昼休みに、牛丼チェーン店で牛丼を食べ、その後、コーヒーチェーン店でコーヒーを飲む。そして、午後からの仕事に精を出す。これって当たり前のことのように捉えられるかもしれませんが、ちょっと立ち止まって考えてみてください。

 牛丼とコーヒー、価格がほぼ同じなんです。不思議に思ったことはありませんか。今回は、日米で全く違う進化を遂げた「値決め」についてのお話です。

 

 日本の牛丼と、アメリカのコーヒーとではなぜ値段が同じになるのでしょうか。コストから考えてみれば、やはり日本の牛丼の方がコストはそれなりにかかっていると思います。一体、何が違うというのでしょうか?

 

 それは、「値決めの数式」が日米で違うのです。

その数式とは......

 我が国は、戦後の高度経済成長期に高成長を背景に一つの経済思想の元、一心不乱に商売をしてきたのです。その経済思想とは「より良いものを、より安く」です。経済が人口の増加を背景にすくすくと成長した時代の値決めの法則をいまだに守っているのです。それが「コスト+利益=売価」です。

 

 掛かったコストを基本に売価を決めるという風習が未だに我が国では主流となっています。古き良き時代の「大量生産、大量版売」に根差したスケールメリットを頼みとするマーケティング一本やりの世界観です。また、今のようなデフレの時代となっても、相変わらずの「値引き」合戦がマーケティングの主流?になっているかのようにも見受けられます。

 

 一方、アメリカではどうでしょうか。1970年代に、日本のモノづくりの猛攻を受け、米国のモノ作りは大打撃を受けました。それを機にアメリカはモノ作りから離れ、サービス産業を目指す目標へと舵を切ったのです。その後、飛躍的に進化を遂げたものが、彼らなりのマーケティング戦略なのです。

 

 その中心となった産業が「IT・金融・サービス」などの分野です。モノを作らない産業、無形の情報やサービスを顧客に提供してカネを稼ぐビジネスモデルというわけです。

 

 モノを作らない以上、コストを基本とするプライシング(値決め)をそのまま使うことはできません。そこで、アメリカでは、新しいプライシングのモデルを生み出す必要に迫られました。

 コストに利益を加える方式ではなく、それまでに無かった新しいプライシングモデルが「顧客を中心とした」プライシングモデルだったのです。

 

 『売価-コスト=利益』、この式の始まりは“売価”であって“コスト”ではありません。

 

 「顧客はどれくらいの価格なら買ってくれるか」という問いが発想の起点です。

要するに、顧客はこの製品・情報・サービスにどれだけの価値を認めてくれるか、顧客の感じるバリューがスタートとなるのです。

 

 我が国の牛丼チェーンは、いかにコストの低廉化に果敢に挑み、それに利潤を乗せた価格を提供しているのに対し、アメリカのコーヒーチェーン店は“場の提供”という価値にいくらの値を付けるのかを考えて価格設定を行っています。コーヒーをいくらで買うのかという感覚ではなく、ゆったりとコーヒーを飲むことができる環境をいくらで買うのかを問うているのです。

 

 スケールメリット頼みの値引き合戦は、企業体力の消耗戦を強いるだけのむなしい戦いです。日本人の短絡的な経営志向の一つである『安くすれば売れる』を私たちはもう一度、考え直してみるべきなのではないでしょうか。

『価格を売るな、価値を売れ!』

 

戦後、アメリカとのモノづくりの競争に勝った我が国では、「値決め」という経営の根幹が未だに旧態依然としたまま思考のどこかにに刷り込まれて残っています。形のないものの価値に価格を付けることができない国民性がそこにはあるのではないでしょうか。

 

 最後に、「値決めは経営である」の稲盛和夫氏の言葉です。

『商売というのは、値段を安くすれば誰でも売れる。それでは経営はできない。お客様が納得し、喜んで買ってくれる最大級の値段。それよりも低かったらいくらでも注文は取れるが、それ以上高ければ注文が逃げるという、このギリギリの一点で注文を取るようにしなければならない』....稲盛和夫著「実学」より