無意味のような生き方 -2ページ目

無意味のような生き方

地方大学生が日々の怒りと無念をさえずるブログ。
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投稿ボタンを押し忘れて寝てしまった。
久々に夢を見た。
何故か祖父母の実家にいて、いとこと車に乗り、道路のガードレールを破って砂漠のようなところへ飛び出し、めちゃくちゃに走りまくるという冒険的な夢。
起きたら何もない世の中だった。

半分は日記から抜粋

「死」について考えたこともないし、さして興味もないことがわかった。
「死ぬのが怖い」から問いが始まる哲学者含め人間は数多いけれど、
僕にとってはあまり重要ではない。
ただ「死にたい」だけだ。
といっても本当に死にたいわけじゃない。
自己否定が重なって辛くなっているだけだ。
本当は、何か満足できることをして自分を肯定しなくちゃいけないんだろうが、
それをできるけどやらないので、
死にたい→とりあえず生きてればいいよって所までレベルを下げて、
自分が生きてることを肯定しているだけなんだ。
だからもっと自分を突っぱねる必要がある。



自分のことを良い人だと思っている人ほど容易に他人を嫌う。
それは、他人を世間的な善や、その人が常識だと思い込んでいるものに当てはめて、
そこから外れている人に対して向けられているようだ。
人は嫌えど、自分は悪い人間ではないと思いたいらしい。
どこまでも図々しい奴らだ。



小学中学高校と勉強してきて、驚くほど何にもならなかったことを知る。
小学生の時は、ただ親や先生を喜ばせたくて勉強した。
中学生の時は、自分の学力がこんなもんかってわかって、それを維持するために勉強した。
高校生の時は、周りが勉強してたのと、いい大学に行くために、特に目標はなかったのに勉強した。(11月にオール1先生の本を読んでからはあまりしなかったが。)
そしてまあまあの大学に入り、社会を前にして、
これまでの勉強と学歴が俺の将来にまるで役に立たないことを知る。
「勉強とは何だったのか」


灘や開成の高校生たちはおそらく、君らは将来の日本を背負う人間だ、だから勉強しろと
いう教育を受けてきたんだろう。
俺の通っていたそこそこの進学校では、いい大学に行けとしか言われなかった気がする。
あ、君たちの先輩で早稲田に行って今大手の外資に勤めている人がいる、っていう先生の教え子自慢?話なら聞いたっけ。通りでカスな訳だ。


「博士の異常な鼎談」という番組に中野裕太が出ている回が面白かった。
最後に宮崎さんに見せた笑顔を見て泣きそうになった。
あれは間違いなく演技じゃない。心から喜び感謝し安堵している顔だ。
正直ああいうタイプは、成果主義&冷笑主義がはびこる今の日本じゃ一番受け入れられないだろう。
中高でさぞ苦しかったであろうことが容易に想像がつく。
小説家になるんだと言って授業も受けずに小説を買いている人は、馬鹿にされるかもしれないが、本気では馬鹿にされない。どこか嫉妬されている。
理系の工学系でも一緒だろう。
しかし、詩や抽象画など金儲けができそうでなく理解し難いものであると、馬鹿にされる。
どこかで自分より下を見つけなければ安心しないクズがままに存在しているのが日本という国だ。


中野裕太が何のために勉強するのか母に聞いたら、「主体性を身につけるため」と答えたと言っていた。
確かに自分の意志でこれをやりたいって決めるには、ある程度の頭と、健康な体と、金の制約がないことが必要だ。
たしかに僕は、勉強たおかげで、ほんの少しだが自分で考えることができるようになったかもしれない。
だが、別にそんなものいらなかった。
目の前の快楽に身を委ねて、何も考えず、幸福を感じたまま死ぬのも悪くないだろう。
学がないくせに内向的なのは一番タチが悪い。



人に会わずに問題をうちに抱え込むのも辛いが、人に会って己の矮小さと無力感と、
すべてが決められているかのように無意味さを感じてしまうのも辛い。
今日もいらない子すぎた。
人間には色んなタイプがあって、みんな違ってみんないいはずだけど、
例えば、理論立てて相手を説得するのが苦手であり好きでもない人間は、どう生きていけばいい?わからないものが好きな人間はどうすればいい?元来無口の人間は?そつなくこなすことができない人間は?



