2020.10.13


寂しさを感じて

姪っ子の言動に癒されようと
スマホの中の『メモ』を遡って見ていたら
驚いて固まってしまった。


2020年の『今』の私の状況を
まるで全部知っていたかのような
2019年の9月『過去』の私からの言葉。


経験がなくても
したかったらいつでもしていいし

「ちゃんとしたい私」がいるのも
それもまたいいね


いいよいいよ基礎なんて

感じたまま、それだけで


だけど

ちゃんとしたって、それもいい


「ちゃんとしたい私」

だからできることもあるのだから



完璧じゃなくてもいいけれど

それを言い訳みたいには使いたくない。


したいからする。

しっかりした土台の上でやりたい。



なぜかというと

そうすれば「私が」安心するから



私が落ち込んでいる時に知りたいのは

「そこから抜け出す方法」ではなく


そのまま感じていてもいいんだよと

自分に優しく思えるような言葉。



そんな言葉を

私にたくさん掛けてあげられたなら

そしたらきっと

それだけで私はまた歩き出せる。



私のこの寂しさを


星の流れやバイオリズム

脳の構造や

反応の1つなんだと


理由づけて切り替えて

先に進む方法はいくらでもある。



でも私は 

この寂しさを味わい尽くしたい


この寂しさは「通過点」ではなく

ある1つの「ゴール」であり「目的」だから



ドン底にいるときは

誰にも会いたくないし

話したくない

(というかできない)


どうにかしてもらいたいわけじゃないから

アドバイスも欲しくない


だけど、放っておかれるのは

やっぱり寂しい。



そんな時


何も言っていなくても

絶妙なタイミングで

ふと連絡をくれる人たちがいる



声を掛けられれば掛けられるほど

意固地になって

余計に固く閉じてしまいたくなる

私の身勝手な扉を

ちょうどいい強さで開けてくれる人



素直でまっすぐな愛情と眼差しを

ただ感じるだけで

私は気づいたら癒されている


小さな赤ちゃんと似ている

その透き通ったエネルギーに』



読んでいて鳥肌。



走り書きのようなメモで

私とハイヤーセルフ(高次元の私、内なる私)が

交互に出てきて混ざっちゃってるから

文章的にはめちゃくちゃなんだけど


でもおもしろいなぁ、と思った。



誰かに


そのまま、とか

ありのまま、という言葉を

私という「存在」の頭につけられると


規模がデカすぎて

途端に私には理解ができなくなる。

理解、ではないか。


私の中に入れたくなくなる。



私でさえも把握しきれていない

私が一生をかけて知っていく

私の「ありのまま」を


なぜ他人のあなたが簡単に

全て理解しているかのように

言っちゃってるんですかぁ???


と反発したくなってしまうから。

煽るな煽るなw



きっとそんな深い意味もなく

あったとしても善意でしかなくて

きっと私の為を思って良かれと思って言っているであろうに、、、


思っちゃう。どうしても。

我ながらめんどくさいなぁ、と思う。



言葉だけがイヤだなーと思うことも

使っている自分が気持ちいいだけやんって思って、その人が苦手になることもある。


言葉とその重みや

込められたエネルギーなどが

一致していない違和感が、私は嫌いです。



チャネリングの時に

「ありのまま」や「そのまま」など

耳障りのいい言葉が出てきたら

かなり注意して

何度もその真意をエンジェルたちに確認してから使っているくらい。



だからメモの


『そのまま感じていてもいい』


と、私の「状態」に対して

OKを出している部分が

まさに私のハイヤーセルフっぽいなぁと感じて

面白かった。



いつもの藍ちゃん、とか

今の藍ちゃん、とか

今まで通りの藍ちゃん、だと

不思議と受け取りやすいのは


自分が認識しているから、かな。



とは言いつつ

自己啓発が盛んになった昨今では(急に固いw)

「ありのまま」が普及して

単にそこに対するハードルが一般的に

ただ下がっただけであって



何で簡単に使うんだよー!大っきらーーい!!

と、どこかや誰かに怒りをぶつけるのではなく


私は

言葉と中身が一致しているのが好きなんだな


私は

言葉の中の違和感を見つけるのが得意なんだな


と思うことで

無事に着地しました笑




『そのまま感じていてもいいんだよと自分に優しく思えるような言葉。


そんな言葉を

私にたくさん掛けてあげられたのなら』


ここが出来てなかったなぁ、私。



「感じてはいけない」

私にとっての地雷ポイントで


例え善意であっても

同じようなニュアンスの


「スルーしたらいいのに」

「気にしすぎ」

「気のせいじゃない?」

「みんな気にしてないよ」などは


秒で心のシャッターが閉まる。



だってそれは


社会で折り合いをつけるために 

私が私に度も繰り返し

言ってきた言葉たちだから


すでに「瞬間で感じてしまっていること」を

「ないことにしてしまうこと」が

私にとって悲しいんだなぁ、、



よし。一旦、保留。

ウンベラータに水やろ。