散策日 令和5年8月3日
平成16年に廃止になった、東急東横線・横浜~桜木町間の線路跡が遊歩道になると聞いてから何年たっただろうか?
完成したら行ってみようと思っていたのだが、令和元年に桜木町駅付近が供用された後はあまり動きが無いようだ。
今回、近くまで行ったので寄り道してみた。
JR桜木町駅西口広場。
JR根岸線 (京浜東北線) の高架と、並行に走る国道16号線の間の細長い広場だが、ここに東急東横線の桜木町駅があった。
広場の奥の方へ行くと東横線高架の残骸?が現れた。
国道の歩道の上の部分だけが残っていて歩道の屋根みたいになっていて、車道の照明が架線柱に取り付けられている。
広場を奥に進むと、いよいよ効果の上に登って行く。
階段とスロープがあるが、この先で降りるのは階段しかないとの看板が立っている。
階段で登った先はアスファルト舗装になっていて、少し殺風景に思えた。
この辺りはホームがあった場所だ。
振り返って見る。
ここまでの歩道の上の部分は入れなくなっている。
先へ進むとみなとみらい4号線架道橋を渡る。
この橋は東横線廃止後に架け替えられている。
なぜ架け替えたのか‥ ↓
橋の上からの眺めは紅葉坂交差点から延びる紅葉坂。
この道はこの橋の下を通って、みなとみらいへと続くさくら通りとなる。
以前の高架のままだと道路に高さ制限が掛かりそうなので、高さを稼ぐ必要があったと思われる。
元の高架よりも高い位置にかけられたため、桜木町駅側は橋の手前でスロープになっている。
横浜駅方向は階段となっている。
おそらく遊歩道として完成しているのはこの橋まで。
この先は線路が鉄橋されたままの高架が続いている。
しばらく景色を眺めていたら貨物列車が通過していった。
根岸の製油所から、北関東や福島・長野県等への石油系燃料を運ぶ列車が沢山走っている。
貨物列車は桜木町駅から根岸線を離れ、高架下の高島貨物線へ入って行く。
橋の先で下へ降りてみる。
降りてきたところは、先ほど橋の上から眺めた紅葉坂交差点。
東横線跡地遊歩道は現状は歩道橋として機能しているが、利用している人は非常に少ない。
折角なのでもう少し先まで進んでみよう。
紅葉坂交差点から約450メートルの桜木町6丁目交差点。
高架を潜ってみなとみらい方向へ行く道があったが、半分以上が柵で塞がれていて、歩行者用になっている。
東横線下り線と根岸線上り線が橋脚 (橋台?)を共用している。
近くにあった解説板によると、最初の高架は大正4年に真ん中2線分が作られた。 (現在のJR根岸線で、当時は鉄道院)
昭和7年に海側 (写真奥) に高架を増設し、線路を海側に移動したようだが、理由が分からない。
空いた山側にの単線が東京横浜電鉄 (現在の東急) 線となり、昭和31年 (この時点では東京急行電鉄) に山側の国道16号線の歩道上に高架を張り出しふくせんとなった。
とのこと。
解説板の写真。
この高架を潜る道は、現在のみなとみらいにあった造船所の正門への道であった。
解説板の写真の左下が現在位置である。
国道16号線を渡って桜木町駅号校に振り返ると、横浜ランドマークタワーがそびえ立っていた。
反対に横浜駅方向を見る。
横浜駅まで歩くつもりだったのだが、あまりの暑さに歩くのが億劫になってきた。
桜木町駅へ戻ろうと思った時に、降下線の向こう側の踏切が鳴った。
三菱ドック踏切を根岸駅行の貨物列車が通過して、桜木町駅の高架への坂を登って行く。
高島単線7K710Mとあるが、鶴見駅から桜木町駅までの貨物線が高島線と呼ばれているので、鶴見駅からの距離が書かれている。
このあとは踏切を渡り、みなとみらい側から桜木町駅へ戻った。
東横線跡遊歩道の残りの区間‥ と言っても完成しているのがほんの一部でしかないのだが。
整備計画はまだ残っている様なので、完成したら今度こそ横浜駅まで歩いてみようと思う。