こういう考えを、若いから、社会と繋がっていないから、結婚して子どもが産まれればわかるよみたいな事を言われたら、正直返す言葉がない。最もだと思うし、苦しみがそこから産まれていることも否定出来ない。しかし、救うのは断じて経験ではない。経験は常に反省されるべきもので、今の自分とは切り離さくてはならないものだ。経験を自分の意味を見出す材料にして、自分を価値のあるものと定義するのは思い込みである。もともと目の前のこのパソコンも、今日食べたカツカレーの肉となった豚も、僕にも、意味は無い。存在に有益も無益もなく、なぜかいるというだけのことだ。人間一人一人も全く同じだけ価値はなく、理由もない。ただ150年後はみんな死んでいて、世界がなくなれば何の影響もないものたち、というだけのことだ。
権利なんてハナからないのに、パソコンは使われ、豚は殺された。パソコンはわからないが、食べられた豚にとっては、僕はいないほうが良かったということだけは事実であろう。だが所詮死のうが生きようが変わらないのだ。これは豚だからという話ではない。
全てに目を向ければ、自分が生きていいいという免罪符が得られることは決してない。自分の経験や他人を道具にしなければ、自分を肯定なんてとてもできないはずだ。ただふわふわ浮いているだけの存在なのだから、すべてを他人に世界に捧げて死にたい。だが、そこに自分の無力感はあるのだろうか。何一つ影響を与えられなくても、ただ他のためだけに生きてゆけるのかは、甚だ自信がない。

























お久しぶりです。
突然ですが、現在絶賛うつ中です。(あくまで気分だけ)
原因と言われれば原因だらけなので一つ一つ言いませんが、
あまり上手くいってないということです。
久々ですが、このブログで思ってることを適当に書いていこうと思います。
なぜそんなことするのかって?
やはり認めてもらいたいんでしょうか。
人の悩み事って面白いでしょ?
あと紙に書くのも疲れるので。字が汚くて読み返せないし。
とりあえず書きます。
喜怒哀楽で言うところの「哀」、或いは人によっては「楽」の感情しか与えることが
できないと思われるので、「喜」を見たい人は戻ることをおすすめします。



今も20時間くらい起きてて眠いが、先週の木曜日は徹夜してもっと眠かった。
木曜日(11月)迄にやらなければならない事が4つ(内私用1つ)重なって、
しかも日曜~火曜にまったく!何もしていなかったので、
水曜木曜は死狂いで頑張った。(といっても5時間くらいネットしたと思うが)
しかし、まず私用の一つは間に合わなかった。強制じゃないので問題はなかった。
一つは卒論の提出だったので、先生に「今日は用事があって学校に行けません」と
素直に嘘をついたら、「了解です。また来週しましょう。」と返事が来た。
一つは学校のゼミの発表で、後輩に見栄を張って+見開きを1pと勘違いしてたことによって
他の人の2.5倍くらいやらなければならなかった。(当日気づいた)
一生懸命やったが、哲学のレポートに睡眠不足は相性が悪すぎて、思ったように進まなかった。
本当は当日の朝9時には終わる予定だったが全く終わらず、昼12時までかかった。
学校の図書館でやっていたのだが、そこから印刷機の使い方がわからず、事務の人に何回も聞きに行くうちに発表の時間になった。

