「鈴木君は母乳で育ったから寒さに強い」⁈

「毒物につき、取り扱い注意」⁈


マックでコーヒーを飲んでいたら、前のカウンターで中国人と思わしき女の子が日本語の勉強をしていた。翻訳機の日本語を聞きながら、周りを気にすることなく比較的大きな声を出して練習している。変な例文に苦笑しつつも、さほど日本語が喋れなくても、異国の地にやってきて他国の言葉を覚えようとするこの熱意、今の自分にはない事に気付く…


最近、都内のコンビニでは、レジにいる店員さんのほとんどがアジア人。ちょっと前には割と流暢な日本語を喋る店員が多かったが、 最近は何を言っているかわからないレベルの店員さんも多くなってきた。かたや近所のスーパーでは、レジ打ちは日本のオバちゃんだが、支払いは自動精算機という店が多くなってきた。そのせいか、以前は若いアルバイトと思わしき大学生くらいの女の子も見かけたが、最近はほとんど見かけない。比較的単純で低い時給の労働のほとんどは、先づは外国人労働者に置き換わり、次第に機械に置き換わっていく。学生さんのアルバイトの機会が、最初に失われていくのだろう。


人工知能に置き換わる人間の労働について、またそれによって失われる職業について、本屋でその手の書籍を目にしないことはない。また、政府が押し進めようとしている外国人労働者の受け入れについて、ニュースやワイドショーで取り上げられない日はないのではない。


じわじわと忍び寄る社会の変化と、その変化について行けなくなりつつある年代になった自分。学生時代も含めると約30年前、建築の設計を仕事に選んだ自分の環境も随分と変化してきた。学生の頃は、図面はまだ手で描いていて、社会人になった頃は、手描きとCADがせめぎ合っていて、両方のトレーニングをさせられたし、上の世代の先輩にCADの使い方を教える事もあった。CADの変遷もコンピュータの変遷と共に、栄枯盛衰の歴史あり。あるCADのプロフェッショナルがあっという間に過去の人になる悲劇も見てきたし、オフィスの机を占領していたミニコンやパソコンは、次第にノートパソコンやタブレットに置き換わり、今では図面以外の作業のほとんどは手のひらのスマホで事足りてしまう。


人間でなければできない事、日本人でなければできない事、自分でなければできない事、改めて何のプロなのか、問いたださなければいけない段階にきた。