大学に対する絶望


 池田にとって形成外科医局での研修は、もう1つの意味で過酷なものになった。


それは教授たちとの人間関係だ。


 池田は入局届を提出する直前まで心臓外科を希望していたため、
結果的になんの準備もなく形成外科の教授の指導下に入ることになった。


彼女の選択の背景にある複雑な事実など知る由もない形成外科の医局長は、
池田を“後参者”扱いして、人一倍厳しく指導にあたったのだった。


「入局届けを提出したとき、いきなり文句を言われました。なんでギリギリになって形成外科にだ、と。


わたしもなんとか自分の意図を伝えようと経緯を説明しましたが、受け入れてもらえず、悔し涙がこぼれました」


 ところが、たまたまその場に入ってきた形成外科のある教授が、一部始終を聞いて間に入った。


「いま医局長があなたに言ったことはすべて訂正させます。


どうぞ形成外科医局にいらっしゃって、存分に力を発揮してください」


 そう言うと、教授は頭を下げた。


教授の真摯な態度に心を打たれた池田もまた、よろしくお願いしますと頭を下げたのだった。


いまでも彼女はそのシーンを思い出すという。


 だが、何人かの同級生や大学関係者に聞いてみると、その後も続く、“池田バッシング”には、医局の問題より、
むしろ日本の悪しき習慣である“学閥(同じ大学の卒業生同士で便宜を図りあうこと)”の問題が関係していたようだ。


官僚の世界などではいまだに“東大閥”や“慶大閥”があり、昇進にも響くが、
医学の世界でもやはり同じような現象が見られる。


「同級生たちからそのような話は聞かされていました。


学業に集中しているわたしたち学生を、つまらない勢力争いに利用しようとする医局長が許せませんでした。


大学に対する信頼は、このころから徐々に薄れていった気がします」


 過酷な研修続きで、ゆっくりと果菜子ちゃんにかまってあげることもできない毎日。


池田は研修の合間を縫って、お弁当を作ってあげていた。


お弁当は研修中の彼女に残された数少ないコミュニケーションの手段のひとつだったのだ。


 ところが、ある日このお弁当が大事件のもとになる。


学校で果菜子ちゃんが激しい下痢と腹痛を起こしたのだ。


「連絡を受けたとき、「すぐにわたしが作ったお弁当が原因では?」と思いました。


すぐにでも駆けつけたかったのですが、研修医に許されることではありませんでした。


研修医制度は、中世の徒弟制度さながらで、師匠(医学部の場合、担当の助教授)の命令には絶対服従なんです。


たとえば、40度の熱を出してお休みをもらいたいときでも
「出て来い、俺が点滴をうってやるから」とあしらわれてしまう世界。


それこそ肉親が亡くなりでもしない限りは休めないんです」


 そんなわけで、池田は担当助教授に、娘が緊急を要する事態にあることを認めてもらえなかった。


結局、彼女が大学から休みをもらったのは、決まっていたスケジュールをすべてこなした3日後のこと。


それも半日だけ。


すでに父の実さんと兄の泰彦さんが駆けつけ、点滴などの治療を施していたために大事にはいたらなかった。


病院で精密検査した結果、果菜子ちゃんが起こした腹痛と下痢の原因は、
池田の作ったお弁当とは関係がないとわかった。


しかし、この事件は彼女を大学から遠ざけるのに十分な役割を果たしたのだった。


「果菜子のもとに辿り着いたときのわたしはまるでボロぞうきん。


果菜子の弱りきった姿を見た瞬間湧きあがってきたのは、かわいそうという気持ちではなく、
どうしようもない絶望感でした。


果菜子のために、周囲の人を助けるためにこそ辛い研修にも耐えてきたのに、最後はこのありさま。


娘を救うことさえ許さない大学とはいったいなんだろうか。


医学部の型にはまった教育にとことん嫌気がさしました」


 この事件の後、池田は大きな方向転換に打って出る。


研修後は大学病院や大学の関連病院に残る医師が多いなか、いきなり独立することを決めたのだ。


『すべては時間が解決する』


 彼女は地獄のような2年間の研修を乗り切り、1人前の医師として学び舎を後にする。


無謀ではないか、だって?


そんなことはない。


いま、こうして彼女の人生を取材している人間がいるのだから。