同じ様なタイトルの、テーマのブログを書いている新入社員が、国内外でどれだけいるのでしょう。
もちろん、学生時代なんかなかった人も多いでしょうし、
INSEIが、DAIGAKUSEIに分類されるかどうかも、よく解りません。


明日から「働く」、という最後の今日、


午前中、愛チャリを漕いで警察署や銀行に行き、
午後はちょっとずつ本を読んで、警察映画2本立てを観て、
日が暮れました。


転居した街に少しずつ馴染んできたかな、と思っております。
これから少しビールを飲んで、ぼーっとできる時間を味わいます。

当面は、携帯電話に繋がれず、時間にも追われない最後の休日になりましょう。


でも、
意地でも、合間、合間に、
本読む時間と映画観る時間は作るように致しましょう。

それが支えになりますので。


きっとすごいスピードで流れていく、
とにかく流れていくことと思いますが、

きちんと書き留め、思い留めておかないと、

雑に繰り返してしまう。


*  *  *  *  *  *  *  *


今月、
パリに卒業旅行も行ったけど、
3・11の前にあっては印象が薄い。

ほとんど定宿の近くで珈琲飲みながらでぼーっとしたりパリで働いてる大事な友だちと会ったりして、
ぼーっとできる時間の贅沢を味わっておりました。
展示はあんまり見に行かなかったけど、ポンビドゥーのOthoniel、すごく気に入った。


で、
帰国したら最後にたらたらと18切符旅でも

思っていたところ、
突然投げ込まれ、
本社でずっとお手伝い。


合間を縫って、
東海地方に一泊、ゼミの先生のヒアリングに同行する機会があった。
先生は生粋のフィールドワーカーでこの道30年ほど、常に3、4ヶ所の国内外での調査を抱えていらっしゃる。
先生の流れるようなインタビューの前に、ほとんどインタビューに貢献できず終わり。
悔しいと共に、沢山勉強させていただいた。


にしても、まさか自分の卒論・修論のテーマの事が
現実に起こるとは。
しかも予想を超えて。


今、まさに今起こっていることが、
後になって、調査され、切り取られ、分析され、研究されていく様は、
とてもはっきりと思い浮かぶ。
しかし、この今に、
何をするべきか、
何を言うべきか、
本当にわからないけど、
自粛、とか、英雄、とか、
そういう熟語についてはずっと考え続けて参りたい。

アエラに書いていた野田さんの最終回の言を、重く受け止めつつ。

3年にわたって東遊園地に行きました。
3年前は半年ぐらい神戸に通いました。

つまり、たったそれだけです。


とにかく「データ」をとろうとがつがつして、
驚いて何が何でも盗み聞きしてた一昨年、
それを目指してた昨年、
今年からあちら側になるんだ、と観察し続けた今年。
二度と同じ目線というか身体で感じることはできないだろう。

批判して瞬殺するのは本当に簡単。
斜に構えるのも、誠実な振りするのも、本当に簡単。
現場でどうするか、その場にいない人とかこの世にまだ/もういない人たちに対してどうするか、という話。
宛名は?


まずカメラを置いてできるだけじっくり話してから控えめに「よろしいですか?」って聞いて撮る人もいれば、そういう人の横からなんも言わずにパシャパシャ撮って去っていく人もいる。
5:46黙祷の瞬間のシャッター音がいかに雑音か、それだけは忘れないようにしたい。

上海で調査したとき大先輩に言われた言葉
「調査って、奪うことじゃないからね。」
がフラッシュバック。


一方で、

非常時になると、「いい話」「泣ける話」が切り取られて、
それに対して批判的にはなりにくくなるっ、てことも。

Journalismていう雑誌に神戸新聞の方も「震災んときは普段じゃボツにする原稿もどんどん載ってた」みたいに書かれてたけど、
やっぱり感覚研ぎ澄ませて覚悟持って、「悲しい」とか「泣ける」の先にいかなきゃいけないとも、思う。


*   *   *   *   *   *   *   *   *

初めてフロインドリーブに行った。

お菓子のおいしさはもちろん、エアポケットみたいな時空間。
新神戸近いし、出発前までの時間堪能。

ローストビーフのサンドイッチナイフとフォークで食べながら、背筋すっと伸ばして赤ワイン一本飲んでいらっしゃる、地味だけど小粋なおばあちゃんがいた。かっこよすぎるやろー
現役時代のバリバリが目に浮かんだ。あんなおばあさまになりたいものです。


洋食も魚も地酒も珈琲もお菓子も中華もエスニックもおいしいなんて、神戸やばすぎるやろー
と、改めて。
尊敬する友人も多くいるし、過去にはいろんなご縁にも恵まれました。
この街で働く機会があれば素敵。

修論を無事書き終えて提出しました。


すごい挫折感。


卒論のがよくできてたんじゃないの
と自分内では囁かれています
が、
まぁ卒論が、なんだかよくわかんないままこねくりまわしてたら割と気に入ったものができた
のに対して
修論はもともとむりでしょっていうレベル目指して負け戦挑んだんだからしゃーねぇな。


そつろんで不完全燃焼感があったから修士入ったのに、しゅーろんでさらに不完全燃焼感。


あとは残りの単位と公開処刑じゃなくて口頭試問で、修了。


あと2ヶ月ちょい、
免許、ジム通い、あと知らないこと多すぎるのでベストセラーとか読まなきゃ。
英語、中国語も。


時間盗られるのがこわくてツイッターできない。でもこれからはやんなきゃなぁ。

うーんでも、じっくり旅したり映画観たり本読んだりする時間あと2ヶ月ちょいだからな。

まぁブログも同じようなもんだけど。

インタラクティブというか、すぐにお互い解る言葉を投げ合って何になるんだろう。

すぐにはわからないことを、未来に向けて投げ合うのがほんとのコミュニケーションだろう。


只今現在のコミュニケーションというものがあるとしたらきっとそれは、言葉じゃない。




*  *  *  *  *  *  *  *


修論のラストスパートをかけている正月、
身内に悪い報せの電話。


同じ家に住んでる家族は、その実家と行き来しながら、
全員で、または、誰かがいない場で、
お互いの声色・沈黙を読み、言ってはいけないことを見定め、守りながら、
何度も何度も経過を話し合った。
そしてそれをまた盗み聞きしたりした。


最終的には、1人か2人が判断すること。後悔もみんな含めて。
身内の間でさえ、頭でも感覚でも全くわからないことはある。
修論に書いているテーマと近いということが、何かのタイミングだったのかとも、思う。


またひとつ、人生勉強と人間観察をさせていただいた、
と言ったら、つめたすぎるだろうか。