外は雨が降っていた。傘がなかったので、教室までびしょ濡れになりながら自転車を漕いだ。
途中、学生に思い切りぶつかりそうになった。
エレベーターが来そうになかったので、階段で教室がある6階まで上がった。
教室に入って、「部屋暑くない?」と後輩の女子に話しかけたが、無視された。
かなりの沈黙の後に、別な後輩が「そうですね」と答えた。
発表は、寝ていないため声がかすれてほとんど出ていなかった。
教授に何度も質問されたが、ギリギリまでまとめていて考察をしてなかったので、通り一遍の答えしかできなかった。それすらできなくて固まったこともあった。
僕の担当がたまたま性欲についての話だったので、「女性がそれに対する快感を感じない場合、性的性質の使用は義務に反する」という様な内容のことを、8人中男俺一人の中、声高々に読み上げた。皆ノーリアクションだった。
教授が急に、「君は好きな人はいるのか?」と聞いてきて、何故か赤面した。(俺が)
教授が僕の名前をずっと間違えていた。5回目で訂正した。(俺が)
発表が終わると皆すたこら帰っていったが、僕は発表してて色々質問があったので、教授に質問してから帰った。教授は丁寧に教えてくれたが、半分も理解できなかった。
最後の用事は、無事終わった。

この手応えのなさはなんだろう。
叱られて然るべき所もあるのに・・・。
どれが欠けていてもかまわない。
どれをしなくても何も変わらない。
最早何もしなくても良かったんじゃないかって思えてくる。
結局僕にとっても人にとっても何もなかったのと同じなのだ。
僕が他人を支えてあげる事はできない。他人が僕を救えぬように。
そこまでいかなくても、何ら影響を与える事はできないんだ。

余談
しかし、日月火に何も出来なかったのは、
その前の木金土にそこそこ頑張ったことで、そんなの俺らしくないよっていうホメオスタシスが働いたのかな、
と考えると猛烈に悔しい。俺はっ!


まだ書くつもりですがきりがいいのでpart1として続きは明日載せます。





月曜日、一日生きて何もなかった事に耐えられなくなって、映画を見に行った。

人生3度目の一人映画で、親が観たいと言っていた「のぼうの城」を観た。


(評価)
ストーリー 5
役者    5
キャラ   3

事前にうっかり見たブログかなんかで、石田光成のキャラが意味不明と書いてあったが、
悪いところはそれだけという感じだった。

のっけから観てる方をひきつける演出で始まり、終始テンポよく話が進んで全く飽きがこなかったし、時代物特有の異常に長い会話の間もなくてかなり観やすかった。
役者も、野村萬斎は知らんけど、山田孝之と榮倉奈々が好きなので嬉しかったし、上地雄輔の演技もかなり良かった。あと芦田愛菜ちゃんを久しぶりに見れてよかった。


「お前ってバカだなあ」
「要領が悪いなあ」
「一人じゃ何にもできないよね」
って言われて
「えへへへー」
って笑っているような
人間でありたい 


映画が終ると、エンディングの途中にもかかわらず家族連れや老夫婦は帰ってしまう。
そのため僕含め一人で観に来ていた男5,6人が最後まで残り、固まって外に出たのだが、
皆侍気分で心なしか凛としているように見えた。
その日の帰りは、道行く何者にも心動かされず、一人で行くのも悪くないなと思った。


