もう 半世紀程前になるでしょうか。
若かりしころ お茶(茶道)のお稽古に通っていました。
地元では名の通った先生でした。

仕事帰りにお稽古にいくこともありましたが 大抵は一度帰宅して
着物に着替えて行っておりました。
お手前の上の方もいらっしゃいましたし、 私のような若手もおり
ました。
お釜を前にすると 静寂さの中に、張りつめた 心地よい空気が
あり、その緊張感がなんともいえず 好きでした。

そして 先輩方の 素晴らしいお手前を拝見ししながら 早く自分も
あんなふうになりたいとおもっておりました。
お着物や 立ち居振る舞いの何気ないしぐさの 美しさにも憧れて
おりました。

お稽古日はとても楽しみで、 何年か通っていましたが ただ どう
してもなじめないことがありました。

お師匠さんである先生に お中元やお歳暮等のご挨拶は勿論
欠かさずしておりました。
皆さまがなさるように 季節のご挨拶の  合い間 合い間にも
旅行等に行った際や珍しいものが手に入るとお持ちするよう
にはしておりました。
苦ではありません。
むしろ お持ちしたことで 皆様との会話が弾み楽しみでした。

しかし そうしたものを私はじめ、他の生徒さん方が、 先生の
ご家族にそっとお渡ししたにもかかわらず
先生は
「まあ~~。〇〇屋の△△をありがとう」とかいうのです。


有名な宝石商のお嬢様がお持ちになるものは 又格別のようでした。
「まあ ディオールのスカーフ素敵」とか 声高にお礼??をいうの
です。
(40数年前 ディオールのスカーフは12,000円していました)

し~~~んとしているお茶席や お水屋の方にも 嫌が王にも 
聞こえてくるのです。

皆 先生へお渡しするお品が、何気にグレートアップしていったよ
うに記憶しています。

私事ですが、
高校2年生の時に 華道の師範を取得し 何年かは先生の
下働きをしました。
そして、 よちよち歩きの私の華道の教室に何人かの方が生徒さんとし
て通ってきてくださるようになりました。

華道教室を起ち上げる際 自分なりに決意というか覚悟は持ちました。
その際 先の 茶道の先生のふるまいは 私には、とても 不自然に感じ
られておりましたので 

これだけはやるまい !!
絶対これはやってはいけない !! と自分に言い聞かせました。

確かに こんな 駆け出しの華道の先生である私にも生徒さんの中
には 季節毎に、ご挨拶の品を下さるかたもいらっしゃいました。
しかし そんな時は 他の生徒さんには判らないように軽く会釈し
後に お礼のはがきをお出しするようにしておりました。
 (メールなどない時代でしたから・・・・)


💛 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 💛

長野の生徒さんのYさんは 80歳過ぎの とても謙虚な可愛らしい
雰囲気のおばあちゃまでした。
わざわざ タクシーでレッスンに通っていらっしゃいました。

その Yさんが 季節のご挨拶として 私に手渡して下さるとき
『先生 「一筆書き(ひとふでがき)」の素敵なのを見つけたので 1つ
お持ちしました。
つまらないものでご座いますが、お使いくださいませ』とおっしゃって
私に その「一筆書き」のお品を渡して下さるのです。

「一筆書き(一筆箋)」は ちょっとした 言葉や伝言を書く物で、お手紙
を書く便箋の1/2位の細長い幅の紙が冊子になっている、簡単なもの
です。
どなたがみても 極 簡単な 決して高価な物ではありません。
しかし いつも その「一筆書き」の下には 商品券が入っていました。

勿論  そこに同席していらした 他の生徒さん方は、そこに 商品券
がはいっていることに気が付くよしもありません。
あくまでも 単に 「一筆書き」を Yさんが、私に渡したとしか思って
おりません。

「一筆書き」でも 100円ショップの物から 鳩居堂の物まで色々あ
ることはありますがそれでも そんなに高価なものではありません。

Yさんが 私に渡して下さる際、  そこに 同席している他の生徒さんが、
不愉快な思いや 負担を強いられる様な金額ではないものとして
私に手渡して下さっていました。

私は今 商品券の事をお話ししたいのではありません。
この 周りに対する 心配り(こころくばり)をお話ししたいのです。

小さな心配り(こころくばり)ではあります。
でも 
なんと お品の良い渡し方でしょう。
周りの方にも 配慮した なんと素敵な 心温まる渡し方でしょう。

『差し上げる側』としても『受け取る側』としても この「心くばり」を
忘れてはいけないと Yさんを通して、教えて戴きました。

私は 今、 いろいろな場面で Yさんの この 心配りを「師」としており
ます。

イイジマ美絵