文学研究に限らず、研究とは幅広い

視野を持つからこそ深い研究ができる

ものだと思います。

 

映画を観る事を馬鹿にする大学院生が

いましたが、私には意味が分かりません。

 

私の専門分野はアメリカ文学や

シェイクスピアですが、

関係のないと思われる演劇や映画、

音楽、テレビなどから思わぬヒントが

得られるというのはよくあります。

 

文学研究とは決して書物の中に

埋もれて行うものではないし、

結局人間の活動すべてが研究の材料に

なりうるものなのです。

 

旅なども研究に意味を与えるものだと

言っていいでしょう。

 

残念ながら研究をすることを目指している人

あるいは現に研究に近い事をやっている人には

単に偏屈な頑固者、そして研究を

しているのだから、働かなくても良い

等と馬鹿げた事まで言い出す人が多くいます。

 

そういう人たちは研究そのものも

全く大したものではないし、

ほとんど幼稚なものという場合が

ほとんどなのです。

 

文学研究に限らず、

研究をする人間には全人格的態度が

求められると強く思っています。

 

文学ディレッタント  飯島 昭典

 

 

従来は文学研究とは書物を使って行う

というのが一般的な考え方でした。

 

卒業した大学の図書館の会員になり、

卒業した後も大学の資料を使いながら、

研究を続ける。

 

こんなのが大学外で研究を続ける人たちの

一般的なスタイルでした。

 

しかし2010年の半ばぐらいから個人でも

利用できるデータベースというのが

出てきました。

 

データベースとは数千万の資料を

パソコンを使いながらダウンロードも

印刷もできるもの、そしてその資料は

常に更新され続けるもの、と

考えていただければいいと思います。

 

利用にはクレジットカードが必要ですが、

私の使っている二つのデータベースで

資料の問題は全くなくなった

と言っていいです。

 

データベースにも色々なものがあり、

人文科学系の英語を中心にしたもの等

種類が沢山あります。

利用料は大体月3000円程度です。

 

本を買うよりは安いし、

資料の豊富さも圧倒的です。

 

文学研究も昔とはずいぶん変わりましたよね。

 

文学ディレッタント  飯島 昭典

 

 

梅雨入りは平年並みだそうですが、

このごろ雨が多いですよね。

今日も3時ごろからは雨のようです。

雨が降るとだるいんだよなあ。

 

さて本日は飛高 敬の短歌を鑑賞します。

 

 

 

草原の白き孔雀の歩みゆく少年の日の記憶うるわし

                  ―飛高 敬

 

 

草原は緑色であり、孔雀は白。

一読して感じるのは色彩が豊かな歌だな、

という事である。

 

少年だった自分は草原で遊んでいたのだろうか?

 

でも白い孔雀というのは、なかなか

出会えるものではないし、

もしかしたらこれは非現実の夢の中での

出来事ではないか?

 

子供の頃に見た夢を大人になっても

覚えているのはよくある事である。

 

強烈な印象を残す夢ならば、

一生を通して覚えているものだろう。

 

現実でも非現実でもうれしい記憶とは、

美しさを伴うものである。

 

少年の頃の穢れのない自分、

緑と白のコントラストの風景。

 

これらは大人になり穢れてしまっている

今だからこそ、美しさがより

感じられるものなのだろう。

 

思い出はいつも人に優しいものなのだ。

 

文学ディレッタント  飯島 昭典

 

あいにくの雨ですね。

月曜日はサイクリングに行く時が多いのですが、

今日はエアロバイクですね。

 

さて、本日の文学の窓は

高田 弘之の短歌を鑑賞します。

 

 

 

妻のみが話しつづけて退職後第一日の午前は終る

                ー高田 弘之

 

 

人は30年以上、社会人として

働き続けるのが普通である。

 

社会人生活は、楽しい事、嬉しい事、

辛い事、腹の立つこと、いろいろな事が起きる。

 

今、退職をむかえて第一日目を過ごしている

作者はほっとしているのだろうか?

 

妻は嬉しそうに話し続けているのだが、

夫である退職者の作者は、なんだか

寂しげではないだろうか?

 

社会人としての緊張もなくなり、

これから先の圧倒的な自由時間をどう過ごしていくか、

と楽しみよりも不安を感じているのでは、と

思ってしまう。

 

退職後に輝き続ける人は、

もちろんやる事が沢山ある人で、

いよいよ、現役時代にはできなかった

それらの事に没頭できるとわくわくしている

人たちである。

 

お金の不安だけでなく

時間を持てあます事への不安を感じている

退職者が、実は沢山いるのではないか、

と想像させる歌である。

 

文学ディレッタント 飯島 昭典

 

はじめは10キロぐらいから始まった

サイクリングも今では40キロぐらいは

平気になりました。


サイクリングシューズもサイクルジャージも

買ったし、もちろんヘルメットやグローブも

着用しています。


昨日は牛久沼まで往復39キロ、110分の

サイクリングでした。

ここは牛久沼水辺公園からの眺めですね。



ピクニックに来ている人がたくさんいました。
昨日は雲っていたし暑くもないので、
良かったのかもしれないですね。

白鳥は人に慣れていて全然逃げません。
普段からエサをもらっているのでしょう。


40キロを平気で、走れるようになった私は
もう立派なサイクリストといっていいかなあ
なんて思っています。

でもビギナーですよ。
中級者は100キロを走れる
ぐらいなんだってさあ。

私はビギナーの範疇を超えるつもりはなく、
今でも大満足です!