※なんか物足りない気がしたので・・・


最近、人に困っちゃうことを言われると、動画の11秒くらいの所の佐々木希の顔をしています。

てへぺろ。

飲み会の時に大学院生♂が、

「女の子って血液型の話好きだよなー。でもあれって男は困るんだよなー興味ないし。」

と言っていたのに驚愕した。


先輩は嬉々としてそれを話し、こちらに同意を求めてきていた。

その時僕は返す話が一つしか思いつかず、しかもそれは言っても間違いなく「お、おう」と言われてしまう内容だったため、何も言えなかった。

その場は違う先輩が同意して少し盛り上がって話が変わり、結局僕はそのことを言えずに帰った。

なので、その場で言いたかったこと①と、家に帰って思いついたこと②③をこの場を借りて書く。





「男は血液型には興味ない」という話題。

ふううううううるいっ古いっ!!
こんなもん下手したら親世代が若い頃のネタ話じゃないか。
何万番煎じだ・・

俺が痛い本ばっかり読んでるから敏感すぎるのかもしれんが、あまりにも自意識に無頓着すぎるというか、そういう人もいるんだというのに驚いた。



しかしそういう所が、可愛げがあってモテるのかもしれない。
実際その先輩は、年上から大変おモテになるらしい。

所謂体育会系で、女子からするとわかりやすい(扱いやすい)と感じるのかもしれない。

すごく納得がいく。

それに比べて俺は、その辺の女子より遥かに血液型に詳しいときている。
血液型ネタもいくつかあり、女子と弾んだこともある。

が、モテない。

一つわかる事は、血液型や独女向けエッセイ漫画など
OLが好むようなものが好きな系男子は2012年現在全く流行っておらず、今後ブームが来る予定もないという事だ。



凄い発見をした。あればノーベル心理学賞に値するだろう。

「何型に見える?」という質問で、相手が自分のことをどう思っているかがわかるのだ。

いやそもそも、「何型に見える?」=「自分のことどう思う?」なのだ。

普通の人が知っている血液型のイメージは、

A..几帳面、無個性

B..自己中、自己主張強い

O..大雑把、ガサツ、(リーダー)

AB..変人、二重人格

ぐらいのもので、他人の血液型を予想する時はこのパターンに相手を当てはめて考えると予測される。

言われた血液型を上のに当てはめれば、人からどう思われてるかがわかるよ!大発見だ。

(人にA型っぽいと言われたらこれはもう戦争だ、キレていいってことだね。)



最後に、
またカッコつけてと思われるかもしれませんが中也の中で僕が一番好きなフレーズを。


人と話が合ふも合はぬも所詮は血液型の問題ですよ /断片


昔から変わってないようで。








「年数回更新の芸能人ブログより毎日更新の一般人ブログのほうが1千倍読みたい」と
どこかで読んだので、何もないけど更新。


スマホで見てたのがいけないんだろうけど、いつの間にかこのブログがバレていたので
もう日記にしようかと思う。つっても続く気がしないが。


漫画を読みながら寝る癖がついて、毎日うつ伏せで寝るようになった。(正確には寝落ち)
そのせいか久々に仰向けで寝ようとしたら、骨盤と脊椎の境界に尖った骨が出現していて、痛うて仰向けで寝れなかったよ。


徹夜でゲームやるとか、社会的価値の少ない何かについつい熱中して徹夜しちゃうのが、
ダメな大学生あるあるというかステータスのような所があるけれども、
さらにダメな大学生は、何もやらないまま気づいたら20時間以上経ってたという日が
週一くらいである。


デジモン無印EDのサビ前で
「涙を見せている暇はない」「今から涙は見せないように」と
同じ言い方を2度繰り返しているが、単に面倒だったか思いつかなかっただけで
意味はないだろうという考察。
こういうのが、上記の様な日の最大且唯一の創造的活動だったりする。


オタクの先輩曰く、アニメとかのセリフを現実で言ったりするのは、ウケ狙いだけでなく、
誰が何のネタに食いつくかを試しているらしい。その発想はなかった。


そういえば僕自身、
「来ないし!!」ってここ数週間で5回以上言ってる気がする。
耳慣れしている「来ねえし!!」にしない所が、登場人物の育ちのよさを感じさせるようで気に入って使っている。が、食いついた者、なし。


ドラえもんスペシャル面白かった。誕生日回はいつも号泣させられる。一年ぶりに観た(映画を除く)ドラえもんだったけど、相当気合を入れて作ってるのが伝わってきた。。もしかするとスペシャルだから特別ってわけじゃなくて、最近は毎回このレベルなのかもしれない。毎週録画しようかと思ったが、行動には移さなかった。


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