阿波 第5日目 ①番外霊場・峰の薬師~恩山寺 | 四国八十八カ所 お遍路日記

四国八十八カ所 お遍路日記

お遍路日記・感謝と合掌の遍路道

  平成27年10月13日

      (火) 第5日目

 7:20 遍路宿を発ち、 

       峰の薬師に向かう。  

 井戸寺から恩山寺へは、

2つのルートがある。

 ひとつは井戸寺から東に進み、県道30号線で中鮎喰橋を渡り、国道192号線を横断して、番外霊場・峰の薬師法谷寺を経由し、眉山山裾から市街地を抜けて、国道55号線を進み小松島市に入るルート。  

 ひとつは井戸寺から南に進み国道192号線で左折、上鮎喰川橋を渡って右折し、番外霊場・地蔵院を経由して地蔵越遍路道から県道203号線~県道136号線を進み、小松島市に入って国道55号線へ合流するルート。

 距離は殆ど変らないが今回は峰の薬師、地蔵院に参拝して地蔵越を行く。

 喧騒な市街地より郊外が長閑である。

 8:10 通称、峰の薬師と

    呼ばれる法谷寺に着く。

  井戸寺から3.4km。

 番外霊場 救世山法谷寺

      真言宗大覚寺派

     ご本尊 薬師如来

      開基 行基菩

薬師如来真言 

 おん ころころ せんだり

      まとうぎ そわか

御詠歌 

あなたふと 救世のみ山の 薬水 

      流れ淀まぬ のり谷の寺

              石柱と参道

         

   きれいに整備された参道の石段を登ると正面に本堂、右手に歓喜天堂が建ち、左手前に鐘楼がある。

            厄除けの石段

         

   用明天皇2年(587)、聖徳太子が仏教守護のために物部守屋を討伐した際に薬師如来12体を自ら刻み、日吉峰などに安置された。そのうち1体が阿波のこの地に安置され、

救世山法谷寺と号したと伝えられている。 

             本堂 

         

   天平12年に行基菩薩がこの地を訪れ、伽藍を造営し、大乗院の院号を付けたと云われ、後に弘法大師が巡錫して、真言密教の霊地に定められた。

             歓喜天堂

         

  南北朝時代の応安年間には管領細川頼之の帰依を受け、隆盛を誇った。

   天正年間に長曽我部元親の兵火で堂宇は焼失、本尊の薬師如来は自ら大木の二股に飛び込み、避難したと言われることから、二股薬師と呼ばれ現在の堂宇はその後に再建された。

             鐘楼

          

            西国三十三ヶ所

         

   参道の石段前に「仏足石と法輪」が在り、足形に額をつけて礼拝し、前の輪宝を回しますと仏の説法をそのまま聞くこととなり、

願い事が叶います。

             修行大師像

         

             輪宝と仏足 

         

   参拝を終えて眉山山裾の道を西の方角に進み地蔵院に向かう。 

   8:20 地蔵院に着く。

  峰の薬師より2.5km。

   番外霊場 如意山地蔵院

         真言宗大覚寺派

 ご本尊 安産目惹地蔵菩薩

          開基 弘法大師

地蔵菩薩真言 

  おん かかかび 

        さんまえい そわか

御詠歌

もろびとの 願いを叶う 地蔵尊

 緑の山の ふところにして 

             石柱

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   地蔵院の前には地蔵院池と名付けられた大きな池が在り、池の周囲には桜がたくさん植えられ市民の憩い場と云った様子である。

   池の周辺には東屋が在り、野営遍路には最適な場所である。何度か野営したが、散策する地元の人々も好意的に接してくれ、なかには、「地蔵院の水洗トイレは夜間でも使用出来る」と寺の関係者らしき人が親切に言って下さった。

               仁王門

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   仁王門を入り石畳の参道を進むと正面に本堂が建ち、境内右手には大師堂、左手に穴不動古墳、鐘楼、十三仏を祀る祠がある。

  地蔵院池は江戸時代には藩主の船遊び場となって、屋形船の鷁首(げきしゅ)が現在も寺院にある。

   全体にゆったりと落ち着いた雰囲気である。

             金剛力士像

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             金剛力士像

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   寺伝によると嵯峨天皇の弘仁年間に弘法大師が開創した伝えられている。

