




記憶の片隅にあったものと、結びついたとき。


たとえば・・・


最近メールの数が減った彼氏。

バイトを入れる日が増えたみたい。

「ごめん、今日友達が泊まりに来るんだ」っていう言葉が増えて。




そして、ある日

携帯の待ち受けが、見知らぬ女の子の写メになっていたの発見したとき。

すべてがつながった。


あぁ、そういうことだったのね。




実際こんな状況になったとき、悲しみより、むなしさより、冷静に納得。

そして、なにかが吹っ切れた自分がいた。

なぞは全て解けた的な。笑



ぐちゃぐちゃして

いろんなことが

悩んでいたことが

頭をめぐっていたことが

ひとつにつながったとき。


まぁ、彼氏の浮気発覚でさすがに爽快感とまでは言わないけど・・・

でも、なにかが吹っ切れる感覚。



きっと前に進めよ!という合図なのかもしれない。





”ツナガルトキ”


バラバラと

もやもやとしていた

点と点が、一本の線につながったとき。

その時に、感じるなんともいえない爽快な感覚。


それは、きっと

「前に進めるさ!」

という合図なんだ。



だから

その時は、自分がもう一段階上のステージに進むとき。








天は二物を与えず。



「二物」という言葉を辞書で引いてみた。

二物っって「2つ」って意味じゃないと思ったから。


誰もが思ったことがあると思う。


「あの人は二物も三物ももっているよね・・・」って。

頭もよければ、かわいくて、しかも運動神経もいいらしいよっ!!って。

これは「天は二物を・・・」論にそむいているよね。


天はうそつきだね。





でも

二物って実は「万物」って意味だと自分では思ってる。

辞書には載ってなかったけど(;_;)



そう考えると言葉はあってる。

完璧を備えてる人って絶対いないと思ってるから。

誰だって、誰かに負けるものを持っているから。。



自分は完璧で、誰よりも上だって思っている人は、その見下した態度が誰かに劣っている。




どんなに自分が偉くなって、何かで頂点に立ったとしても。

すべての上にいるように思っっちゃいけない。





何を勘違いしたのか、ふんぞり返ってえらそうに話している人を見てふと思う。




自分に自信を持つことと、それをひけらかすことは違うんだよ。

自分に自信を持って、でも謙虚に生きる人でいたいね。






”天は万物を与えず”


人は必ず自分が足りないと思う何かをもっているはずだから。


だから、それを探すために、埋めるために、それ以上の何かを得るために頑張って生きようと思う。






give and take



与えられたら与えろ

もらったらかえせ

プレゼントもらったらお返ししろ

やられたらやりかえせ(笑)



そんな言葉くらいにしか思っていなかった。

それほど気に留める言葉でもない。




でも、この言葉を勘違いしてたことに気づいた。


「与えられたら与えろ」


じゃなく


「与えたら与えられる」


なんだって。




いつも何かを待っている。

人に何かされなければ動けない自分。

周りにはいつも何かを与えてくれる人がいて、それをもらって、返して、またもらって・・・

そうやって生きてきた。

日々のささいなメールだってそう。



自分からメールしたりすることはほとんどない。

誘われたり、メールを送られるのをいつも待っていた。

それが、みんなから愛されている証だとも思っていた。

変なプライドが、変な勘違いが、いつも私を待つ側にしていた。



何かを与えられなくなったとき、私はとまった。



自分が動かなければ、与えられるものはないんだ。




そして、そんな風にしてみて気づいた。

私が与えたものに、答えてくれるってことに。



なにもしてもらえなかったらどーしよう。。

一方通行なんて・・・。

そんな自分の怖がりを打ち破ったとき。

意外と、

自分が思っていたよりもあっさりと

みんなは答えてくれる。




与えなきゃ与えられない。

愛情も。

友情も。

信頼も。

そしてモノも(笑)





”Give and take”

自分から何かをするのは、結構なエネルギーがいるかもしれない。

でも、精一杯のエネルギーを人に与えたとき

人は答えてくれる。

そして、またいつか精一杯のエネルギーを返してくれる。

その繰り返し。

それが、人と人が生きていくってことなのかもしれない。