年の瀬もせまってきた、この頃

やはり、この一年を振り返ることが増えた気がする

 

 

 暗闇の中で目を凝らして見て、見えない中でも

 何かを見ようとした一年・・・  そんな気がする

 

  確かなものなど、どこにもない。。

  そんな時、不安になることよりも、確実に「触れる」何かを

  まず、手にしてみる。。

 

   まるで、わらしべ長者が 最初に手にしたものを

   大切に持ってあるき始めたように。。

 

   そして、その大切なものを、誰かのために

   惜しげもなく、差し出せる心の持ち主であるように

   そうすることで、自然と「豊かさ」を引き寄せることが

   できたのだという事を、思い出してみたりする・・・

チャンスは、いつでもそこにある

 

あらゆるところに「チャンス」は転がっているという人がいる

 

 

 だけど、それを うまく掴めない人と、そうでない人の違いは

 なんだろう?

 

  確かに【運の良さ】というのもあるだろうけど、

  きっとそれだけではないはず。。

 

  そこには、チャンスを掴むための『ヒント』が見つけられて

  いるかどうか?が、隠されているように思う

 

 同じ「チャンス」を見ても、何も気づかない人もいれば

 それを、チャンスにできる人もいる

  その時に【何を見ているか?】が大事

 

  見えているものにだけ、注目するのではなく

  見えていないものにも目を向ける

   当然、見えていないのだから、

  「それを見ても何も気づけない」

 

   気づくためには、目を向けた時に考える事

  その「ヒント」が目に入るために必要な情報が

  インプットされていることが必要

  ふと、見た時に 「気付ける」ために

  【なぜここにあるのだろう?】とか

  【前とは何かが違うけど、それはなんだろう?】などと

  無意識に、見たものと 自分の中にある情報との『差』を

  比べていたり、その本質を探ろうとする【問いかけ】を

  投げかけているのではないだろうか?

 

   無意識に、問いかける言葉が

   『自分自身でヒントを創り出す』

 

   チャンスとは、ヒントを見つけ出し、それを活かすこと

 

   見つけるためには、質問力が重要な鍵となる

一年に「何度か」は

 神様にお願いする日がある

 

 

 日本人は、複数の神様や仏様を信じる事に寛容だ

 

  神社やお寺、そして教会にも。。

  西洋の神様であっても、何かしら願い事をするのを

  ためらわない

 

  そう、それで良いと思う

 

   だって、人は「願う」という行為そのものが

   エネルギーを発し、その願いが純粋であれば、あるほど

   実現の可能性が高まる

 

   お願いして、それが叶うのは、決して神の力だけではない

 

  本人の「願い力」が、十分発揮されれば、神様の力でなくても

  叶えることはできるはず!!

 

   強いて言うなら、「願い力」が、十分発揮できますように

   神の力を借りることだろうか。。