僕はきもちがわるい人間なので、誰にも認められないなら認めてもらおうと、知ってもらおうとせずに、自己顕示欲の高い人間や自己開示を簡単にしてしまう人を見下して生きてきました。そのくせこんなブログを書いている時点で矛盾が生じてしまっていますよね笑。なんだか今年で死んでしまうような気がしていて、持たざる者lv MAXみたいな男なので、何も生きていた足跡がないことに不安が芽生え、論理国語21点の文章力で、遺書の代わりにブログを書くことにしました。
僕ははっきり言って、どんな生物も生きている意味などないと思います。産まれてきた意味も、生きている意味も、産む意味も、全て本能でしかなく、人間はそれを自分の意思だと思いたくて、恋愛などそれっぽい言葉に変換しているだけです。所詮人類なんて動物に毛が生えた程度なのでね「笑」
僕は昔から自分の持つ本能に違和感がありました。脳と身体が一致していないような感覚です。体はお腹が空いたり興奮したり、死のうとした時に震えたり、潜在意識が思考とズレすぎているというか、したくないこと全てを本能にさせられ、生かされているみたいな感じです。
小さい頃に、人間はなぜいつか死んでしまうという事を分かっていながら、自分達の一日に他の生き物の生涯を消費するのだろうか、自分の一日にほかの生き物の生涯と見合うだけの価値があるのだろうか。と食事中に考えて、勝ち残っても殺されるデスゲームで、全ての生き物が恐怖、いつか死んでしまうという恐怖心を紛らわす為に、今日生きてもいつか死ぬと解っていながら、一日の先延ばしに他の生き物の死を利用しているように感じ、自分もソレに参加させられている事が急に怖くなり、箸が止まりました。でも何かを食べなきゃ死んでしまうという信号を受信し、そのまま完食してしまいました。
生存本能というのは、何しても死ぬデスゲームから途中離脱を出来なくする為に存在しているんだと思います。その上、生殖本能により参加者はこれからも増えてきます。
子供が産まれたら誰しも幸せな顔をするでしょう。それが皆めでたい出来事、いい事であると思うからです。僕が産まれたくなかったなどと言ったら、倫理的に批判を受けてしまうと思います。でも、僕は生きていたくもない一方で、死んでしまうのも怖く、どっちも嫌なんです。しかし産まれてきた以上、その両方を経験します。それでも生まれてきてよかったと親には言えるようになりたかったです。そんな人間に憧れていました。
よく人生は神ゲーだなどと言う比喩表現を聞きますが、リセット不可でゴールやクリアなどなく、いくら経験値を積んでもゲームオーバーが確約されていて、最後にゃ全ロス。流石にこんなゲームを馬鹿真面目にプレイする気にはなれずに、途中でログアウトしてしまいたくなりました。
では、天国という空間があったら一緒にモンハンでもしましょう。さようなら。