ここは、
日本へ留学する前に通う、
ベトナムにある小さい日本語センター。
日本人は4人。ベトナム人の先生は7人。
留学生は最短4か月、最長1年ぐらいここに通う。
朝8時から午後4時半まで。
土曜日隔週休みで、毎日6時間、日本語を勉強する。
そして、この度、7月出国生が、卒業した。
ゼロから日本語を始め、上達する人は半年で3級を取得する。
クラスを担当していても、学生はベトナム人の先生達とのほうがつながりは強いし、
とくに泣くほどのものでは。と思っていた。
しかし、たった半年でも、通過でしかないセンターでも、
こんな、あたしに、「先生のおかげです。ありがとうございました。」なんて言ってくれる。
覚えたばかりなのかもしれない。
「今まで、よく頑張ったね。日本でも、頑張ってね。
いつも笑顔で。あっ、一人で頑張りすぎないで、悩んだときはいつでも連絡してね。」
「はい。はい。」と言って抱きしめる。
私の肩で泣く学生。彼女はまだ19歳。
ここを卒業しても、終わりじゃないんだ。
ようやく日本で生活するためのスタート地点にたっただけなんだ。
そして、日本語学校に2年通って、卒業…じゃない。
また、そこから、進学や就職などのスタート地点に立ったに過ぎない。
そして、進学して就職して…いつも、いつも 何かのスタート地点に立つ。
ゴールは遠くて、見えない。
頑張って、あきらめて、休んで、また何かに影響されて奮起して、問題が起きて、毎日に毎日に圧されて、
やっと、ゴールに着いたと思った瞬間、ゴールテープはどこかに消えてしまう。
まるで、初めての水泳の時、プールでお母さんが私の方に手を伸ばすけど、
届きそうで届かない距離を保っているかのようだ。
止まったら沈むと思って、私たちは必死で足をばたつかせる。
ゴールのために生きているのだろうか。
そもそもゴールなんてあるのだろうか。
ないような気がしてきて、、、。
今さら、ようやく、はっきり気がついた。
終わりは初めへの橋だってことを。
ならば、経過を楽しんだ方がいいのではないか。
楽しむといっても、怠惰に過ごすという意味じゃない。
『頑張って、あきらめて、休んで、また何かに影響されて奮起して、問題が起きて、毎日に毎日に圧されて…』
を小説を読むように、噛みしめながら生きる。
本当は止まって、浮いている方が、青い空を眺められるのかもしれないのだけど。
やり方がまだわからないから。
学生達を見ていて、そう思った。