今日の話題 2008年12月24日
池上 惇
━━第17部━文化的価値を生む経営━━━
私の教育人生 9 歴史を創る経営の視点
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大学院大学の設立準備活動の中でいつも感じること。
それは、この仕事の理想主義というか、
「歴史を創る経営の試み」あるいは「大学院大学のあるべき姿」への模索と
現実の資源制約=資金不足や人手不足・情報欠如
さらには経験不足とのギャップの余りにも大きなことである。
本気で大学院を創ろうとすれば、なによりも、建学の志に共感する人々の
人間ネットワークの構築、新たな歴史の1ページを
日本社会に刻み込むための意欲や心意気の共有が必要である。
そのためには、発起する池上のような立場の人間は、
自分の人生の中で出会ってきた無数の各位に、ご理解をお願いし、
理念をご理解いただきながらの御寄附のお願い、
すなわち、托鉢を繰り返して財政的な基礎を固めねばならぬ。
これは、やりがいのある仕事であるが、一人で出来ることではない。
実行委員会のような趣旨にご賛同をいただける
‘日本を代表する良心’ともいえる方々にご理解を得て、
発起の内容が世間から見て無理のない、
当然のことであることを示さねばならないし、
着任される先生方が当代一流の学術や現場の実践を踏まれた方々であることを
示さねばならぬ。
この点では、私は、幸せ者であった。
実行委員会の構成もご着任予定の先生方も超一流の方々をお迎えできる準備が
整った。
ところが、である。
「建学の志」に最も共感してくれるはずの実務を支える若手の研究者や
支援者の中から準備室への出入りを遠慮する人々が続出した。
理由を聞いてみると、
「いま、忙しいのだから先生には付き合えません」というのが大半である。
それに、
「あなたのやっておられることは夢物語のようで安心できません」
「あなたが主宰される研究会は現場の声が少なすぎます」と言うのも多かった。
その一方で、お忙しいのに度々オフィスに顔を見せてくださって
「健康、大丈夫ですか。顔色はよさそうだから安心しました」
といって大急ぎで仕事に向かわれる。
「お金がなさそうですね」といって多額のものをそっと置いてくださる方々も多い。
胸が熱くなって頑張らねばと思う。
最初のうちは、このようなギャップの大きさに驚いてしまって、
遠ざかる人々を恨めしく思っていた。
去った方々には従来一緒に仕事をしていただいた方々が多かったから
実際の仕事の運営には恐ろしく堪(こた)える。
周囲からもとやかく言われる。
事務局を支えてくださる核となるメンバーに過大な負担が行く。
これも辛かった。
そのようなときに、大阪で事業を起こされて、いまは、引退されている経営者に
お目にかかる機会を得た。
経営者は「仕事を通じて人格的に高い人を育てる」試みを
ご自身で実践されてきた方であった。
そのとき教えられたのは
「‘自分の分担した仕事だけに閉じこもる’習慣や栄誉心など私心を捨てて、
顧客や消費者、社会のために仕事を起こす」
と言う経営理念の重要性である。
自分の守備範囲や私欲に囚われていると、良い事業は出来ず、
経営の持続的発展は難しいそうである。
そういえば、ヴォーリズ先生も、近江の教育福祉事業、まちづくりを支えた
メンソレータムの経営が行き詰まり破綻を見せたとき、
その理由として、
①分業による仕事の標準化や専門家同士の孤立・対立、
または、大きな組織の弊害
②強い財力の弊害、金銭的な魅力への傾斜
③個人の功名心の弊害
を挙げておられた。
ヴォーリズ評伝―日本で隣人愛を実践したアメリカ人
奥村 直彦
新宿書房 2005年 286ページ参照
はっとして、気がついたのは、私の教育者としての至らなさである。
私は大学や大学院で演習を担当し、500人以上の方々を教育してきた。
それぞれが専攻される学術の知識は懸命に伝授したけれども、
「人間としてどのように生きるべきか。
私心を捨て、自分の専門に固執しないで、広く社会の人々の幸福や
同じ道を歩もうとする教育研究者を支えよう」などの理念を教育したであろうか。
いや、してはいない。
自分の至らなさを棚にあげて、去る人々を恨んでいたのでは救いようがない。
自分がやっていることに意味があると思うならば、
その意味を「歴史的に価値あるもの」「価値のある営み」として
日常的に教育しなければならない。
そうしてこその高等教育であろう。
その上で「歴史的価値は認めない」方々を恨むのはよして
共に議論を進めるのが良い。
今からでも遅くはない。
この一歩からやり直そう。
これが、この一年の最も重い反省である。