大型連休が過ぎた週末、父親の墓参りに出かけた。午前6時30分、家を出た時は晴れていたのに八王子インターから中央高速道路に入ったころには、空は鈍よりとした雲に覆われていた。暑くも寒くもない丁度良い気温だが、風景を撮るには少し難しいかも知れない。 週末の渋滞を避けて中央道から河口湖へと走り、青木ヶ原樹海の森林を楽しみながら139号線(富士パノラマライン)をゆっくりと走る。本栖湖の横を通り、朝霧高原へと続く午前8時の空気は清々しく美味しい
5月の暦吟 上皇后美智子様の御歌
「ふり仰ぐ かの大空のあさみどり かかる心と思し 召しけむ」 が頭に浮かぶ。
やがて道の駅(朝霧高原)に着いた。ここのヨーグルトは近隣の牧場で作っているので新鮮で格別に美味しい・・。目の前に見える富士山は雲に隠れて麓しか見えないが雄大な景色の中を愛犬としばし散歩する。
(グーグルイメージコピー)
墓参りを終えて由比のお寺を出た時は11時30分を超えていたので急ぎ先の清水港へと向かう。今までは、墓参りが終わると沼津港で食事をしていたが今日は駿府城と久能山東照宮を見学する計画だったので清水港で食事となった。 食事を終えて駿府城へ着いた14時10分
妻と愛犬は城内公園で休憩している間に撮影開始。青空があればさぞ見栄えのする写真になっていたであろうと残念だったが、それなりに撮り終えた。
久能山東照宮へ行くには日本平パークウェイのロープウェイに乗っていくか、又は海沿いの久能街道から1100段の階段を上る二通りがある。当然ながらロープウェイを使ったのですが、東照宮の宮司さん達は毎日階段を上ってくるらしい。通常は20分位らしいのですが、早い人で7分で上ると言うので、若い人たちが競って上るとガイドさんが面白可笑しく話していました。
大工棟梁 中井大和守正清が家康に依頼されて建造したとされる、二条城・江戸城天守・
久能山東照宮・日光東照宮・駿府城の天守・江戸の町割り、増上寺、名古屋城など
久能山は推古天皇の時(西紀600年頃)久能忠仁が始めて山を開き一寺を建て観音菩薩を安置し、補陀落山久能寺と称したとあり、久能山の名称もこれから始まったと思われます。 その後、
和歌「ほろほろと」の作者であり大僧正てある行基を始め多くの名僧等が相次いで来たり住み建物の数も330坊も立ち並んで非常に隆盛であったが1225年山麓の山火事によって類焼し昔の面影はなくなった。1568年武田信玄は当山が要害であることを聞き久能寺を近くの北矢部に移し山上に城砦を設け久能城と称した。1582年武田氏亡びて駿河の国一帯が徳川氏の領有するところとなったので久能山も徳川氏のものとなった。1616年4月17日家康公の薨後、久能城を廃止し、東照宮を建立現在に至っていると記されていました。
標高270mの眼下には駿河湾を見下し、東には富士山を一望する素晴らしい景色でした。
他に、徳富蘇峰がこの景観の素晴らしさを全国に紹介し、吟望台と命名しているのも面白い。
帰路につき、東名高速道路から圏央道、経由して19時35分に帰宅した。