飯田競技人生 引退
こんにちわ!
更新遅れてしまいました、すみません。。
前回更新したように、
3月14日に無事
飯田正義アルペンスキーを引退致しました!!

最後のレース、上国では
1日目 2番
2日目 5番
入賞することが出来ました!!


皆さん本当にありがとうございました!!
競技スキーを始めたのが小学4年生の10歳、
大学4年生の22歳まで続けさせてもらって、
約12年間の競技人生でした。
長いようで短いようで、
んーなんとも言えないですが、、
人生の半分以上をかけてきたスキーに一区切りが付いて、
だいぶ心が落ち着きました。。
人生山あり谷ありとは言うものですが、
なんだかんだ中学3年生から毎年怪我や病気をしてきました。
中学3年生は、手首ヒビ
高校1年生は、尾骨骨折
高校2年生は、交通事故
高校3年生は、高次機能障害
大学1年生は、スティーブンス・ジョンソン症候群
大学2年生は、右膝靭帯断裂
大学3年生は、右膝靭帯再断裂
シーズン中戦線離脱することが多々ありました。
人一倍支えられて生きてきました。
仲間には本当に迷惑をかけてきました。
親には本当に心配をかけてきました。
感謝と申し訳ない気持ちで一杯です。
一番衝撃が大きかった高校2年生の時の
【交通事故】
3月9日
全日本選手権に向かう途中、トラックと正面衝突、先生は即死でした。
あの事故から5年が経ちました。
今年は時間が合わずしんやとひでと3人で
野沢の事故現場に行って先生の吸っていた煙草、愛飲していたコーラを供えてきました。
先生の実家にも御線香をあげに伺いました。
先生のこともあって
どんなにきつくても大学までスキーを続ける覚悟はありました。
成績を出して恩返しをする覚悟がありました。
その記事で先生のことを話す目標がありました。
しかし正直、
本当にどうしようもならないくらい辛い時がありました。
やること全て意味のないように思う時がありました。
問題を解決する手段を見出だせないことがありました。
そんな時でも、
何気なく、気を遣ってくれた【仲間達】
本当に嬉しかった、助かった。
【辛さ】を
表面に出すと、言葉として出すと、
それに甘えて、潰れそうになる自分がいたので
自分の感情を押し殺して、関係ない話をしていました。
そうやって偽って、せっかくの優しさを踏みにじってしまったこともあった。
ごめんなさい。
本当にどうしようもない。
【交通事故】、、
ここで書く内容ではないけど、
私は元々埼玉で生まれ、幼少のころ新潟に引っ越してきました。
埼玉生まれ、新潟育ち。
新潟に引っ越したきっかけは、
交通事故による【お兄ちゃんの事故死】です。
埼玉の小学校で野球をしていたお兄ちゃんは、ボールを追いかけ
車道に出た際にトラックに引かれてしまいました。
数ヶ月の昏睡状態のち眠るように息を引き取りました。
(訂正_数ヶ月→8年間)
両親は、
【都会の狭い空間で子ども達を育てたくない】
という想いで新潟に引っ越しを決意しました。
知り合いも誰もいない土地でゼロからイチを作った両親。
そこでたまたまやり始めた【アルペンスキー】
本当に素晴らしい体験経験をやらせてもらいました。
しかし、そんな親だからこそ、
高2の時の交通事故は衝撃が大きかったと思います。
事故があったことを知らせる電話を受け取った際、
「死んだな」
と思ったそうです。
ここまで心配をかけてしまった両親
大会で成績が出なくても黙って見送ってくれた両親
最後までスキーを続けさせてくれた両親

