「実はここだけの話、隣のグループの岡部くんが来月末で退職するらしくて。そうすると若手は高井戸さんだけになる。正直あなたがうちの会社の頼りなのよ」


会議室で女上司から口外しない条件でひそひそと打ち明けられたのは昨年の初夏のことだ。

誰にも言うなと言いながら、私から教えてくださいと迫ったわけではない。きっと上司は岡部が辞めることを上層部から聞いて誰かに話したかったのだろう。そこで懇意にしてもらっていた私が選ばれ、一方的に情報を共有された。

「岡部くんと高井戸さん二人が新卒でうちの部署に配属されてはや五年。これからって時に岡部くんが辞めるのは、会社としては正直痛手なのよ。」

部長も何度も説得したらしいんだけどね、と持っていた手帳に目を落とす。

「高井戸さんは仕事も出来るし、うちのホープだから、岡部くんの分までってわけじゃないけど…ね。これからも頑張ろうね。」

核心をつくようで、お前まで辞めるなよと直接的には言わない表現に、「ああ、はい…」とあまりピンときていないような返答をする。



こりゃ言えない…言えない。

今年の秋に結婚を機に辞めますなんて、ますます言えなくなった。

岡部のやつ、なんてタイミングで退職しやがるんだ。理由を聞いたらどうやら起業するらしい。もっと会社を利用して人脈を作ってスキルを身につけて、辞めるなら数十年先だろう勝手に算段していたが、彼の計画は思っていた以上に前倒しに動いていた。岡部からすると計算通りなのかもしれないが、私からすれば大誤算だ。

岡部は同期とは言え、仕事内容も違えば同僚と飲みにいく文化がない社風もあり、深い話をしたことがなかった。入社してしばらくは一緒にランチをしたこともあったが、根拠や計画もなく口を開けば「俺、社会を変えたいんだよね」と豪語する姿は見ていてこっちが恥ずかしくなる程で、ただ"社長"という肩書きに憧れているだけで中身は空っぽだなと判断してからは、こちらから誘ってご飯に行くこともなくなった。

この人はビックになりたいという漠然とした夢をずっと持っているんだろうなと鼻で笑い、「私が先に人生の次のステップに失礼しまーす!」と思い描いていた矢先での上司からの密告は、ここ最近の中で最も衝撃だった。

まるで彼の方が私よりも人生の計画をきちんと立てていて、それを実行に移しているように周りから写ることは私のプライドが傷つき、私だって!と躍起になって今にも退職宣言をできるような気がした。

あてもなく


特にあてがあるわけでもないのに、忙しそうに大宮駅を歩く。

目的地があるわけでもない。

さして時間に追われてるわけでもない。


ただその自由が、何をしても良いという有り余った時間が、自分はどこへ行って何をすればいいのか迷わせ、放浪させる。

慌ただしく早歩きで去っていくビジネスマンや、セール品を売り切ろうといつにも増して接客に勤しんでいるショップ店員に混じって、自分も平日の昼は忙しいんだと社会に向けてアピールするかのように颯爽と歩く。



この毎日に終わりが来るのだろうか。



やりがいのあった出版会社を退職してしばらくは結婚式の準備に追われていた。

誕生日以外にこれほどまでにお祝いの言葉をかけてもらったことなどあっただろうか。

結婚をしない選択をする人が多い昨今で、二〇代後半という適齢期で寿退社。



小さい時から、自分にとって結婚というのは、当たり前に通る道と捉えていた。

小学校を卒業したら全員が中学校へ進学するように、結婚したら数年後しばらくして子を授かり、専業主婦で子育てに奮闘し、充実した毎日を送る。

そんな幸せな将来像を、未来を予知しているかのように具体的に思い描いていた。



ただ

それが

ただの憧れであり、夢で終わるかもしれないと頭をよぎり始めたのは、去年の八月のことだ。




ブログ再スタート2回めにしてネガティブなテーマの記事を書くが、

 

私はtwitter、Facebook、instagramなどの友人向けSNSが好きではない。

 

 

友達の使用頻度が高いインスタに関しては、「一応友達用」と「自分の趣味を存分に閲覧する用」とで分けている。

 

