2020.10.2

友だちとの電話で一通り話したあとに

「じゃあ、私の
『好きな人の好きな所』を聞いてね」
と頼まれてもいないのに
誰得?な発表をしだしたらすぐに

友だちの目から
涙がポロッとこぼれた。


どうした?
何で泣いてるの?と聞くと
「うん。。」って答えてくれたから

とりあえず全部発表し終えると
「楽しそうだね」と
うれしそうに笑ってくれた。


4時間の電話が一瞬で終わって
いつも変わらないなぁ
変わらないでいてくれるなぁと思った。

そのことがすごくうれしいんだなぁ私は。
と、しみじみ思った。


もしかしたら
気を使ってくれている所があるのかもしれないけれど、それを全く感じさせないからますます謎。

考えていないだけなのか
匠の技なのか。


もし気遣ってそうしてくれているのなら
いちいち聞かないのがマナー?とも考えたけれど

「ねー今日さ、結局何で泣いたんだっけ?」

「あといつも私に対しての関わり方が
変わらないよね。
最近結構、腫れものに触るかのように扱われる機会が多くて、多分そっちが普通?だと思うんだけど
どうしていつも変わらないの??」

オブラートに包めなくて
どストレートに聞くという。


友だち曰く、泣いた理由は
「なんか急に藍ちゃんの気持ちを理解して
そーか。
そーか。
そーか。
と思って涙出た。なんでだろ。」
って。

「悲しいとかかわいそうとかでもなく
心にスーッと入ってきて
頭は使ってなくて
わりと心地よく心で理解した。」
って。


「いつも変わらないのはどうして?」
の問いには

しばらく
「うーん」と考えて

「なんで腫れものに触るように扱われるの?」
と逆に聞かれた。


「お母さんが亡くなって
私がショックを受けてるから?かな?
言葉を選ばれる、みたいな」
と答えると

「あー。
そうか。そうだね。
いや、それでいくと無頓着なだけかも笑」
って。

「まさかの笑笑」って笑


「離れている時は
めっちゃ心配してたよ。
ほんと。めっちゃ心配してた。

でも藍ちゃんを見た瞬間
わりと無頓着になってた笑
なんか、いつもの藍ちゃんだったから。」
そう普通のトーンで教えてくれた。


この人の前で私は
「母を亡くして
両親がいないかわいそうな私」
いなくて済むんだな。

聞けて良かった。
図々しく聞ける私で良かった。


「こんなややこしい私を分かってくれる人がいて
救われる。ありがとういつも。」
と伝えると

「こちらこそ頭の上の雨雲が一気に晴れて
心が満たされたよ」
って言ってくれた。


母が亡くなり
「普通」や「日常」がすごく遠くに感じて。

その理由は
「私の中に
みんなとちがう普通じゃないものがあるから

そう勘違いして
排除しようとして

全然大丈夫じゃないのに
大丈夫だと思おうとして

また苦しくなった。


そんな時うれしかったのは
私に「普通」や「日常」を
感じさせてくれた人たちだった。

自分の心配を私に乗っけたりせずに
普通にしてくれる人。

自分のハマっているものや
好きなモノを教えてくれる人。

「私がこうしたら喜ぶから」じゃなくて
「自分がそうしたいから」と
言葉ではなく在り方でさりげなく伝えてくれる人。


この前、別の友人に会った日に
友人の旦那さんが
「藍ちゃんどうだった?」と聞いてくれて
「昼夜逆転してるらしい」と友人が伝えると
「なら夜にバーベキューしないとね」
みたいに言ってくれたと聞いて涙が出た。


私と会うことを2人で話してくれてること
私を変えようとせずにいてくれること

何の問題もないと思ってもらえているようで
うれしかった。すごく。


ちょうど1年前に書いた記事。


読んでいたらみるみる力が湧いてきた。

私はこれからも
自分より大きく見えるものに従順でいるよりも

万年反抗期で
規格外で
泥臭く生きながら
運命なんか
超えてやろうと思います。


満月の今日まで続けて書いてきました。
長い文章を読んで頂きありがとうございました。

楽しい話題じゃなくてごめんなさい。
だけど私の心の内を聞いて下さったこと、うれしく心強く思っています。

また書けたら。