こんにちは。

いつもたくさんのいいね!やアクセスを頂き、誠にありがとうございます。

 

今日はこちらはお天気が崩れてきました。

体調管理、頑張ります~。

 

 

ところでこのアメブロを始まる前に、まわりの人々から「闘病ブログ書かないの?」と何度か聞かれたことがあります。

 

闘病記・・・・ふだんからSNSをやっている人や、すでにブログをやっている方は

すんなり闘病ブログを書き始めたり、やっていなくても大病をきっかけに、ブログスタートする事はあると思います。

 

私はその時からSNSの類はやっていたのですが、闘病ブログは書こうかなあ・・と迷っていました。

悪性リンパ腫発覚時にすでに闘病ブログを書いておられる皆さんの記事を参考にしたり

私なりに闘病ブログに関心はありました。

 

しかし!

悪性リンパ腫の型の確定診断のための「生検手術」で何と、重いリンパ漏になってしまい・・

 

 

 

何度か手術してもなかなか治らず。

腫れて痛くて、患部が熱を持っていたので思わず、夜に冷えピタシートを張り巡らしたことも度々。。

そんな日が続きました。

 

 

入院は2か月近くになり、そのリンパ漏の手術がなんとかうまくいき、ようやく退院。

悪性リンパ腫発覚時からブログを書くにしても、スタート時点から躓いてしまい、

どうなるのかわからない状態でした。書き出すきっかけも掴めない中途半端な状態でした。

 

 

休む間もなく次の月の初めから抗がん剤投与入院。

その時は近親者以外には悪性リンパ腫であることを伏せており、

リンパ腺の大きな炎症とばい菌が入って云々、の説明をしていました。

 

だから「ブログを書くにしても、抗がん剤投与に慣れてきてからだな」と思うようになりました。

 

しかし抗がん剤投与入院の時、「また入院なの!」「まだ治ってないの!」

はたまた「無理しちゃったんじゃないの。心配させないでよ」等の声が上がり、

精神的に、ちょっと・・・引いちゃいました。

 

そしてこれ以上、入院について外野から言われたくないので、やりとりのある友人・知人に

悪性リンパ腫をカミングアウト。これから抗がん剤投与生活に入ることも伝えました。

 

 

ほどなく抗がん剤投与が始まり、1クール目、2クール目・・・・。副作用も色々出てきた。

R-CHOP療法だったけど、Pのプレドニンの副作用が酷いのでプレドニンは途中から外すことに・・。

 

2クール目が終わってのCT検査では・・・腫瘍はあまり変化なし。

これは別段不思議なことではなかったけど、私の場合、ステージ4で全身に広がっていたので

それはもう・・・・あちこちに大きい腫瘍がゴロゴロあるままで、悲惨そのもの・・。

 

前髪はウイッグ。常に帽子着用。全身のむくみもひどかった当時。

 

 

いつになったら腫瘍が小さくなってくれるのか

医師は完治はないと言った。病気の性質上、それは納得している。

この時は、ブログを書こうと思っても、書いたら間もなく容態が急変し・・・・

なんて事に、いつなってもおかしくない状況。

 

ブログを読む方々に、なんか「絶望感」しか感じさせない状態じゃないか!と思いました。

 

さらに血液内科部長と雑談した時、ブログの話が出て、部長先生は

「ブログねえ。参考になる場合もあるけど、必ずしも読んだからどうなるってものじゃないよ」

「年代が古いと、使っている抗がん剤も古かったり、書き手の心情に流されちゃう場合もあるから」

という旨の事を仰った。

 

 

そうかあ。必ずしも、読んだからどうとかじゃないんだな。確かに治療に関しては

薬も変わってきているし。

読んだからどうとかじゃないというのは、ブログを否定的に捉えているのではなく

当時の私の状況が「悲惨」で、あとさきがわからなく、しかも難病の症状も色々出ていたので

部長先生が気を使って、表現した言葉だと思います。闘病ブログが大勢になった今と違って

わずか6年前は、私のようなケースの「がん+難病色々」ブログってほとんど見なかった。

 

そして「自分の今の状態を、表すのすら難しいな」と感じ

ブログを書くなら、「病状が落ち着いてからにしよう。」

と決めたのでした。

 

さらにもう一つ、時間的余裕もなかった背景がありました。

 

