いたから分かる女子少年院 ドキュメンタリー監督の中村すえこさん  | 飯島 愛ちんのガッタス・オスピタル

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少女(左)のつらい過去や将来への思いを聞き取る中村さん=映画「記憶」から(記憶製作基金事務局提供)

 女子少年院で生活する少女たちを追ったドキュメンタリー映画「記憶」が昨夏の公開から静かな共感を呼び、各地で自主上映会が続いている。自身も少年院で過ごした経験がある監督の中村すえこさん(44)は「少年少女の立ち直りを支える社会に変えていくために作った」と訴える。

 少女たちがカメラの前で生い立ちや過去を語っていく。ある少女は二歳の時に乳児院に預けられてから施設で育ち、中学卒業後、覚醒剤に手を出した。別の少女は母と二人でドラッグに溺れ、窃盗を重ねて自分たちの生活を支えていた。

 映画の舞台は、榛名女子学園(群馬県榛東(しんとう)村)。罪を犯して家裁送致され、立ち直りのための教育が必要と判断された十二~十九歳の少女が生活や教科、職業の指導を受ける施設だ。

 構想に八年かけた中村さんは、法務省の協力を得て二〇一八年二月から一年半、四人の少女に向けてカメラを回した。「彼女らに共通するのは居場所がなかったこと。家にも学校にも社会にも。仲間と共謀して被害者を装う美人局(つつもたせ)をして恐喝事件で捕まった少女は、犯罪の中に居場所があったと話してくれた」

 親から身体的虐待やネグレクトを受けた少女たちに、中村さんは昔の自分を重ねた。両親は中村さんが小学校に入った頃に商売を始め、夜も家にいなかった。気づけば同じ境遇の仲間と過ごすようになり、万引や恐喝などを繰り返しながら十五歳で女子暴走族「レディース」の総長に就いた。

 特攻服に身を包み、けんかに明け暮れた。ある日、傷害事件の主犯格として逮捕され、女子少年院に収容された。一年の入所生活を終えて仲間の元に帰ると「あんたの居場所はない」と突き放された。当時十八歳。「何よりつらかったのは、どう生きていいのか分からなかったことだった」

 普通に生きたくても、普通とは何かが分からない。どんな服を着て外出すればいいのか、どんな音楽を聴けばいいのか-。「少年院にいたと知れたらどんな反応をされるのかと思うと、自分のことを話せなかった。声をかけてくれる人もいなかった」

 少年院を出て半年後、覚醒剤を使って捕まった。家裁の審判では、社会の中で立ち直れるかを家裁調査官が見守る試験観察処分になった。「私を信じてくれた。今度こそ立ち直ろうと決めた」。結婚して四人の子の母になった。〇九年には少年院を出た若者の自助団体「セカンドチャンス!」の創設メンバーとなり、全国の少年院を回って自身の体験を語った。

 話を聞いてくれた少年少女からこう言われた。「すえこさんも少年院にいたから気持ちを分かってくれる。私たちも人にいい影響を与えられる人になりたい」

 中村さんは決めた。「少年院を出た後も社会の偏見は強い。彼らを支える人を増やそう」。映画製作の費用を寄付で集め、昨夏の完成後は東京や大阪など十数カ所で上映会を開催。観客が自分の地元でも上映会を企画する形で支援は広がっていった。

 今は働きながら通信制大学で学び、教員免許の取得を目指す中村さん。少女らの言葉が忘れられない。「『私が幸せになってもいいの?』と何度も聞く。彼女らに罪を犯した責任はあるとしても、社会の側は変わらなくていいのかと思う。彼女らは加害者となる前に被害者でもあったのです」