本当にありがとう。
【先生】【仲間達】そして【両親】
この3人の存在がいたからこそ、
ここまでスキーを続けることが出来ました。
本当にありがとうございました。
最後に、
引退するにあたってスキーに悔いが無いと言えば嘘になる。
毎年毎年課題が見つかって、その課題を解決して、
出来る【自身の滑り】を考えたらワクワクが止まらない。
ただ、事故や病気、怪我をして行く中で、
勝つ事への意欲が薄れていく自分がいる。
勝つ事よりもやり遂げることへの意欲が高い自分がいる。
そうなった時点で自分は
【プレイヤー】であっても、
【チャレンジャー】ではなくなった。
悔しいけど、そういうこと。
夢や目標、野心、高い志を、
スキーというスポーツで高く維持することが出来なくなってしまった。
悔しいけど、そういうこと。
何が起こるか分からない。
スキーの最中だけでなく、日頃の生活から。
最後のシーズンで自身の甘さや慢心が浮き彫りなりました。
気付かせてくれた仲間と経験にありがとう。
忘れない。
来月からは
【スキーヤー】から【ビジネスマン】として、
一流の営業マンとなれるよう日々全力で取り組んでいきます。
ステージは違いますが【チャレンジャー】として。
将来的には、スポーツ選手の
【フォロワー(スポンサー)】として
【チャレンジャー】を支援出来るように!!
死に物狂いで頑張ります。
それが自分ができることであり、自分にしか出来ないことだから。
今までスキーでお世話になった皆さん、
本当にありがとうございました!!!!本当に
このBlogは飯田正義のスキー人生を書いてきました。
これからの第2ステージについてはまた別途で記録していきます。
どうぞ、皆さん今後とも飯田正義をよろしくお願い致します。
皆さん、シーズン後半頑張って下さい!!!!
【スキーで得た教訓】
・出来ないモノが出来ない辛さ。
・出来ていたモノが出来ない辛さ。
両者は【出来ない】という結果は同じですが、
最初から出来ていたか、出来ていなかった、
という過程があるかないかだけで、一変します。
その壁に行き詰まったら、
逃げずに目を背けずに立ち向かっていく。
立ち向かう【手段】はいくらでもある。
ですが、
立ち向かう【姿勢】は自分自身にしかない。
【手段】:【姿勢】=1:9
頭で考えても解決した気になるだけ。
実際に行動や実行に移さなければ本質的な【解決】には至らない、
ということ。
そして何より、
今出来ている全ての事柄を大切に大切に。
【当たり前がないのが当たり前】
【あり得ないことがあるなんて、あり得ない】
【出来た自分じゃなくて出来ない自分を受け止める】
【最初から出来る人はいる。最後まで出来る人は逃げなかった人だけ】
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更新遅れてしまいました、すみません。。
前回更新したように、
3月14日に無事
飯田正義アルペンスキーを引退致しました!!

最後のレース、上国では
1日目 2番
2日目 5番
入賞することが出来ました!!


皆さん本当にありがとうございました!!
競技スキーを始めたのが小学4年生の10歳、
大学4年生の22歳まで続けさせてもらって、
約12年間の競技人生でした。
長いようで短いようで、
んーなんとも言えないですが、、
人生の半分以上をかけてきたスキーに一区切りが付いて、
だいぶ心が落ち着きました。。
人生山あり谷ありとは言うものですが、
なんだかんだ中学3年生から毎年怪我や病気をしてきました。
中学3年生は、手首ヒビ
高校1年生は、尾骨骨折
高校2年生は、交通事故
高校3年生は、高次機能障害
大学1年生は、スティーブンス・ジョンソン症候群
大学2年生は、右膝靭帯断裂
大学3年生は、右膝靭帯再断裂
シーズン中戦線離脱することが多々ありました。
人一倍支えられて生きてきました。
仲間には本当に迷惑をかけてきました。
親には本当に心配をかけてきました。
感謝と申し訳ない気持ちで一杯です。
一番衝撃が大きかった高校2年生の時の
【交通事故】
3月9日
全日本選手権に向かう途中、トラックと正面衝突、先生は即死でした。
あの事故から5年が経ちました。
今年は時間が合わずしんやとひでと3人で
野沢の事故現場に行って先生の吸っていた煙草、愛飲していたコーラを供えてきました。
先生の実家にも御線香をあげに伺いました。
先生のこともあって
どんなにきつくても大学までスキーを続ける覚悟はありました。
成績を出して恩返しをする覚悟がありました。
その記事で先生のことを話す目標がありました。
しかし正直、
本当にどうしようもならないくらい辛い時がありました。
やること全て意味のないように思う時がありました。
問題を解決する手段を見出だせないことがありました。
そんな時でも、
何気なく、気を遣ってくれた【仲間達】
本当に嬉しかった、助かった。
【辛さ】を
表面に出すと、言葉として出すと、
それに甘えて、潰れそうになる自分がいたので
自分の感情を押し殺して、関係ない話をしていました。
そうやって偽って、せっかくの優しさを踏みにじってしまったこともあった。
ごめんなさい。
本当にどうしようもない。
【交通事故】、、
ここで書く内容ではないけど、
私は元々埼玉で生まれ、幼少のころ新潟に引っ越してきました。
埼玉生まれ、新潟育ち。
新潟に引っ越したきっかけは、
交通事故による【お兄ちゃんの事故死】です。
埼玉の小学校で野球をしていたお兄ちゃんは、ボールを追いかけ
車道に出た際にトラックに引かれてしまいました。
数ヶ月の昏睡状態のち眠るように息を引き取りました。
(訂正_数ヶ月→8年間)
両親は、
【都会の狭い空間で子ども達を育てたくない】
という想いで新潟に引っ越しを決意しました。
知り合いも誰もいない土地でゼロからイチを作った両親。
そこでたまたまやり始めた【アルペンスキー】
本当に素晴らしい体験経験をやらせてもらいました。
しかし、そんな親だからこそ、
高2の時の交通事故は衝撃が大きかったと思います。
事故があったことを知らせる電話を受け取った際、
「死んだな」
と思ったそうです。
ここまで心配をかけてしまった両親
大会で成績が出なくても黙って見送ってくれた両親
最後までスキーを続けさせてくれた両親