   大師が四国巡錫の折、「女人の大役はお産なり。

   末世にいたるまで、婦女の難産を救い安らかに子孫を授けん」。

 このため、この地に地蔵菩薩を勧請し奉らん」と発願して、一刀三礼して地蔵菩薩を自ら彫刻されたと伝えられる。

             石畳の参道

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  江戸時代には藩主・蜂須賀公の帰依を受け、享保八年に伽藍が完成した。

  歴代藩主奥方の安産祈願所として栄え、県内外の人々が篤く信仰するところとなり、安産祈願に訪れる人が絶えることがない。

             本堂

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   また、寺の文化財は次のよう物がある。  

 1. 胎蔵界曼荼羅

  大師堂天井に描かれてあり、三百余年の風雪に耐えし、本格的な格天井板絵にして、真言密教々学がもつ独自の宇宙観を構図せるものなり、漢画的な描線の確かさと雄大荘重味があり、この種の曼荼羅の圧巻と喧伝される。

             大師堂

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2.鷁首・

      中国の想像上の水鳥   

       木造 高さ 59c m 

                  巾 90c m

  精霊供養のために門前の池に、屋形船を浮かべ流水潅頂を厳修した際に、船首に魔除として飾られたものにして、藩政時代の盛況の一端が偲ばる。

  流水灌頂は卒塔婆に地蔵菩薩または阿弥陀仏の名号を記し、光明真言を唱えながら水中に流して法界の衆生に供養するもので、現在も毎年旧暦3月24日に行われている。

           鐘楼

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3.穴不動古墳

   (徳島県文化財・史跡)

  横穴式石室をもつ円墳にして、巨石を使用し整備された石室は本邦希有のものとされ、奥には商売繁盛、家内安全として信仰さる不動明王が安置される。

   古墳は眉山の尾根の斜面を削って造られた直径約20 m の円墳で、南西の谷の奥に向って横穴式石室が開いている。

  横穴式石室は全長9.3m

  玄室(棺を納める部屋)

長さ4.3m  幅2.2m

  羨道・玄室に通じる道)

長さ4.2m  幅2.0m

 平天井式で玄室と羨道の

    幅はほぼ等しい。

              穴不動古墳

         

   石室は結晶片岩(青石)で築かれ、奥壁には一枚石を用いている。玄室の両側壁は巨石を1~2段積んだ後、最上部にはやや小さめの石を積んでいる。

  羨道の両側は巨石を2~3段に積んでいる。石室の構築方法は、まず奥壁を据え奥壁側から玄室・羨道の壁面を築いた後、羨道の天井を架け、最後に玄室の天井石を架ける。

   7世紀中頃の飛鳥時代の特徴的な石室構造を持ち、矢野古墳( 国府町 )の次に造られた阿波の国の豪族の墓である。

             十三仏堂

         

   参拝を終え、恩山寺に向かう。地蔵院を出て、県道203号線を右に歩いて、地蔵越遍路橋と書かれた標石がある遍路道に入る。

             地蔵越遍路

         

   この遍路道は沢沿いの昔ながらの遍路道で、小さい水車と獅子脅しが在り、「カッタン、コットン」と小さな音が聞こえ、最高に気持ちのいい山道だった。

         渓流沿いの遍路橋

         

   しかし、峠を登り切った頃から雨が降り出す。今回初めての雨である。

   一つの心得として、雨の日や山を越えるような汗を掻くときは、白衣と輪袈裟は着けないで、お寺へ着いたら着けるようにした。

          小さな水車と猪脅

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            小さな水車

         

   峠を越えると園瀬橋の袂で、県道438号線を横断して園瀬川沿いを進む。

  初めての遍路の時は、堤防沿いの県道を歩いたが狭いうえ歩道もなく、折からの通勤時間帯で車がひっきりなしに通り、恐怖の10分程であった。

              恩山寺へ

          

   しかし、2回目以降は遍路標識に気が付き、堤防下にある生活道路を安心して歩いた。園瀬川を渡り、法花という処で県道136号線に入り、暫く歩いて国道55号線に合流して小松島市に入る。 

         ヘンロ小屋・眉山

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   市街地の中心部を通るルートを行くと、阿波おどり会館の前のロータリに、「ヘンロ小屋十二号・眉山」が建っている。

