しかして、諸人よ、あなたがたは、不幸のさなかにあって嘆き悲しんではならない。
不幸のさなかにあってこそ、あなたがたは中道に入る資格が生まれてくるのだ。
不幸のなかにあって、あなたがたの多くは、自分の人生を悔いているであろう。
自分の過ちをつくづくと、つぶさに観察したことであろう。
自分の情けなさを、身にしみて感じたことであろう。
そのような時、あなたがたは、まもなく黄金の道に入る準備をしていると言ってよいのだ。

あなたがたは、失意のなかから、また立ち上がらねばならない。
なぜならば、あなたがたも、また、仏の手足であるからだ。
あなたがたも、仏の偉大なる生命の一部であるからだ。

そうしたあなたがたであるならば、決して失敗ということは、この世にないのである。
決して挫折ということは、この世にないのである。
決して不幸のまっただなか、不幸のどん底ということはないのである。

そのような失敗や、挫折や、不幸と見えるものは、すべて、あなたがたの魂を光らせるためにこそあるのだ。
魂を光らせるための砥石であるのだ。
このように考えてゆきなさい。
これが仏法の根本であるのだ。

私は、苦難や困難を、この世に存在しないとは言わない。
また、苦難や困難が、あの世に存在しないとも言わない。
しかし、苦難や困難は、それ自体が善としてあるのではない。
それ自体、存在が許されてあるのではない。
私は、そう思う。

苦難や困難は砥石としてのみ、存在が許されている。
苦難や困難は、魂を磨き、魂を光らせるための、砥石であり、
魂を光らせるがための、サンドペーパー、そう、やすりでもまた、あるのだ。
人びとよ、このように捉えてゆきなさい。
さすれば、今、苦境のなかにある時に、
運命があなたに何を教えんとしているのかを知りなさい。
運命の教えんとしていることを知り、
そして、それを自らの糧としなさい。


大川隆法著『仏陀再誕』第2章