前回は簿記でいうところの「借方」と「借方」を古代ローマ時代にまで遡ってその内容を書きましたが、その続きみたいなもので、会計の歴史を少しだけ書いてみようと思います。

 

 古代ローマ時代に、貴族と下級民という「ヒト」との債権債務関係の記録簿として発達した財務諸表ですが、時代を経て中世ヨーロッパ社会、特に十字軍の遠征が行われるようになると財務諸表は「モノ」の記録簿へと変化していきました。この頃に土地などを「信託」するという契約の原型が出来上がったとされています。

 

 さらに時代は下り、コロンブスなどが活躍した大航海時代となります。冒険商人と言われる人々が、スペインやポルトガルの王族などに出資を仰ぎ、インドなどから香辛料などを持ち帰り莫大な利益を上げていました。そして、それらの取引を克明な記録として残す仕組みとして開発されたのが「簿記」です。その後、「簿記」を複式仕訳・元帳などと発展させていったのがイタリアのヴェネチア商人たちだったのです。“勘定”という概念が生まれたのもこの頃だと言われます。さらに、記録簿の主体は「カネ」へと変化していきました。

 

 

 
  テキスト ボックス: ・古代ローマ時代の記録簿 	⇒ 「ヒト」が主体
・十字軍の遠征時代の記録簿	⇒ 「モノ」が主体
・大航海時代とその後の記録簿	⇒ 「カネ」が主体

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェネチア商人によって発達した複式簿記を使った財務諸表ですが、『当座企業』という企業感のもとで作成されていました。簡単に言えば、会計期間の認識が今と違っていたことと、企業の継続という概念がなかったことです。欧州の港を出港してインドなどから香辛料を運び帰るまでの期間を会計期間として計算し、一度船が欧州の港に帰港したことをともってその会計(投資)は清算されてしまうのです。その時の会計の目的は、清算するための『財産目録』を作成することに重きを置かれていました。これを「静態論会計」と呼びます。

 

 さて、この「静態論会計」を見事に葬り去ったのがオランダで生まれ、イギリスで発展した東インド会社です。ちなみに東インド会社とは、アフリカの喜望峰からインド・インドネシアから日本までを商圏としていました(アメリカ大陸を商圏としていたのが「西インド会社」です)。

 

 この東インド会社は、一度の航海では清算しない仕組みを維持するための組織を持っていました。会計帳簿も利害関係者に「途中経過」を報告する仕組みづくりが求められたのです。『期間計算』という概念の登場です。

 

 さらに時代は経て、イギリス産業革命の時代となります。ビジネスは組織として継続されるだけではなく、起業や倒産などの新陳代謝を繰り返しながら発展存続するものと想定されていきました。株式会社制度が整備され、利害関係者は株主と債権者に分かれ、「所有と経営の分離」が意識され始め、一定期間ごとに財産目録を作成して利害関係者の「承認」を受け、その期間に応じた利益を利害関係者に分配する、という仕組みが出来上がっていったのです。この一定期間という概念に、地球が太陽の周りを一回転する期間が採用されたのもこの頃です。

 

 1年ごとに損益計算をする「動態論会計」の始まりです。利害関係者の関心は、「財産目録」の把握から、「継続企業の収益力」へと変化していきました。貸借対照表よりも損益計算書を重視するといった時代の始まりです。企業会計も「適正な期間損益計算」が求められたのです(発生主義の確立)。

 

 時代は19世紀から20世紀へと進みます。この時代は帝国主義と結びつきを強めた金融資本(財閥)が勃興します。彼らの関心ごとは「あの会社は幾らだ?幾らで買えるんだ(又は売れるんだ)?」でした。貸借対照表を重視する時代への揺り戻しだったのです(財産法時代)。

 

 続いて訪れるのが世界恐慌です。会計の世界でも大きな変化が現れました。再び損益計算書重視の時代へとなって行ったのです。詳しくは書きませんが、原因は新たな棚卸法(後入先出法:2010年度の廃止まで続く)の出現なのです。

 

 また現在21世紀は、「期間損益計算の適正化」も重要だとされつつも、貸借対照表重視の時代だと言われます。

 

 私たち会計人が日頃何気なく接している財務諸表であっても、日の背景には悠久の歴史が横たわっていることを忘れてはいけません。

 

.....などと、今回は壮大なスペクタルでお送りいたしました。