飯田線 旧型国電の時代
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辰野駅とクモハ52


辰野と琉電

流電が辰野まで来るのは1日1回、深夜にやってきて一泊して早朝に帰るモーレツ社員のようでした。

1225M 当時の上りの列車番号です。

165系と並ぶ



中部天竜にて。急行「伊那」が豊橋に向かっています。この当時は冷房車で

ありとあらゆるところで走っていましたので撮影する気も起きませんでしたが

今ではこの車両さえいません。横には流電が止まっています。

クモハ42


クモハ42

クモハ42は飯田線にもいました

張り上げ屋根は007

本当にサボってしまって申し訳ありません。クモハ53でも張り上げ屋根が残った007です。中部天竜でしょうか。

クモハユニ64

兄弟と別れたった一人ぼっちで長野、岡山と歩いたクモハユニの長男がなぜか末期に飯田線にやってきて久しぶりに兄弟と出会いました。そしてその長い形式名は未だ破られていません。

不遇な一生かと思いましたが、末期はファンに追いかけれてまくり、それはそれは充実した人生(車生)だったんでしょう。茶色時代のクモハユニです。

(画像提供 鈴木晴美氏)

クモハ43の並び

クモハ43

旧型国電全盛期で塩嶺トンネル未完成時代でも飯田線の車輌は頻繁に中央線に入っていました。上諏訪までよく来ていましたよ。左側にその上諏訪行きのクモハ43が止まっています。

クモニ83

クモニ83

これから辰野までの長い旅に出ようとしているクモニ83です。名物

クハユニのつながった編成です。

豊橋駅

流電の運転台

運転台


流電の運転台写真はあまり見ませんよね。記念になると思い撮影しておきました

サエ


中部天竜に最後まで残った伊那電のサエ、これが最後の木造電車でした。これを見ることができたのは本当に嬉しかったですね。

飯田線のblogをはじめます

はじめまして。この度「飯田線の旧型国電」を紹介するblogをはじめることにしました。これはmixiで一時期書いていた「飯田線旧国時代」をより多くの人に見ていただこうと思ったからです。


画像は1投稿に1枚を原則にします。それではよろしくお願いします。


流電


三河槙原に入ってくる辰野行きの流電です