「世界各国と比較した場合、わが国の労働生産性は低い」とよく言われます。わが社でも、各業務の効率化を推進しようと委員会を立ち上げて行動計画までの落とし込みに着手しています。

 

 そこで、昔読んだ本を思い出し、再度読み返して見ると、またこれが新鮮なほど面白かったので、今回はこの本の内容を少しだけご紹介したいと思います。

 今から10年前の2010年にアウンコンサルティング株式会社(現在東証二部上場)CEOの信太 明(しだ あきら)氏が執筆された本です。氏の会社で日常的に使われているテンプレートとその考え方を書いた本で、一気に読めば3時間程度で読み終えることができ、その後、様々なアイデアが頭の中に湧き出てくるような気分になるから不思議です。

 

 この本に出てくる内容を少し紹介しつつ、業務を効率化して、生産性を上げるとはを考えて見たいと思います。

 

 この本では「効率化」と「生産性」について以下のような定義がなされています

 

「効率化」⇒無駄をなくし時間というリソースを生み出すこと。

「生産性」⇒時間というリソースをきちんと投資して大きく成果を出すこと。

 

 この定義は、確かに的を得ていると思います。

 

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  仕事の75% は、その人が付加価値を生めないルーチンワークであり、残り の25%が、ルーチンワークではできない、その人が付加価値を生む業務である。そして、「忙しい」「時間が無い」と仕事に追われている人の多くが、「75%の、付加価値を生まないルーチンワーク」のせいで「忙しく」「時間が無く」なっている。「付加価値を生まないルーチンワーク」に圧迫され、「その人が付加価値を生む業務」に支障を来している。自分でしっかりと「(付加価値を生む業務の ために)これだけの時間をブロックしておこう」と決めておかないと、過去の繰り返しや単純作業など、付加価値は生まないけれど、やらなければいけない仕事 に時間を侵食されてしまいます。

 

(信太 明「 テンプレート仕事術日常業務の75%を自動化する」東洋経済新報社より)

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 イメージするとこのようなことです。現状の仕事量を分析してみると下図の左側となっている。これをどう打開するかが問題なのです。

解決策は簡単で、75%のルーチンワークに25%の時間しかかけずに、25%の付加価値業務に75%の時間を投下できるようにすればよいのです。

 

...とは言うものの、どのようにしてじっこうするのでしょうか。

 

 この本では、その解決策をテンプレート(鋳型という意味)というツールを利用することで実現しているという事です。

 

 たとえば、『電話を受けたら次のことを最低限確認する』

□相手の氏名

□要件

□電話番号

□折返しの有無

 

 といったチェックリストを受話器に貼っておけば、担当者が不在であっても、「要件を聞き忘れた!」などというミスも無くなり、新入社員でもその日から滞りなく仕事を進めることが可能になる....と書かれています。

 

 仕事は、「定型・非定型」と「属人・非属人」の二種類に分けることができ、「定型」「非属人」の仕事は、一定のパターンに沿って進められています。要するに「誰でもできる仕事」「誰がやっても同じ成果しか出ない仕事」は一定のパターンを持っていて、そのパターンをテンプレート化することによって仕事を分担することが可能となり、その意味効率化(時間というリソースを生み出す)の実現へとつながるということです。

 

 この本では、いろいろとテンプレートが紹介されていますが、どれも「そうだよね~」と言えるものです。ロジカルシンキングでよく言われる『漏れなく、ダブり無く』と同じような考え方で作られているように思います。

 

 さらに、何事においても同じだと思いますが、物事を最後までやり遂げるためには、それなりに明確な目的が必要となります。ただ単に「お金を貯めなくては....」という目的だけでは、途中で挫折してしまうのは目に見えています。

 「〇〇が欲しい!買いたい!」などと明確な目的を持つことが、モチベーション維持のための大事な要素となるのです。

 

 信太氏のテンプレート化の目的は明快で、本書にかかれている言葉を引用すると....

『仕事のテンプレート化の果てに、テンプレート化できない「自分にしかできない仕事」を手に入れる。これこそが、 テンプレート仕事術がなぜ必要なのかという、私の答えです。』

 

 日本人の生産性向上に資する施策とは、ただ単に残業時間をなくすことではなく、時間というリソースを生み出し、そのリソースをどう使うかということを考えることなんだという事なのです。