これまで友達同士で「インスタやってる?」「タグ付けするよー」という会話になっても、「やってないんだよね」の一言で片付け

”SNSやらない主義”を貫いてきたが、あまりにもそれが主流になってきたので限界になり、渋々「友達用」のアカウントを作った

(ちなみに趣味用は2014年から、と一般に普及した当初から開設していた)。

 

友達は多い方で、自分のこれまでの人生を色濃く彩ってくれたコミュニティーが数多くあり

今後も付き合いを大切にしていきたいと思う反面、

 

「広く多数に発信するSNS」と「一対一の繋がりで成立している友達関係」は真逆のフィールドであるがゆえ、

うまく掛け合ってない時が往々にしてあり、それは身近な人を簡単に傷つける刃と化す。

 

 

その例の一つして、”近況報告”がある。

「彼からプロポーズされました♪」「報告遅くなりましたが付き合ってた彼と結婚することになりました」

 

こういった喜ばしい投稿は、あろうことか身近な友達の心をえぐることがある。

こんなこと容易に想像がつくはずだが、

発信する側は、あまりにもルンルンで周りが見えていないのか、

「きっと友達も祝福してイイネをたくさんくれるはず」としか頭が回っていないのか。

(傷つく人がいるだろうと理解した上で投稿しているとしたらこんなにも猟奇的なことはない)

 

みんながみんないつも幸せなわけではない。

現に、「相思相愛だと思って体の関係もある人に奥さんがいるっぽい」など、悩みを抱えている人は

この歳になると数人いる。

 

そんな人がこの投稿を見たらどう思うか。

仲の良い友達が数ヶ月会っていない間に、上記のような境遇に陥っているかもしれない。

 

不妊治療を続けている人にとって、溺愛する子供をインスタに載せまくってる投稿を

どんな気持ちで見るのか、考えたことがあるのか。

 

「嫌なら見なければ良い」という考えがあるが、それは芸能人や公に発信している人に批判の声を上げる人に対して使うべき表現で、

親しい人同士で形成されているアカウントなら、受け取る側を慮るべきである。

 

これは「見る側」ではなく「見せる側(あえて言うなら見せつける側)」への苦言だ。

 

私はやけに慎重で、良く言えば「友達想い」というワードで集約したいが、

自分の放った近況報告が、無意識に豪速球となって相手の心をぶち抜き、ボコボコに傷つけているかもしれないと考えると、

こんな残酷なことはないと思う。

 

「友達だもん、嬉しいことは共有しないと♪」って、そんな綺麗事で全て済ませられない現実もあるのだ。

 

 

どうしても身に起こった歓喜を爆発させたいなら、

「あなたからのプロポーズが最高に嬉しい!!」と当事者同士で盛り上がるに留めておくだけにはいかないものか。

勝手に数年ぶりにブログ再開。

 

どのくらい続くか分からないし気が変わって更新しなくなるかもしれないけど、自分のために再スタートします。

 

 

誰も読んでないなら手元の日記でいいじゃん、となるところをあえてブログにするのは

 

 

自分のアウトプット力を高めたいから。

 

誰も読んでないのは分かりながらも「誰かの目に留まるかもしれない」と少しの緊張感を持つことで、

自分なりにきちんとした表現・体裁を保とうと気が締まる。

そんな自分に期待をして、この状況を再び創ることにした。

 

 

最近、自分の表現力、語彙力があまりにも稚拙すぎるのではないかと不安になっている。

 

感嘆したことはなんでも「すごい」で片付け、

どうして心が動かされたのか、「おもしろい」と思ったことは何がどう面白いのかなど、

誰でも言えるワードを並べて表現するのみ、自分の言葉でうまく表現できていないことに危惧し、焦りともどかしさを抱いている。

 

自分の自由な時間を最大限に活かせる今、

勉強と称して本をむさぼり読んでいるところだが、

ただ読んだだけでは表現力の向上にはならない。

 

誰か読者がいる設定で、本のレビューや自分が興味があるお笑い番組について

自分の言葉でまとめ、一方的に発信することで、技術の研磨向上を図りたいと思っている。

 

 

これが今の自分が思いつくベストな方法だが、

他に妙案があればすぐさま移行したい。