  屋根は阿波踊り女性の鳥追い笠を モチーフに2棟は同行二人、また阿波踊りの動きも表現し、ベンチ床は眉山に因み、目・眉のイメージです。

  小松島市に入り、勝浦川を渡り県道16号と交差した先に、立派な「露の本遍路休憩所」があるが残念ながら、野宿禁止である。

         露の本遍路休憩所

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             恩山寺へ

         

   小松島警察署の手前で左折して、 「弘法大師お杖の水」に参拝する。

 この井戸は「弘法大師お杖の水」と呼ばれ、大師のご遺徳を讃える信仰深き霊泉です。

          弘法大師お杖の水

         

  昔、大師は旅のお姿にて四国遍歴の途中、旅の憩いに飲水を求められし折、塩気多きを覚えられ里人の難渋を救われんと、お杖をもって真清水の湧出る泉源をお開きなされた。

  また此の地を通称、接待場と称し四国巡礼や多くの旅人がこの霊泉に心を清め憩を求め、今なお信仰崇拝する所以であります。

             三界万霊塔

         

   また、接待場の跡に三界万霊塔も立っている。

 三界万霊塔とは路傍や寺の入口、あるいは墓地によく見かけるが、三界とは仏教の言葉で欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)の三つの世界を云い、過去、現在、未来をいう。

  これらの世界の霊、この世の生きとし生けるもの全ての霊をこの塔に宿らせて、お祀りするために建てられた塔である。

 「お杖の水」を過ぎると恩山寺までは1.5キロ程である。

   国道に戻り芝生川を渡って、すぐに右の県道136号線に入り、20分ばかり静かな住宅街の行くと恩山寺下に着き、右へ入り山裾を行く参道を登ると仁王門が見えてくる。

  12:50  恩山寺に着く。

 地蔵院より12.6km。

    第十八番 母養山恩山寺

          高野山真言宗

        ご本尊 薬師如来

          開基 行基菩薩

御詠歌 

子を産める その父母の 恩山寺 

   訪ひがたき ことはあらじな  

薬師如来真言 

 おん ころころ

せんだり まとうぎ そわか 

        母養橋と毘欄樹

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   母養橋を渡ると荒廃した仁王門と、徳島県天然記念物に指定されている常緑樹の毘欄樹(びらんじゅ)の樹がある。

  毘欄樹は暖地に生する常緑の高木である。樹皮は灰褐色であるが鱗片となって脱落しやすく幹肌は紅黄である。葉は長楕円形で先はとがり、表面は濃い緑色で奇樹老木である。

 毘欄樹の木は乾燥させた樹皮や新葉が、解熱や咳止め等の漢方薬としても用いられる。

  毘欄樹の脇を過ぎると樹木に覆われた急斜面の短い遍路道を登る。

  登りつめると、見上げるほどに大きな修行大師像が出迎えてくれる。この銅像は台座を含めると高さ

4mを越えるという。

              修行大師像

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   石柱のある石段を登ると境内で、左側に大師堂、続いて大師の母君・玉依御前を祀る小堂が建っている。

            石柱

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   境内右手に手水場、鐘楼が並び、本堂は正面の石段を40段程上がった処に建っている。

            境内の風景

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   寺伝によれば聖武天皇の勅願により、行基菩薩が厄除けのために薬師如来像を刻み本像として開基して大日山蜜厳寺と号し、当時は女人禁制の寺であった。

            本堂

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   寺の創建後、100年余を経てから弘法大師がこの寺で修行をしていた時、玉依御前が大師を慕って讃岐の善通寺から訪ねて来た。

            大師堂

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   だが寺は女人禁制、大師は仁王門近くの瀧に打たれて17日間の秘法を修して女人解禁の祈念を成就し、母君を招き入れ日夜孝養を尽くされた。

   やがて母君は剃髪して髪を納められた。

             玉依御前堂

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   大師は寺号を母養山恩山寺と改め、自身の像を刻んで安置された。

  この像が大師堂の本像で危難厄除けに、ご利益があると云われる。母養橋の袂にある毘欄樹の樹は、母君を招き入れた時の記念として植えたと伝えられ

             鐘楼

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   その後、源頼朝が寺領を寄進し、阿波藩主・蜂須賀公の庇護も厚かった。

   明治31年には落雷により寺の殆どが焼失してしまったが、再建されて今日になっている。

           水子地蔵尊

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参拝後、立江寺に向かう。