容疑者の少女はどんな時代、場所に置かれたら適応できたのだろう?

猟奇的な殺人者、それにその予備軍は人ではないと思いたい人たちがいるようだ。

池田はそうは思わない。

彼らは戸惑っているのだろう。
自分らしく生きようとすれば周囲をざわつかせる。周りの者が何を求めているのかは学習している。父親への尊敬の念や新しい母親への肯定的な気持ちは「どう言う言葉を望まれているのか」を知り尽くした作文のような気がする。

望まれていることはわかる。けれどその意味は理解できない。
そう、常人と猟奇的な殺人者は理解し合うことができない。

常人が彼らを理解したら、ダブルバインド、パラドックス・・・日常が崩れ去る。

彼らはきっと平穏な日常など経験したことがないのではないか。

身を戦場に置いている。

本当の気持ちを言うと周囲が色めき立つ。
自分の気持ちを偽らざるを得なくなる。

池田には彼らがチャンネルをチューニングする機能を失ってしまった人間に思える。
初めから持たなかったのか故障したのか。修理が可能なのか、再生できるのか・・・
もしかしたら、機能を獲得した私たちの方が異質なのかも。
本能に近い部分を見せつけられるのは苦しい。

彼らに必要なのは・・・いえ、誰にとっても必要なのは矯正よりも理解者なんだと思う。