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さそりの小説

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「お前でガスを抜いているんだ、受け入れろ」

 父の言葉が脳裏に浮かんだ。レイをオタクと言って特に馬鹿にするのは、レイの父の会社の重役達である。レイは父に、自分を馬鹿にする重役達の名前は伏せている。これは、レイの思いやりからである。もしも、父に名前を出したなら、その重役達は解雇されないまでも父から悪い心証を受けるかもしれない。そう思うと言えなかった。

 レイの父も誰が言ったんだ? と、問い詰めてくる事もない。

 豪邸の周りで、十匹以上はいるであろう雀達が鳴いている。

 豪邸の中、門のすぐ後ろには、青いリムジンが停まっていて、そこに乗っている運転手が、リモコン操作で門を開いて、ゆっくりリムジンを走らせた。車道へ進む。

 リムジンの後部座席に座っている青年がネクタイを緩め、閉め直した。

 青年の年齢は、十六歳。もちろん、高校生である。

 着ている白い制服や黒いネクタイは汚れ一つなくて、皺一つもなくて、革靴も土埃一つついていず、そんな整った身だしなみを自己称賛し、いつもばっちりな俺はイケテいると思っていた。

 と、いってもこの服装の身だしなみを整えるのに、彼、伊集院レイは一分として努力していない。人件費さえ払えば、努力する必要はないのである。

 レイは生まれてこの方努力というものをほとんどではあるが、した事がない。

 もちろんだ。

 家が素封家であるだけではなく、頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能で、欠点らしき欠点がない彼にとって、特にこの四つの点で努力をする人というのは、可哀想な奴というレッテル。

 レイが小顔の垂れ目から、運転席の座席のヘッドレストかからはみ出る後頭部を見た。

 根岸、anoちゃんの普変を流せと、運転手根岸に、命令にしては優しい声音でレイが言った。レイが発声すると、いつも、優しさが宿ってしまうのである。彼の性格が声音をそうさせているのではない。元々、レイの声には優しい響きがあるのである。

 畏まりました、レイ様。

 根岸は四十代に見合った低い声を出した。彼の声は低いながらも響く。それでいて、いつも乾いている。

 anoちゃんの、普変。

 という歌が、青色を基調としたリムジンの中で、流れた。

 最近、レイはこの歌を毎日聞いている。

 この歌で、普通という言葉を別次元で見るanoちゃんの感性をレイが好きなのは、彼はよくオタクなんだって、と蔑称されるから。

 レイの趣味は、漫画、アニメ。おまけに、読書。特に、レイは、漫画やアニメの文明を認識すら出来ない非教養のものから、いや、漫画やアニメの絵をなんか地図記号としか捉えられないような奴等から、漫画やアニメのストーリーは幼稚だとしか捉えられないような奴等から、オタクだとオタクだと蔑称されて、凡人と逆に蔑称しているわけではあるが。

 レイはとにかく、このオタクという蔑称が気に入らない。でも、蔑称する人達を恨んでいるわけではなかった。ただ、馬鹿にしているのだ。

 俺にとっては、漫画やアニメは普通の世界だと思っていて、その普通をチガウモノ、という捉え方こそ、間違ってて、卑下の対象だ。

 

 

 

 真面目な人間は言いました。

 やられた事をやり返すのは、同じレベルに下がるという事だ。

 真面目な人間の一人、いえ、真面目な人間達は多くの人間達の心を変えるより、猫一匹の心を変える方が容易そうだと思っていました。

 そして、真面目な人間の一人は多くの人間達にも、猫にも、悪意がありそうだと感じたから同じレベルに下がると発言したのです、猫に。

 猫には理解出来ない論法でした。何故なら、多くの人間達は、猫と同じレベルなのです。猫がした発言や態度を鏡のように反射してくるのは、猫と同じレベルになるという事です。で、あるならば猫も同じレベルになってもよい筈。猫はそう考えました。猫と比べ多くの人間達は多くの人間と記されるように、複数いるのです。それでも、猫は一匹でも戦う事を厭わなかったのです。多くの人間達に教えてやろうと思いました。

 猫の腐心を。

 ある朝、そんな猫を多くの人間の一人が拳で殴ったのです。

 そいつに猫は正当防衛と言って、猫パンチをしました。多くの人間達は、もちろん、集団で力一杯拳で殴り返しました。猫以上の力で。

 猫は死にました。それがきっかけで、猫に使った隠蔽していた多くの鏡が社会の表に出たのです。多くの人間達は、各々言いました。猫に学習させる為だったとか、猫が気にいらなかったとか。とにかく、善意、悪意、混じっていたのです。

 どちらにせよ、猫は死にました。

 どちらにせよです。

 でも、猫の死顔は満足そうでした。

 暴いたからです。