$The Happy Science Monitor


この世で犯罪行為によって人殺しをした場合には、死後、地獄界に行くことになると思いますが、死刑になることによって、いわば借金の一部が払われた状態になることもあります。「犯罪者であっても、この世で罪の代償を支払うことによって、来世での罪が多少なりとも軽くなる」という現実があるのです。
 
昔、戦争の時代に、多くの人を殺した英雄であっても、最後には自分自身が殺されている場合がよくあります。そういう人たちの霊は、「最後に殺されることによって、やはり罪が軽くなるのだ」と言っています。因果応報というか、同じ目に自分が遭うことによって、そのカルマが軽くなる面もあるのです。

 
ただ、こういうことは、軍隊で正義の名の下に戦った兵士たちには適用されません。仏法真理の観点から見ると、責任を取るのは国王や大統領などの政治家です。それは指導者の責任なのです。
 
また、人を殺しても、法律に基づいて適正に行った行為については、基本的に責任はないことになっています。例えば、警察官が、その職務において犯罪者と撃ち合って人を死なせることがあっても、それが理由で、その警察官が地獄に堕ちることはありません。このへんは、ご理解いただきたいと思います。(中略)

 
総合的に述べると、「凶悪犯罪が少なくなっていない国においては、まだ死刑制度を残しておいたほうが、犯罪予防のためによいのではないか」という気持ちを私は持っています。
 
ただ、将来的には、真理が浸透していくことによって、それが犯罪の抑止力となり、事前の予防効果が強くなることや、刑務所内でも真理が浸透することによって、再犯率が下がっていくことを望んでいます。(中略)
 
要するに、自分が人からされたくないことを人に対してしないことです。逆に言えば、自分が人からしてほしいことを人に対してすることです。それが宗教におけるゴールデンルール(黄金律)です

 
すなわち、「自分が人に殺されたくないのなら、人を殺すなかれ」「自分が人に盗まれたくなかったら、人のものを盗むなかれ」ということです。これがゴールデンルールであり、基本なのです。そうした基本的なことが、日常生活のなかで、当たり前の道徳として実践されるようにしなければいけません。

 
その前の段階として、治安が悪いのならば、行政には、きっちりと善良な市民を護る義務があります。私も、それについては容認しています。(中略)最終的に、私は、この地上に平和な天国的社会をつくりたいのですが、現実的には、やはり、犯罪を少なくしていく努力をしなくてはいけないのです。
 
そのためには、犯罪者の温床である貧困層を減らしていかなくてはなりません。これには政治・経済的な面での努力が必要でしょうし、それと同時に、宗教的には、やはり、「真理を広げていく」という精神運動を行わなくてはなりません。この両面からやらなければ、問題は解決しないと思います。


『真実への目覚め』(幸福の科学出版)(184~188ページ)