本当にありがとう。
【先生】【仲間達】そして【両親】
この3人の存在がいたからこそ、
ここまでスキーを続けることが出来ました。
本当にありがとうございました。
最後に、
引退するにあたってスキーに悔いが無いと言えば嘘になる。
毎年毎年課題が見つかって、その課題を解決して、
出来る【自身の滑り】を考えたらワクワクが止まらない。
ただ、事故や病気、怪我をして行く中で、
勝つ事への意欲が薄れていく自分がいる。
勝つ事よりもやり遂げることへの意欲が高い自分がいる。
そうなった時点で自分は
【プレイヤー】であっても、
【チャレンジャー】ではなくなった。
悔しいけど、そういうこと。
夢や目標、野心、高い志を、
スキーというスポーツで高く維持することが出来なくなってしまった。
悔しいけど、そういうこと。
何が起こるか分からない。
スキーの最中だけでなく、日頃の生活から。
最後のシーズンで自身の甘さや慢心が浮き彫りなりました。
気付かせてくれた仲間と経験にありがとう。
忘れない。
来月からは
【スキーヤー】から【ビジネスマン】として、
一流の営業マンとなれるよう日々全力で取り組んでいきます。
ステージは違いますが【チャレンジャー】として。
将来的には、スポーツ選手の
【フォロワー(スポンサー)】として
【チャレンジャー】を支援出来るように!!
死に物狂いで頑張ります。
それが自分ができることであり、自分にしか出来ないことだから。
今までスキーでお世話になった皆さん、
本当にありがとうございました!!!!本当に
このBlogは飯田正義のスキー人生を書いてきました。
これからの第2ステージについてはまた別途で記録していきます。
どうぞ、皆さん今後とも飯田正義をよろしくお願い致します。
皆さん、シーズン後半頑張って下さい!!!!
【スキーで得た教訓】
・出来ないモノが出来ない辛さ。
・出来ていたモノが出来ない辛さ。
両者は【出来ない】という結果は同じですが、
最初から出来ていたか、出来ていなかった、
という過程があるかないかだけで、一変します。
その壁に行き詰まったら、
逃げずに目を背けずに立ち向かっていく。
立ち向かう【手段】はいくらでもある。
ですが、
立ち向かう【姿勢】は自分自身にしかない。
【手段】:【姿勢】=1:9
頭で考えても解決した気になるだけ。
実際に行動や実行に移さなければ本質的な【解決】には至らない、
ということ。
そして何より、
今出来ている全ての事柄を大切に大切に。
【当たり前がないのが当たり前】
【あり得ないことがあるなんて、あり得ない】
【出来た自分じゃなくて出来ない自分を受け止める】
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