当時私はネパリ姉妹ちゃんの面倒を見ていました。

彼女たちのお母さんが視力が極端に落ちたり、いきなりめまいで倒れる難病があったので。

近くに住む私が姉妹ちゃん姉が赤ちゃんの頃から面倒を見ていました。

 

私は病気といえど投薬さえ怠らなければ、自宅ではまあまあ普通にしています。

だから、悪性リンパ腫になっても幼い姉妹ちゃんは知る由もないから「元気でいる必要があった」

退院したらすぐに姉妹ちゃんの面倒見や、一緒にお遊び。

私が入院していた時の寂しさがあるせいか、余計に甘えてくる姉妹ちゃん。

 

しょっちゅう見舞に来てくれた姉妹ちゃん。私がいないととにかく不安で、寂しくて仕方ないのです。

 

 

姉妹ちゃんは、私がいる病院になるべく長くいたかったのでしょう。

デイルームで雑誌の切り抜きなどでも遊んでいました。

主人はなるべく明るい気分にさせようと、雑誌付録の戦隊もののお面をかぶったり・・。

お見舞いも、「楽しいお見舞い」にすることにしていました。

 

 

私が入院しているときは姉妹ちゃんの幼稚園の送り迎えなどは主人や

姉妹ちゃんの親御さんの兄弟が手伝ってくれていました。

私が退院したら、主に私が送り迎えや姉妹ちゃんの世話をしていた。

姉妹ちゃんもそれを望んでいたし、それが一番の生きがいでもあったのです。

 

 

当時の私の「表向き」に書いたSNSでの日記があったので、以下、転載します。

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昨日は名古屋からお姉さんがわざわざ見舞いに来てくれた。
嬉しくておしゃべりしている間に抗がん剤点滴終わり!。
つーか、点滴している事自体も忘れていたくらい談笑していたねえ~!(^^)!。


今回も特に薬の副作用はなしで、医師も看護師も良かったねえと安堵していた。
アタシは闘病記もつけてないし、いつも平常心って感じ。


病気なんて生活の一部であって、頭の中は今後のプランや友人や家族との楽しい思い出、
ずっと一線で仕事を頑張ってきた自分の自負とかプラス要素が一杯つまっている。
病気に勝つとか負けるとか、考えてもいない。


体にいいもの食べて免疫向上のためにいろいろやって、適切な治療受けていれば治るさ!と至ってシンプルです。
ドクターとの話し合いもスムーズになってきたし、
まあ、正月は家で過ごせそうだから、何作って食べるか、
どこに遊びに行くか、プランニングしています~~。


もしご一緒に遊べそうな方、都合の擦り合わせいたしましょう!よろしくお願いいたします!。
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今あらためて読むと、かなり、強がっていますねえ・・(汗)

見舞に来た姉にも、まわりの友人たちにも心配かけたくないから

抗がん剤の副作用はほとんどないよ!

遊ぶことを考える余裕があるよ!

ってPR.。

痛々しい・・・・。

 

でも、姉妹ちゃんと一緒の時は嬉しかったし、楽しかった。

親しい友人たちと女子会やったり、会ったりしているときも話題満載でいつも楽しい!

そういう時は、本当に病人であることを忘れるくらい・・・。

SNSでのやりとりも普通に楽しく、みんな優しかった。

 

 

悪性リンパ腫なんかで、倒れるわけにはいかない!!

みんなを今、悲しませるわけにはいかないんだ!!

 

という思いが日に日に強くなってきたのです。

だからブログは「当面先」にして、姉妹ちゃんや私生活重視を優先したのでした。

 

抗がん剤投与生活にもすっかり慣れてきたし、病状も良くなった。

そろそろブログ書こうかな。。。

と思った、その「当面先」が・・・お恥ずかしくも、

 

 

 

今年の4月下旬になってしまった次第です・・・・。

 

 

 

途中、姉妹ちゃんのお父さんの赴任が海外になったり、私が足を怪我してしまったり

うちの父親二人が入院したり、心にゆとりがほとんどなくなっていた時期もありました。

(言い訳がましいーー)

 

 

そんな感じで私のブログはリアルタイム闘病記というより「振り返り闘病記モード」でスタートしました。

 

 

今は維持療法の抗がん剤投与もスタートし、

足の再手術も近くなってきたので(12月下旬か1月初旬)

リアル色が強くなってくる、?かな!

 

と、かなりズレた私ですが、今後もなにとぞよろしくお願い致します。

 

 

天候が崩れていますので、皆様くれぐれもお体ご自愛下さいませ☆彡☆彡

 

 

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