本日の大河ドラマ『功名が辻』では、
石田三成邸が加藤清正、福島正則らに襲撃される場面がありました。


朝鮮出兵(俗に言う唐入り)から帰った清正、正則らは

秀吉がすでに亡くなっていることを知ります。

その上、自分たちは大陸で死ぬ思いで戦っていたのに

いわゆる官僚である三成は戦場には出ず事務仕事が中心、

彼らの目には楽をしているように映るのです。

三成vs清正、正則と言う構図はその以前からあり、

近江衆vs尾張衆という出身地の違いと言う説や

文官vs軍族という豊臣政権下での役割の違いであると言う説など

いろいろあります。

また清正らの明国での戦への取り組み方が不真面目であると

三成が秀吉に告げ口したなどの説もあるようです。

きっといろいろな事情が絡んでのことなのだろうと

推測されます。


そんな背景で清正らの三成邸襲撃事件は起きます。


ドラマでは山内一豊が三成を救い出し
逃げ出した三成は家康邸に逃げ込むと言う設定です。
ドラマでの設定どおり
一豊が助けたとは思えませんが、
三成が家康邸に逃げ込んだというのは記録があるようです。



秀吉の死後、秀吉の遺言を守らず
天下取りに向けて暗躍する家康を
三成はこころよく思っておらず
関係も良くなかったのではないかと史実ではされています。


関係も良くなくむしろ反三成方のよりどころである
家康邸に逃げ込んだのかはいろいろな見方があるようです。
ここで三成を殺しても家康には利するところがない、
そう家康が認識していることをさらに三成が読んで
こういった行動に出たのではないかと言う見方が一般的のようです。


老獪な家康と才気走る三成の
すれすれの駆け引きです。



来週はいよいよ関が原へと向かう流れになります。
簡単に豊臣VS徳川という構造になっていない
ねじれた構造の天下分け目の戦がなぜ起こったのかが
明らかになっていくはずです。